スーパー歌舞伎Ⅱ『新版 オグリ』@新橋演舞場

市川猿之助さんがオグリと演じるバージョンと、中村隼人さんがオグリを演じるバージョンの両方を見ましたが、これは主に今回外部の役者としてスーパー歌舞伎に初参加・初出演なさった髙橋洋さんについての感想になります。


舞台の上に立つ髙橋洋さんを拝見するのは2016年に上演された「クレシダ」以来となりますが、やっぱり、やっぱりさあ、舞台の上の洋さん最高なんですよ。
この作品の出演が決まったという報告のあと、ブログで

前回、久しぶりに舞台やりますとアップしたら、「やっぱり舞台のキミを観たい」というありがたいコメントをいただきました。
そういったご意見をちょくちょく耳にするんですよね。面と向かって、あるいはこの場で。

で、そのココロの奥を察すると、
舞台を観てきた者からすれば、「舞台のキミ」がやっぱりインパクト強いんだよなあ。。。
という、ニュアンスもあるかと。

まあね。。。
ストレートにそう仰っていただくことも少なからずあって、そのご期待はとても嬉しいです。
同時に、
「映像のキミ」においても確実にそして絶対的に痕を残していきたいと日々格闘している自分としては、そういった皆さまのココロもまたひとつの大きなモチベーションとして、よしまた明日から頑張るぞ!と気合いが入るわけです。

https://ameblo.jp/yo-taka-hashi/entry-12502686156.html


と書かれていて、現在は映像の仕事を主戦場とされている洋さんなのでこういう期待、言葉は複雑な気持ちになるであろうと察することはできますが、それでも、それでもやっぱりわたしにとって「舞台の上の髙橋洋」は特別なんです。なので猿之助さんとの出会いがあって、こうやって舞台に出てくれる、舞台の上の洋さんを観ることができることがほんとうにほんとうにうれしかった。
とはいえ洋さんがスーパー歌舞伎に出ることをわたしはチケット一般発売のタイミングまで知らなかったわけですが・・・(もともと歌舞伎が好きなのでその時点でとっくの昔にチケットは確保してました)。


洋さんが演じるのは二役。

第一幕では坂東新悟くん演じる照手姫の上の兄・横山家継(下の兄は市瀬さん。なんというわたし得兄弟)で、ポジションで言うと悪役です。
悪いこと企んで「フハハ、フハハハ、フハハハハハハ!」と悪い笑い(で暗転)するんで悪役でいいとは思うのですが、オグリとオグリ党の六人を毒矢で殺したあと、領地を奪われ娘にも罰を与えねばならず、自身も出家を決意した父親がオグリを殺したことを後悔してるのを聞いて何も言わない、何も言えないのでそこまで明確に悪役とは言い切れないところがあって、主人公であるオグリと「敵対」する立場でありながらも役としてはやや中途半端ではありました。

でも台詞聞こえの良さは抜群。家継も二幕で演じる役もどちらもオグリを攻める役で説明役でもあるので声を張ることが多いのですが、台詞の通りがとにかく抜群で、ああこれよこれ、と何度も心のなかで頷きました。
それに、「型」がある歌舞伎ではそれがいいこととは言い切れないというか難しいところではあるかもしれませんが、細かい表情が目を引くのです。歌舞伎って、例えば誰かが喋っているときに表情含め不動の状態で周囲がそれを聞いている、ということが多いのですが、洋さんは大きく表情を変えることはなくても目線をキッと動かしたりすることで感情が見えるんですよ。「歌舞伎」という特殊な舞台だからということも大きいかと思うのですが、洋さん比としてとても「わかりやすい(伝わりやすい)芝居」をしているなという印象でした。

一幕で一番好きなのは暴れ馬の鬼鹿毛にオグリを殺させようとするも手懐けられそうになったもんで、再度暴れさせるべく短刀で鬼鹿毛のお尻をブスリとやるんだけど、足をガッと開いて腰をグッと落としてすりすり摺り足で暴れ馬に近づいていくところ。歌舞伎らしい動きなので「洋さんがスーパー歌舞伎に出てる!」と実感できた瞬間でした。

