貫井 徳郎『邯鄲の島遥かなり 下』


戦争がはじまり島からも多くの人間が出征し、死に、そのなかにはもちろんイチマツの子孫もいて、一橋の二代目が造った造船所を狙ってのことか爆撃を受け島は焼け野原になってしまったところで中巻が終わり、最終巻となる下巻は爆撃で家族も家も失った孤児が、顔の半分に火傷を負い片目の視力も失って戦争から帰ってきた信介と出会い共に暮らすようになるところから始まります。

一ノ屋の血筋ではあるものの戦争以前の信介についての描写は家族のことを含め一切なく、イチマツの子孫ではない孤児の子供目線でくがとの定期船を復活させ島の復興に奔走する信介の活躍が描かれる一方で、信介と幼馴染との恋愛話でもあって、続く次の章ではプロ野球が開幕し野球に夢中になる子供たちが中学で野球部に入り高校生になって甲子園を目指す話になるんだけど、この時点でもはや戦争の影はない。それどころかイチマツの子孫の存在も見当たらないんだけど?と思ったら、中心となる5人の少年全員にイチマツ痣がありましたってんで笑ったわw。
戦争でイチマツの子孫もかなり犠牲になったのではと思っていたので、上・中ではそれこそイチマツの子孫だらけという印象ですらあった「一ノ屋の血筋」だけど下巻では少なくなってしまっているのだろうなーと、それが上巻から紡がれていた「イチマツの子孫」の物語の最後の鍵になるのかなーと、そんなことを考えていたところでの「5人全員痣持ち」はある意味衝撃の事実だったw。

で、恋愛話に続いて野球話かーと、上巻・中巻とはあまりにも違う空気感にこれが「時代の変化」なのか・・・と思ったところで第十六部(じゅうろくぶってwどんだけ大作やねんw)の章題が『一ノ屋の終わり』なので、ああやっぱりそういうことになるのかなーと、これまでの物語の流れを思い出しつつページをめくり読み進めていたらですね、この章の主人公は松次郎の孫、つまり「一ノ屋本家の跡取り」なのですが、ひとつ前の野球小説で主人公とともに甲子園を目指す5人の少年のうちの一人に恋をしちゃうもんで「ええええ!そうくるかーーーーー!」と驚いた。上巻から通して一番驚きの展開だった。
島中の女を愛し孕ますことで島に幸せを齎したとされるイチマツから始まったこの長い長い物語の最終巻で、こういう理由・流れでもって「一ノ屋」が終わるのか・・・と驚きつつも、繰り返しになるけどこれが時代の流れというものなのだろうなと思わずにはいられない。

そして長い長い物語の最後の章は野球話で主人公を務めた静雄の娘、イチマツから数えて6代目となる育子の視点で描かれます。
昭和最後の日に生まれた育子が高校2年生になった年に島の火山が噴火し、神生島民は全員島外避難をすることになるところから最後の章が始まり、帰島が許されても東京での暮らしに慣れてしまった島民たちのなかには島へ戻ることを選ばない者も多く、東京で就職先を見つけた育子も戻らない選択をする。やがて東日本大震災が起きて、島を見捨てた後ろめたさを抱え続ける育子はボランティアとして東北へ向かい、運命の相手となるヨシアキと出会い、その出会いは最終的に神生島に「幸せ」を齎すことになりましたと、平成の30年間がたった1章で終わってしまったことに平成という時代とは・・・とやや遠い目になりつつ、未来への希望に満ちる綺麗な物語の畳みかたに、さすが貫井さんお見事です!!と拍手を送りたい。

正直そんなに興味がないというか、作者が貫井徳郎さんでなければ読むことはないであろう題材の作品でしたが、最初から最後までどの章も楽しめました。いろんなタイプのお話が詰まっていて、それぞれ単体でも楽しめるし、でも「一ノ屋」という一族を物語の中心に置いたことで上中下巻を読み終えてまるで朝ドラを1作品見終えたような充実感。
結局のところタイトルが意味するところは感覚ではわかるけど言語化はできない・・・という感じではありますが、とてもいい時間を過ごすことができて幸せです。