『初恋の悪魔』第9話

「犯人」である署長の元へ向かう道中で「バディ」であるか否かについてギャーギャー言い合う悠日と鹿浜さん(というかこの期に及んで悠日の名前を知らないと言う鹿浜さんw)は、鹿浜さんちでおにぎり握って待ってるから「早く帰っておいで」と言って送り出す小鳥(と星砂)を含めていいシーンだったし、こういうやりとりは良いな好きだなと思うんです。
一方ようやく見えてきた「連続殺人事件」の真相も、今のところは署長が犯人と見せかけて実は・・・!というよくあるパターンではあるものの、それでも『森園を視点』として見ると大層面白いし、今回の雑草が生い茂る河原で署長を追い詰める森園のシーンは実に見応えがあったんだけど(あと公園でおにぎりを喉に詰まらせた森園を見て遊んでた子供や母親たちがパニックになるのも別の意味で見応えありましたw)、問題は両者の温度差がありすぎることだと思うんだよな。

おそらくそれは脚本・演出の「狙い」だろうけど、その狙いは残念ながらうまく言ってるとは言えないかなーと。
そのうえ真偽含めてヒロインの二重人格問題まであるわけで、それぞれの枝はいいのにぶつかり合ってしまっていて、ラス前まできてもひとつのグルーブになってないようにわたしには思える。わたしにとっての坂元作品の特徴であるグルーブ感が今作からは感じられない。

その象徴が鹿浜鈴之介というキャラクター。
森園をシリアルキラーだと疑いその動向を監視してた鹿浜と、殺人犯の「動機」を考えることを諦めてはいけないと主張する鹿浜の違いを「成長」だとは思えないんだよな。

変人だけど分析力・推理力だけは「本物」だと思ってたのに、今じゃ「見たいものしか見えていない」のは恋愛感情のせいなんだろうけど(それ自体は否定しない)、精神状態が不安定な人間(署長の息子)を凶器コレクションルームに居させるのは判断ミス以前の問題だし、そもそも不自然なとこだらけの息子の証言を鵜呑みにするだなんて鹿浜さん「らしくない」なんて言葉じゃ到底足りない違和感だもの。
でもだからいってここでマーヤのヴェールを剥ぎ取れ!やられてもって話。

ていうか縦軸は「馬淵朝陽の死の謎」のつもりで見てきたというのに、朝陽の死など連続殺人のおまけみたいな扱いじゃん。文字通り「いい人間・いい警察官」であり「いい兄貴」であった朝陽の死がそんな扱いであること、そこにも何らかの意味とかメッセージ性とか、そういうものがあるのかもしれないけど、あと1話しかないことを考えるとあちこち手を広げてしまったがために浅くしか掬えなかったとしか受け止められないな、今のところは。