第二幕は浅野和之さん演じる閻魔大王の部下で地獄の長官・鬼頭角丸役。二幕の洋さんはまさかまさかの糸目!!!!!。目を3ミリぐらい開けた状態をキープし続け表情をあえて出さないという一幕とは真逆の役作りで、これきっと洋さんの発案だと思うのだけどどうだろう?。

閻魔大王の部下は赤鬼大将・石黒英雄くん、青鬼中将・市瀬秀和さん、銀鬼少将・市川弘太郎さんと他に三人いるのですが、三人は肉襦袢をつけたザ・鬼という拵えなのに対し洋さんは襟の高い白い着物で黒髪の長髪、そして頭のてっぺんに角一本、そしてもう一度書くけど糸目、トドメの糸目でして、ビジュアルさいっっっっっっっっっっっっっっっっこうすぎて糸目キャラ好きのわたしは三回の観劇で三十回ほど死にかけました(ぎゃーん☆ってなる場面が十か所ほどあるのでその都度死にかけた)。

鬼頭角丸さんは中村玉太郎くん演じる小栗六郎の見せ場で腰の刀を秒速で奪われ切っ先を喉元に突き付けられるのですが、それでも糸目は開きません。子供の頃から人殺しの技術を教えこまれた六郎なので相当の殺気を放ってるだろうに、それでも鬼頭角丸さんは表情ひとつ変えないのです。なのでこのひと(この鬼)はもしかして糸目キャラなのではなく単に目が細いだけなのではないか・・・・・・?とやや不安になりかけたところでスーパー歌舞伎セカンドではお馴染み本水での立ち回りとなるわけですが、ここに洋さんが居ることにまず驚きと興奮で泣くじゃないですか。

舞台を覆う赤い幕がバッと引き下ろされると舞台の上には本水セットがあることはわかってるんだけど、まさかそこに洋さんが出てくるとは思ってなかったもんで初見時は興奮マックスすぎてわけわからなくなったにも関わらず水濡れ防止のビニールシートそっちのけで双眼鏡をしっかり装着するとか我ながらおたくとしての反射神経の良さには感心してしまったわけですが、それはさておき洋さんは下からジャバジャバ水被っても(今回は「血の池地獄」という設定なので下から水が噴き上がる噴水形態でした)糸目キープなわけですよ。で、下手から上手に向けて舞台上をズザーッと水しぶきを上げてスライディングし(これまた格好良すぎて泣いた)、滑り終えてクルっと身体の向きを変えて舞台中央を見やるのですが、このとき黒い長髪が乱れて顔にへばりついてしまうのです。三回観て三回とも絵に描いたように綺麗にへばりついてて泣くんだけど、この瞬間糸目がカッと開くのです!!!!!!!!!。
現実問題としてスライディングをするのも、そのあとの立ち回りも糸目では危険だということなのでしょうが、鬼頭角丸は本気モードになると開眼するんだと思うの!ぜったいそう!なにこの漫画みたいなキャラ・・・・・・・・・っ!!て泣いた。もはや泣きっぱなし。

洋さんを舞台に立たせてくれただけでもありがたいのに、まさかずぶぬれで開眼して立ち回りをする洋さんを見せてくれるだなんて、猿之助さんにどれだけ感謝すればいいのかわからないのでとりあえずこれからもずっとチケット買います。

ここで出番は終わりかと思いきや三幕は「髙橋くん」として登場します。閻魔大王に餓鬼病の刑を科されたオグリをそうとは知らず熊野を目指して引く照手を助けてくれる旅侍として浅野さんとともに登場するのですが、浅野くんに「おーい、髙橋くん」と呼ばれヒョコヒョコ舞台に出てきた洋さんは浅野さんを「だいおうさっ」(大王さまと呼びそうになる)と言いかけていっけね!と口を押えるのですがこれが可愛い。くっそ可愛い。

