『新春浅草歌舞伎』@浅草公会堂

しっかり感想を書く時間を作ることができないので今年は感想を書かなくてもいいかなーと思ったものの、未来のわたしのためにこれだけは書き残しておきたい。


『義賢最期』の松也さんがとても素晴らしかった。


この演目を拝見するのはたぶん初めてだと思うので(でも話は知ってたんだよなぁ。映像で見たことがあるのだろうか)出来自体の判断はできませんが、とにかく義賢を演じる松也さんが、松也さんの木曽義賢が格好良かった。戸板返しや仏倒れといったダイナミックな演出は身体の大きな松也さんがやると迫力満点だし、斬られても斬られても倒れない、倒れてもまた立ち上がる義賢のあがきはすさまじく、わたしが松也さんを好きになって10年は経ちますが、これまでにわたしが観た松也さんの中で一番恰好良かった。断言できちゃう。
金の障子を三階さんと共にバアンと倒して素襖大紋姿で現れた瞬間の素敵なことと言ったら!
そして戸板返しをするときの「ハッ」という掛け声にはもう悲鳴をこらえるのに必死でしたわ。


でね、ファンとしてなにがうれしいかって、この義賢の最期にメタルマクベスで松也さんが演じたランダムスター/マクベスの姿が重なったことなんです。

大勢の敵を相手に一人で斬って斬って斬りまくるというシチュエーションが似ていることもありますが、死ぬつもりではあるけどただでは死なない心意気というか、最期まで己の想いであり守るべき魂でありを貫こうとするその生きざまであり死にざま、その『源』が同じであるようにわたしには思えて、ああ、『歌舞伎に持って帰ってくる』とはこういうことかと、メタルマクベスを演じきった今の松也さんだからこそ演じることができるこの木曽先生義賢なのだろうと、それが頭と心にズドンと真正面から体当たりされたかのごとく伝わってきたのです。

歌舞伎以外の仕事をする歌舞伎役者さんたちは「その経験を歌舞伎に活かす(活かしたい)」ということをよく仰いますが、新作歌舞伎の演出・見せ方なんかにそれが活かされていると感じることはあれど、わたしにそれを見て取るだけの素養がないのだと言われたらそれまでですが(それを否定はしませんが)型の決まった「役」からそれを感じることというのは正直ないんです。

最初に書いたようにおそらくわたしはこの演目を見たことがないので本来はどんな感じの役なのか、松也さんはどう演じているのかはわかりません。だから松也さんの義賢にマクベスが重なって見えたことはおかしいというか見る目がなさすぎると言われてしまうかもしれません。でもわたしがそう感じたことは事実。そしてそれがとてもうれしかったこともまた事実。そのことを自分のために書き残しておきたい。


松也さんを座頭(中心)にする浅草歌舞伎も今年で五年目、そして平成最後の浅草歌舞伎ということで、今年の出演者の中で唯一の昭和生まれである松也さんは今回で浅草歌舞伎から卒業されるのかもしれませんが(個人的にはもうちょっと松也さんに浅草歌舞伎を引っ張ってもらいたいところですが)、この『義賢最期』が松也さんの浅草歌舞伎の集大成であるならば、わたしはとても満足です。