新作歌舞伎『NARUTO』@新橋演舞場

まずは坂東巳之助さんと中村隼人さんという若い二人が座頭として引っ張る作品が無事に完走できたことにおめでとうとありがとうをおくりたい。

ワンピース歌舞伎を経験してるお二人なので「ゼロから作品を作る」ことについては、そして「漫画原作の歌舞伎化」についても初めてというわけではないものの、『座頭』としてそれを引っ張ることは並大抵のプレッシャーではなかったでしょうし、ていうか座頭を務めることが初めてですからね、ほんとうに大変な日々だったであろうと想像しますが、とにもかくにも無事に幕を下ろせてほんとうによかった。


NARUTOという作品は知ってはいるもののコミックスの10巻ぐらいまでて読むのをやめてしまっていたので、ちゃんと予習してから臨まねば!と意気込み7月末から読み始めたものの、マイ初日までには到底読み終わらず(全72巻)、途中まで、具体的には自来也先生がお亡くなりになったところまででの観劇となりましたが、結果的にこれとても良かった。出かける寸前まで読んでいたので行きの電車内では自来也先生の死のショックを引きずりどんよりテンションでしたが、NARUTO歌舞伎でも自来也先生は命を落とすものの流れ的にとてもいい改変が為されてて、コミックスを読んでいたからこそこれが「改変」であると理解できたわけで、さすがわたし!と思ったしw。

長大な原作の1エピソードを歌舞伎化したワンピースに対し、こちらは全72巻を「最後までやりきる」ということで、どうなるのかと、どうするのかと、正直言うと期待よりも不安のほうが大きかったけど、多数の登場人物の存在を削りながらもこの自来也先生の死を始め原作の場面を上手いこと入れ替え置き換えしてしっかりと流れを作ってみせたのはお見事。サクラちゃんが髪をザクッと斬りおとすのとかシチュエーションが全く違うにも関わらず違和感なかったもん。

でもそのせいなのかなぁ・・・ここぞ!ってところのセリフの熱さが伝わってないところがチラホラあって、もどかしいというか「ああ・・・伝わらないんだなぁ・・・」と思う瞬間が何度かあったんだよな。

例えばサスケに真実を伝えるために黄泉がえりの術を使って三代目を呼び出す許可を取りに来た自来也のことを「エロ仙人」と呼んだナルトを綱出が「師匠に対してエロ仙人とはなんだ!」と一喝する場面とか、終末の谷でのサスケとの勝負の時に「オレが諦めることを諦めろ!」と叫ぶ場面が笑いになっちゃってるんですよ。中盤あたりまでは戦いを終えたサスケの「ウスラ・・・・・・トンカチ」ですら笑いが起きてましたからね(さすがに千穐楽では笑う人はいなかった)。一応台詞をちゃんと聞いて理解していればその台詞にどんな意味であり想いが込められているのかを察することはできるようには作られているとは思ったけれど、それはわたしが原作を読んだからであってそうじゃないひとには伝わりきらなかったのかなーってところはとても残念だし無念です。

ワンピース歌舞伎は「スーパー歌舞伎」だけどNARUTO歌舞伎は「新作歌舞伎」です。だからワンピースほど派手な仕掛けや演出はなくって(出来なくって)、それでも目玉として本水を使うってことはきっと最初から決まっていたと思う。原作もそうであるわけだから、そこはむしろ水ドバドババシャバシャでなければ納得できないもの。でもそこに至る流れがよろしくなかった。

マダラをナルトとサスケが「俺達で」倒したあと(サクラちゃんは不在だけどこれは良改変です)サスケが「オレは火影になる。全ての憎しみを一人で背負う」とか言い出しナルトが「このわからんちんが!」と止めるってところまではいいんだけど、そこでサスケが唐突に「場所を変えよう」って言うのよ。原作ではサスケが里を抜けるときに終末の谷でやりあったことがあっての「ガチバトルするならあそこで」であるわけで、でも歌舞伎ではそこを端折ってしまったがために“本水演出のための戦い”になっちゃってたんだよね。ナルトとサスケにとって「あのとき」と「いま」の違い、数々の死を経て改めて「この場所で戦う」ことに意味があるのだろうに、その要素を抜きにして「本水すごい!」になっちゃってたことがこれまた残念。観劇のためにたった一度原作を読んだだけのわたしですらこんなにも残念なんだもん、原作好きだという巳之助さんと隼人さんに聞ける機会があったらこの流れについてどう思うかおたずねしたい。文句を言いたいとかではなく、NARUTOという作品の「何」を伝えたかったのか、原作への敬意と愛はしっかりと伝わってくるからこそ取捨選択の判断基準がどこにあったのかを知りたいから。


