『エルピス―希望、あるいは災い―』第6話

4.5話と連続ストップ高の村井チーフP株がついに天井を突き抜けてしまった。
誰がどう考えてもボンボンガールがキャッキャしてる土曜夜の情報バラエティ番組ではなく報道番組で放送したほうがいいだろうに、「俺の番組で流す」と言い張ったのは斎藤の背後にいる副大臣の存在への対抗策としてのことだったって時点で「村井△!!!」なのに(でもちゃんと「証言者の保護」に意識が向いていたのにそこに言及すれどもDV夫にはまんまと逃げられ妻子のフォローもできてないのは、それも含めて「予想を超える反応の大きさ」だったってことかな)、斎藤との関係を心配して恵那を気遣ってくれ、LINEの着信音(を消音できないこと)にあたふたしながらも「刻むなコイツ」と笑わせてくれたかと思ったら(そう言いつつぜったいぜんぶ読んでたよね、村井さんw)、歌も上手いんかい!!!!!!!!!!!!!!!!。

村井Pの背後で1話でセクハラに憤慨し、なあなあな態度の恵那に呆れ蔑みの視線を向けてた女性スタッフが泣いてるし、恵那と岸本が歌う「贈る言葉」を聞きながら、いやわたしも(気持ち的に)一緒に合唱しながら泣きそうになったわ。

こうなる(懲罰人事で現場を外され左遷される)ことは予想できただろうけど、それでも圧力に屈せず「放送する」ことを選んだ村井チーフプロデューサーの意地と覚悟をわたしは忘れないよ。

初回ではいい印象がなかったこのカラオケ打ち上げシーンだけど、それがこんなにも心を揺さぶる大切なシーンになるとはねえ。これぞ連続ドラマの醍醐味よ。

しかし斎藤からの別れの言葉を読んで「職場で号泣」する恵那はやっぱり、とくにそういう方面では「弱い」ってことなんだろうな。
帰宅しようとした斎藤を引き留め玄関の外でその胸にもたれかかるという恵那の行動を当時は「計算」なのではないかと思ってたけど、今では単なる「欲望」のソレであったことがわかる。
大事なこと大切なことを言わずにサインだけ送る斎藤のやり方(あの名目で薬指にしか入らない絶妙なサイズのリングを用意する斎藤はマジで男としてはヤバイな)をわかっていながら、そのサインについて確認したいくせにすることから逃げた挙句、繰り返すけど職場で泣くとかほんと愚かな女よな。

視聴者だけでなく、番組終了に伴いボンボンガールではなくなり岸本の彼女になったアサミちゃんも恵那のことを“強くてカッコいい”と思ってるけど、それは浅川恵那という人間の一面であり表面であって、弱くてカッコ悪いところもあることを、斎藤は、そして岸本は知ってる。

そんな浅川恵那は様々な思惑やら駆け引きやらの結果古巣に戻るという、云わば凱旋を果たしたわけだけど、以前のように自分を殺して流されるままニュースを読むだけの存在にはなるまいと必死で頑張ってるけど実情として忙しさに追われ岸本からの連絡すらマトモに取り合えない状態になってしまってると。
松本死刑囚の弁護士への連絡を怠っていた(結果証言者を行方不明にしてしまった)こともそうだし、詰めが甘いというか、キャパシティーがさほど大きくないんだろうな。

でもそこがいい。スーパーウーマンにはなれないところがいいんだよな。

で、村井さん曰く「(政治の世界で生きるための)素質がありすぎるんだよ。溢れる才能っていうのは文字通り溢れてくるもんで、自分で止められるやつなんていない。つまりそれは同時に厄災でもあって、なにか大事なものを人生から押し流してしまうこともままある」斎藤の“真の目的”はまだわからないとわたしは思ってるけど、恵那と岸本が追ってる「八頭尾山殺人事件」について、大門の関わりについて、どこまで知っている・聞かされているのだろうか。
今回のラストで「大門との繋がり」が浮かんできて、さらに恵那のメンタルが見せたまぼろしなのでは?と思っていた瑛太演じる謎の男らしき人物が「実在」してることも判明し、事件の『真相』がいよいよ見えてきた感じがありますが、それが予想通りならば(そんなよくある真相であってほしくはないなというのが正直なところなんだけど)繰り返すけど目的がどこにあるにせよ局を辞め“あっち側”に立つことを選んだ斎藤はそれこそ「正しいことがしたい」岸本と、そして恵那とは『相克の関係』となってしまったということか。

でもこれまたよくあるパターンだけど、それが恵那や岸本とは違っているのだとしても斎藤は斎藤の「正義」のために動いてると思いたい。放送前に送って来たLINEも、局を辞めたことも、「大事なことは何も言わない」斎藤の「サイン」なんだと思いたい。
まあ村井さんの斎藤評もあることだし、記者よりも政治屋に向いてるマジもんの野心メラメラ男ってんでもいいんだけどさー。


それはそうと恵那が路チューで下ろされ大スクープを報じたことで復帰となったニュース番組「NEWS8」って平日の夜8時に放送してるってことだよな。
7時でも9時でも10時でも11時でもなく「8時」。実際のニュース映像を使う一方でわざわざ「8時」にニュース番組を放送しているという「設定」としたところにも明確な意図を感じるな。なにがどうひっくり返ったとしても20時台にニュース番組が放送されることはまずないもんね。