『DCU~手錠を持ったダイバー~』

水中事件や事故の捜査を行うスペシャリスト集団が海上保安庁に新設されたという架空設定にそこまでの違和感というか、「ねーよw」とまでは思ってなかったんだけど、実際に見たら違和感どころか「意味わからん」としか思えん。

従来の海上水域だけでなく“警察の捜査では困難な「危険極まりない日本全国の河川や湖」に潜って証拠を探す”ってところはいいと思うの。初回で言えば水深120メートルのダムの底なんてそれこそ『特殊訓練を積んだ選ばれし精鋭』でもなきゃ潜れないんだろうし、全国の警察から依頼を受けて潜って証拠を探す専門チームってだけなら実際にあってもいいんじゃないの?とすら思うけど、その人らが陸上で聞き込みも行うってところがわからん。
DCUは危険水域での潜水という警察ではできないことをやって、聞き込みは本職である警察に任せればいい、いや任せるべきじゃない?としか思えないんだけど。潜水技術のスペシャリストだからといって捜査のノウハウがあるわけじゃないでしょ?。
なんだかんだで聞き込みやらなにやらと警察の真似事するなかでヒント(ラッキョウw)を得て事件の真相を推理して「遺体」という『証拠』を見つけて犯人逮捕と相成ったけど、それを全て「DCU」だけで行う必要性がわたしには理解できない。聞き込みしてる最中に他警察から潜水要請が入ったらどうすんのさ。聞き込みは警察でもできるけど潜水はお前らしかできないだろうに。
ていうか、遺体が「ダムの底」にあったというだけでそれ以外は普通に刑事ドラマじゃないかとしか。脚使うぐらいしか能がないだろと警察を煽ってたけど、ダムに潜る以外はお前らも結局「脚使ってる」だけじゃん?としか。

と、売りである「架空の設定」に対してこういうことを思わせられるってのはやっぱり無理があるからってことなんじゃないかな。

ていうかさーやっぱりさー「海猿」ならば人を救ってほしいと思ってしまうのよねぇ。
捜査を行うことが「DCU」が新設された目的・理由であるわけで、人命救助は従来の任務でありそれこそ「海猿」という大成功作があるわけだからそれと同じことをやっても意味がないってことはわかるんだけど、わたしは要救助者を次々と助けてくれる逞しい高橋光臣横浜流星が見たいの・・・。

って、架空組織といえば東京MERの記憶がまだ新しいわけで、光臣演じる副隊長はなんだかんだ反発しつつも音羽先生のように隊長を信頼し受け入れることになるのだとしても、横浜流星と阿部ちゃんとの関係はこれでいいのか?。
事故当時の記憶がなかったところが任務中のアクシデントを引き金に記憶が蘇り、命の恩人だと思ってその背中を追ってきた阿部ちゃんが実は「スパイ」であり、自分を助けてくれたのは吉川晃司だったと「思い出した」ってんで「許さねえ!」と速攻ギャンギレしてたけど、展開早いなってことはさておきそんな相手と「危険極まりない任務」に就いちゃだめだろよって話じゃない?。内心はどうあれ仕事は仕事なんで水の中では命を預け合います危ないしとか、そんな都合のいい話ないだろw。

MERの場合は共に人命救助を目的としつつも救助そのものを行う消防やSATに対し救命を行うMERと“テリトリー”が違ったけど(だから協力することができた)、こっちは職務がモロ被りしてるから警察との争いは常にあるだろうし(MERが東京を守備範囲にしてるのに対しDCUは全国が対象ってことだから行った先の警察と毎回ギスギスするでしょ)、海保のなかでも部長と次長の権力争いがあるみたいなのに、DCU内部でも憎しみ云々があるとか考えただけでうんざりなんだけど。
人柄以前に喜多見チーフのあの一言発した瞬間に安心する、聞いているだけでワクワクする「指示」と比べて阿部ちゃんの隊長は何言ってんだかわかんないし。


で、ハリウッド云々ってのはどこいらへんに現れてるんですか?。