『アナスタシア』@東急シアターオーブ

感想を書こうか、書いていいものかどうか悩んだのですが、こんな時であっても、いやこんな時だからこそ、一人の強く聡明な女性が自分を取り戻し素敵な王子様との幸せを手に入れる真っ直ぐな物語は暫しのあいだ現実を忘れさせてくれたし、幸せな気持ちにさせてくれたし、わたしにとっては必要な時間であった、と思います。

とはいえ上演中が幸せであればあるほど幕間で否が応でも感じさせられる「現実」との落差が思ったよりもキツイし、幸せな時間を過ごせたと思えはするけど帰りの電車でもし今この瞬間に罹患してしまったら(劇場のなかはほぼマスク100%だし、幕間でも喋ってる人から距離を置き座席につくときは肘置きとか背もたれをアルコール除菌してれば不安はなかったです)「舞台を観に行ったせい」と言われてしまうだろうと思うとわたしのしたことは間違いだったのかもしれないとか考えてしまって舞台の余韻どころじゃないってところは正直あるし、難しいよね、やっぱり。
舞台に立ち客の前でその役を演じるため物語を届けるためにオーディションを経て稽古に励んだ役者さんや、何年も前から舞台のために尽力してきたスタッフの方たちが「幕を上げる」と言うのならば客としてそれに応えたいと思う気持ちは強いけど、さすがに気持ちだけじゃどうにもならない事態になってしまったとも思うわけで、正解が見つからないこの状況は観劇好きの端くれとしてとても苦しい。

本来なら三人のディミトリを観る予定でしたが叶わず、相葉裕樹さんのディミトリだけはなんとか観ることができました。
相葉っちのディミトリ、まさしく『若くてハンサム』そのもの。
アナスタシアオーディションに来た街娼に「あんたがハンサムじゃなかったらこのこと警察にチクってやるのに」って言われるんだけど、こいつ「ハンサム」って言われ慣れてるんだろうなー感がすごい。そうとわかる場面があるわけじゃないんだけど、自分がハンサムであることを自覚してて、時にはその「ハンサム」を使うこともあるんだろうなーと思わせる「うんうん、ハンサムだよね、わかります」感だし、30代とは思えぬ若々しさ。

My Petersburgの歌いだしと列車のシーンでディミトリパートで正面向いたときの脚の長さにときめいているひとが大勢いらっしゃるようですが、わたしはそれに加えてアーニャが訪ねてくる前のヴラドと会話をしているシーンのソファで横になるポーズの美脚もおススメしておきたい。2幕のタキシード姿もだけど幕開けの群青色のスーツ姿も素敵すぎるし(そんなに素敵な格好をしているのにパリの街へ繰り出すのではなくホテルに直行したいだなんて、どれだけバスタブに憧れているのかと切なくなるよね)、どこを切ってもハンサムオブハンサム。

相葉っちは外見のこと「だけ」を褒められるのが有り体に言うと「嫌」だと思うのですが(自分の外見が嫌いだとかそういう意味ではなく、演技や歌で表現したものを受け取って欲しいのに外見のことばかり言われるのは自分の実力不足もあるけどちょっと不本意、というニュアンスでわたしは解釈してます)、そういう相葉っち自身の葛藤がディミトリのひとつの側面として非常にフィットしてるように感じました。相葉裕樹という役者が持つ生来の魅力がディミトリという役に対しダイレクトに嵌ってる。
もともと異様なほど舞台上でキラキラしてる(しちゃう)人だとは思ってましたが、そのキラキラをここまで思う存分全開で放出することができる、それを求められる役というのもそうはないと思うわけで、相葉裕樹がディミトリという大役を射止めたことはある意味当然かな、と豪語してしまおう。


そのキラキラを何の後ろめたさやわだかまりなどなく、心から堪能できる日が早く来てほしい。もう一度相葉っちのディミトリを、海宝くんのディミトリも内海くんのディミトリも観ることができる日が来ると信じてとにかく今は毎日を生きるのみ。
そのために、状況の見極めだけはくれぐれも慎重にしてほしい。日本版アナスタシアという素晴らしいコンテンツを自ら壊すことだけはしてくれるなよと、とにかくそれだけは本気の本気でお願いします。課金する方法を与えてくれたらいくらでもするからさ!。