歌舞伎役者の方も外部の方も、それからアクション班の方々も、役者の皆さまについては満足100%。

なかでも猿弥さん自来也笑三郎さん大蛇丸・笑也さん綱手伝説の三忍がキャラとしても役者としても絶妙なさじ加減でもってこの舞台であり作品の屋台骨を支えてくださっていて、だからこそ巳之助ナルトと隼人サスケが全力で突っ走ることができたのであろう。

どうしてもそうなってしまうであろうことはわかりますが、序幕は説明ばかりで気持ちとしてなかなか入り込むことができないんですよね(こういう説明をいかに上手く見せることができるのかが外部演出家の腕の見せ所(のひとつ)だとわたしは思うのですが、G2さんの演出については総じて「らしさ」がまったく感じ取れなかった。各幕の冒頭で義太夫を使って説明するのは過去の新作と比べてオリジナリティに秀でていたと思うので、ここをもっと多用しても良かったのではないか?)(あ、それから和楽器バンドの曲もなんちゃって新感線みたいな使い方をされてて、あまりいいとは思えなかった)。で、うーんこれはちょっと厳しいかなぁ・・・となりかけたところで笑三郎さんの大蛇丸が登場すると空気が変わり、続く猿弥さんの自来也の登場で舞台がパアッ!となり芝居がギュっと締まるのです。さらに笑也さんの綱手(ナイスおっぱい!!!)が登場すると一気に歌舞伎感が強くなり、と同時にNARUTOの世界観にもすっかり馴染んでる自分に気づくといった感じ。

猿弥さんはもう確実に間違いないだろうと思った通りなのに対し、笑三郎さんと笑也さんはここでしか拝めないのではなかろうか?ってぐらい珍しいタイプのお役だったのもよかったなぁ(笑三郎さんは大蛇丸のほかにナルトの母クシナ役も演じられてまして、真逆なんてもんじゃない二役だもんでお得感がハンパなかったです!)。だから無茶を承知で言うと、大蝦蟇と大蛞蝓と大蛇の三すくみはもっと長く見たかった。物理的にこのスケール感は歌舞伎ならでは(2.5次元舞台ではここまでの仕掛けは作れないだろう)だし、うまくやればここは本水に匹敵する見せ場になったと思うんだけどな。

ワンピース組の嘉島さんと市瀬さんももはや勝手知ったるといった感じで、2.5次元で最も大切なのはシルエットを持論とするわたしなので三人の部下と身長が変わらないカカシ先生・・・ってのはかなりのガッカリポイントでしたが、お二人ともさすがの安定感。市瀬さんイタチはもはや文句の付けどころがありませんっ!!ってなレベルでして、サスケに対する殺陣のスピード、体捌きのキレは素晴らしかったし、サスケへのデコトンにガチのサスケオタと思しき隣のお嬢さんは声にならない悲鳴を上げておりましたw。

キャラの再現度という意味では國矢さんのカブトが目を惹きましたが、あれ?カブトってサスケが大蛇丸をやったあとどこ行っちゃったんだ・・・?(いまさらの疑問)。

そしてそして大抜擢と言っていいであろう梅丸くんのサクラちゃん!。これがクッソ可愛いのなんのって!。そういう意味では原作のサクラとは全然違うんだけど、ただ可愛いだけじゃなくてサスケ君を一途に想う芯の強さはしっかりと感じさせるサクラちゃんで、それがよくあらわれていたのが1幕ラストの三すくみシーン。頭上で三忍+サスケ、舞台上にナルトとカカシとサクラが揃って型を決めて幕となるのですが、ここでサクラちゃんは大勢の敵に囲まれながらも大蛇丸についていくと宣言し大蛇に乗る大蛇丸の隣に立つサスケ君をキッと見上げるのです。サスケ君を心配するのではなく「取り戻す」という強い決意がそこに見えて、ちゃんと可愛いだけじゃないヒロインになってた。いやでもクッソ可愛いんだけどw。