薬師如来の力で餓鬼病が治り照手のところへ行くべく白馬に乗って飛んでいくオグリと遊行商人(あとで書くけどなかなかのトンチキシーンですよね・・・w)を見送るところに閻魔大王とその夫人とともに鬼頭角丸さんもいるんですよね。初見時はそこまで理解が及ばなかったのですが、三幕での浅野さんはあちこちの場面にちょこちょこ出演してて、他の場面は違うかもだけど髙橋くんと共に出てる旅侍の場面だけは「閻魔大王と鬼頭角丸の変装」ってことなんだね。だから大王様と言いかけるし角も付いているのだろう。つまり閻魔大王たちはオグリとオグリ党の者たちがそれぞれ与えられた刑に対しどうするのか、どう生きるのかを見守り続けていたってことなんですね。

血の池地獄の場面でオグリに「倒された」とはっきりわかるのは嘉島典俊さん演じる閻魔大王の娘・黒姫だけなので、鬼頭角丸さんたちはどうなったのだろうと思うのですが、見送りの場に青・赤・銀が不在ということは、この三人も血の池地獄で倒されたのだろう。石黒くんと市瀬さんは三幕で女郎役を務めるので(店一番の別嬪と言われる新悟ちゃんよりも石黒くんのほうが綺麗なのはご愛敬w)この場で鬼として出ることができないという裏事情はそれとして、血の池地獄で鬼頭角丸だけが死ななかった、というのは鬼頭角丸さんのキャラとしてとてもしっくりくるのでつまり最高です。


頭に赤いバラを挿してのカーテンコールでも糸目を貫き、着物の袖に拳がすっぽり隠れた状態でペンギンのように手をふる髙橋洋さんはスペシャル可愛かったです。これで洋さんの次の舞台まで2年は耐えてみせる(ていうか衛星劇場で放送されますよね?ぜったいされる!(言霊))。




「オグリ」の感想としてはワンピース歌舞伎でウケた演出がこの物語のなかでは違和感でしかなかったです。本水はあればうれしいし盛り上がっちゃうけどでもやればいいってもんじゃないし(ワンピース歌舞伎で本水シーンがあれだけ盛り上がったのは「麦ちゃんを逃がす」という明確な目的があってのもので、それを「命懸け」でやるボンちゃんとイナズマの想いがあってのことで、それに比べて今回は水の中で戦う理由も想いもどっちもなくただ本水の立ち回りをやってる“だけ”なので)、宙乗りもオグリはともかく遊行商人も一緒に飛んでくのは意味不明すぎるし(猿之助さんが遊行商人をやるときは飛んで行っても気持ち的に不思議じゃないというか受け入れられちゃうものの隼人くんの遊行商人には威厳がまったくないので「なんでお前も飛んでいく?」としか思えないのです)、リストバンドを巻いて歓喜の舞に至っては気持ちが悪いとすら思いましたもん。

それから、これはおそらくあちらこちらで言われていることでしょうが、二幕冒頭の塩焼きの翁と小鮎の仲を邪推する村の女たちの“会話”をツイッターで表現する演出がとても下品で厭でした。衣装の背中にフード調のなにかがついてるのも好みじゃないし(閻魔大王・閻魔夫人・鬼頭角丸さんの衣装はとても素敵だったのに)、あとオグリ党の紹介場面の「OGURI」の電飾文字を動かすのも文字列が意味をなしてないのでなにやってんだかわかんなかったし、演出として良かったのは幕開けの通路を歩く人々の持つ提灯を鏡に映すところや、熊野行の道中で紅葉が舞う場面ぐらい。

オグリ党の六人はそれぞれがせっかくわかりやすいキャラ設定になってるのに「オグリ党」でひとくくりにされてしまってその個性がストーリーのなかで活かされることがないのは勿体ないし、オグリと照手の物語としても小栗判官様に対する照手の愛情はともかくオグリが照手のことをそこまで強く愛する(愛しているという)説得力がないもんで、それで「歓喜」とか言われても気持ちがついていかないんですよね。新悟くんやオグリ党の面々以下外部の役者さんたちも適材適所でとてもバランスのいい座組だと思えるだけに、ストーリーの浅さがあまりにも残念でした。


派手な演出こそがスーパー歌舞伎セカンドなのでしょうが、ストーリーを描くための演出であるわけで、演出ありきの方向性は考え直していただきたいと思う次第。