『姉ちゃんの恋人』第5話

両親を亡くし弟たちを守り育てるために生きてきた姪にこれ以上何かを背負わせたくないという「叔父/伯父」としてはともかく、「保護司」としての川上さんはこれキッツイだろうなぁ・・・。
保護司として思ってはならないことを思ってしまったとして、それを本人ではなく母親に言うという、言わずにはいられなかったという、この歳にして自分の本性というとアレだけど、自分がほんとうは「こういう人間」なんだと知るのって相当キツイだろう。

そして和久井さんの母親がまた辛い。あの時母親としてもっと強引に真実を語ってくれるよう相手の女性を説得していれば(息子にそう思わせることができていれば)・・・という「後悔」があるであろうだけに、この状況は親として辛すぎるだろう。

ていうか、やっぱり父親は自死してるのか・・・・・・。それじゃあ真人が幸せになってはならないと考えるのもむべなるかな・・・・・・だよなぁ。

何が辛いって、この状況が「偽証」の結果ってことだよね。母親の後悔は前述の通りだし、真人だって父親がそんなことになるとわかっていたら恋人に本当のことを話してくれと頼んだかもしれないわけで、恋人の気持ちを慮った結果父親が死んでしまったという事実は、息子の気持ちを汲んで証言を諦めた結果夫が死んでしまったという事実は、2人にとってあまりにも重すぎるでしょう。

前回の感想でも書いたけど、恋人のことだけならば真人の気持ちが変わればいいわけで、桃子が真人の気持ちを変えてやればいい。それで済む話だと思うけど、父親のことはそう簡単にはいかないだろう。母親は「真人が幸せになることが供養になる」と言うでしょうが、真人がそう考えるとは思えない。
彼女とのこと、事件のことは真人という人間を描くために必要な要素だというのならそこまでは理解するとしても、父親のことまで必要だとは(現時点で)思えない。最初から(事件以前に病死したとかで)母子家庭ってんでよくない?。

「姉ちゃんの恋人」の設定をこんなにも激重にする必要あります?。
真人の事情がこんなにも重いせいで「姉ちゃん」が背負ってる荷物が大したことないことのように感じてしまうぐらいだけど、もしかしてそのための激重なんですかね?。

酔って肩がぶつかってレイプとかそれを助けようとして傷害で逮捕という世界観と、姉ちゃんの“好きな男”がどんなヤツか弟三人がこっそり職場に見に行ってフォークリフトを操作してるのをみて「俺たちまで好きになっちまった。まいったな」なんていう世界観がわたしのなかでは繋がりません。