猿之助さんと愛之助さんのマダラは印象が全く違ってこれぞWキャストの醍醐味!でした。マダラについては原作を読むと相当簡略化・・・なんてもんじゃなく、「無限月読」もそれがどんな術でありなにがどうなるのかわからないので(原作未読だったらまずわからないだろう)この人何がしたいの?と思っちゃうくらいなんの掘り下げもなされないので、前半を引っ張る大蛇丸と比べたら言い方悪いけど「ラスボス」という記号のような存在でしかなく、それなのに、いやそれだからこそと言うべきか、役者そのものの存在感でもって『歌舞伎版マダラ』が作られていて、そのうえで全く違うマダラになっていたので見応えがありました。

愛之助さんのマダラは少年漫画の正統派敵役という感じで、NARUTO歌舞伎の世界にぴったりしっくりハマる「悪」。

猿之助さんのマダラは異質感というか化け物感が強く、原作のあのなんだかわからない(読んだけどわけわかんなすぎて理解するのを諦めましたw)マダラの禍々しさがありました。

チラシやパンフレットに載ってるマダラって完全体?になったお姿なので、1幕から出てるぐるぐるお面の人がマダラだと気付かない人が結構いたのか(いや声で分かるやろ・・・だけどw)、ぐるぐるお面を外し横にスライドさせながら不敵にニヤリと笑う猿之助さん・愛之助さんのお顔が見えた瞬間会場が「ワッ!!」という驚きと歓声に包まれるんですよね。ニヤリとしてみせるだけで悪の華オーラが放出されるのです。そして最後はドウという音と共に見事な仏倒れを決めて事切れる。時間的には短い出番ではありますが、(マダラというキャラクターが)なんだかわからないなりにも強烈な印象を残し、かつ巳之助ナルトと隼人サスケを受け止めそして輝かせる絶妙な敵役でございました。

というわけでナルトとサスケ。巳之助さんのナルトは軽やかで熱く、時に可愛く、隼人さんのサスケはめちゃめちゃかっこいいけど超絶めんどうくさい男であった。

ナルトってそれこそルフィのように自然と人が集まってくるタイプの主人公ではなく周りの人たちによって盛り立てられる、認め支えてくれる者達がいてこそ輝くタイプの主人公だとわたしは思うのですが、NARUTO歌舞伎に登場する木の葉の忍は第七班と自来也綱手にイルカ先生と相談役の二人だけなので、周りの人間が少ない。しかも落ちこぼれ扱いや子ども扱いされるし、右と左を間違えるしw、1週間で螺旋丸を習得する凄さよりもダメ忍者っぷりのほうが前に出てしまい、だから原作ほど主人公感はなかったように思う。でも主役感はあった。最初から最後までブレない忍道を掲げて物語の中心にちゃんと居た。

一方のサスケはとにかく美形。とことん美形。それだけでもうサスケとして成立してた。なんだこれ。終末の谷での戦いでびしょ濡れになった頭をぶんって振ってびしょ濡れの前髪をオールバックにするんだけど、これがもう筆舌に尽くしがたいかっこよさ。かっこよすぎてむしろムカつくw。

みっさまはワンピースのときからいい意味で変わらず安定&安心してみていられますが(千穐楽のカテコでも舞台上では最後の最後までナルトで在りつづけるみっさまさすが)、父である四代目火影・ミナトとナルトの演じ分けが特に良く(これにはまたもやわたしのみっさまには余計なものを投影してしまう癖が発動し、三津五郎さん、あなたの息子は新橋演舞場でこんなに堂々と座頭を務めてらっしゃいますよ!とこみ上げるものを堪えるのに必死でした)、隼人はワンピースを経験して自分をカッコよく見せることに躊躇いがなくなったように見える。自分の武器を自覚したというか。

新作歌舞伎を作り務め上げたこと。この経験で二人はまた成長するのだろう。梅丸くんも。彼らが担うこれからの歌舞伎がますます楽しみになるってばよ!。