あー今回は脚本家の違いが悪いほうに出ちゃったかなぁ・・・。依頼人の真意が「復讐」にあった“のかもしれない”という終わり方は良かったんだけど、そこに至るまでの流れが単調すぎて「復讐」の言葉に驚きがないんだもん。警察の悪事を暴こうとしたライターが殺されるなんて話よりも依頼人がデータを消去しないでくれと書き残したのはなぜか?を調べる話のほうが「dele」という作品らしいとは思うのに、圭司と祐太郎のやってることが普通の探偵物のソレでしかなく、「父親との関係」「友人の存在」「生前葬」「突然死」それらを並べて話を作っただけで、そこにただ圭司と祐太郎を置いてるだけなんだよね。
依頼人について、残されたデータについて「知りたい」というのは祐太郎であり圭司のエゴであって、結果的に誰かのため、誰かを救うことになってもあくまでも祐太郎と圭司の視点でなければならないと思うのだけど、今回はそうじゃないところが多かった。
業界を干された理由が理由だからあえて「ガールズバー」をやってるってことなのでしょうが、それ以上の意味はない、というか依頼人にとっては関係のないことなのに「うちガールズバーですけど」を連発させるとか無駄な描写に感じたし、覆面のインディーズバンドにファンクラブがあるのはいいけど“ファンクラブ限定ジャケット”でCDを作るってのも圭がそれだけファンだということを描くためのものだとしてもちょっと引っ掛かってしまったし、なによりさやかさんだっけ?バンド仲間のひとと「喧嘩した」なんてものを入れるなよと。
どの程度の喧嘩だかわからないけど、ほんとうに大切な友人で家族のような存在と喧嘩状態にあるとして、突然胸の痛みに襲われ死を覚悟し最後の力を振り絞って書き遺すのはdeleのひとへのデータを消すなというメッセージなどではなく友人に対する「ごめんね」じゃないのかと思ってしまうもの。エンディングノートを見るのは両親であり、そこに友人宛のメッセージを残しても届かないとしても「最後に残したい言葉」はそれなの?と。死ぬ間際に思いだしたのが大切な友人のことよりも親への復讐だというのならばそれはそれでいいけど、そういう話の作りではなかったと思うわけで、残された者の寂しさ切なさ無念さを含め余韻というか考える余地を残すための“喧嘩”だとしても中途半端な印象が残る。
一見クールな「圭」の違う一面、人間味を描くのにその良さを“早口でまくしたてる”といういかにもなオタク演出はそれとして(とても・・・山田さんでしたw)、それまでは“依頼人”=データとしか見てなかった圭が“しおりさん”と名前で呼んだのがファンだからというのは(それだけにせよそれ以上の何かを感じたからにせよ)どうなんだろうと思うし、今回の祐太郎は誰のこともちょっと優しい気持ちにさせてはいないし、そういう面もあるしそういう時もあると、それが人間なんだってことは理解してるつもりだけど、なまじ初回で「本多孝好の脚本(作劇)」を見てしまったからこそちょっと違うんだよお!と思ってしまう。楽しんで見てはいるんだけどね。