京極 夏彦『ヒトごろし』

ヒトごろし

ヒトごろし

私の読書タイムは通勤中なんですが、さすがにこの本を電車内で読むのはキツかったです・・・。肉体(主に手首)的にも心理的にも。肉体的についてはこの本を実際に見た方手に取った方ならば尋常ならざる重量があることを理解できると思うので言わずもがなでしょうが、心理的のほうは鞄の中から本を取り出した瞬間の周囲のザワっと感が毎回結構なものでして、自分で思っているほど他人は人が何をしているか気にしてないとは言いますが、これは自意識過剰などではなく周囲が引くのがわかるのです。それがわかっているなら自宅で読めよってな話なんですが、繰り返しますが私が本を読める時間は通勤中だけなんです。電車内でないと集中して読めない身体なのです。なので頑張って読みました!読み終わるまで5日間鞄に入れて持ち歩いたよ!という前置きです。
今作の主人公は新選組土方歳三ですが、新選組と言われて私が思い出すのは2004年に放送された大河ドラマと、薄桜鬼という乙女ゲームからなる一連のコンテンツです。つまりイケメン集団。それはテレビドラマでありゲーム(アニメ)の世界だけのことであり史実はそうではないことは知識として知ってはいますがそこはもう、イメージの問題ですから。
なので辛かったです・・・。完全に人殺ししたいマシーンの土方さん目線で描かれるこの作品の中の新選組は大抵が莫迦か使えない奴で、莫迦の筆頭が近藤さんで、斎藤さんと新八と左之助あたりはそれなりだけど平助は熱血暴走馬鹿だし、山南さんはこの作品でも山南さん(そこまでイメージは崩されない)だけど総司に至ってはサイコパスの薄汚い溝鼠呼ばわりされた挙句所謂ナレ死扱いだし、そりゃあもう・・・酷いもんでした。芹沢鴨は妙に納得だったけど。
確かに新選組はロクでもない集団だったんだろうし、「外側」から見れば乱暴狼藉の限りを尽くす非道で非情な殺戮集団であったのだとは思います。でもこれ新選組から見た、新選組副長・土方歳三の心情を描いた作品なんですよ。それがこれまでに触れたありとあらゆる新選組のなかでぶっっっっっっっっっっっっちぎりの外道度なんですよ。外道も外道で人外ですよ。もう全編いかにして人を斬るか人を殺せるか人を殺し続けることができるか、土方歳三がただそれだけを考え続けてるんですよ。人を殺しても咎められない立場になるために新選組を作り、人を殺し続けるために藩を動かし幕府を動かす男の物語なんですよ。いや、物語なんてないです。人を斬って斬って斬って殺してしまくって「(俺は)土方歳三だ」と名乗ってるだけだもん。
勝海舟が刀を捨ててその才覚を他で活かせと、そのために尽力してやると言うのもむべなるかなというほかないほど「見えている」のにヒトごろしにしか興味がない・・・いや、ヒトごろしにしか興味がないから余計なものを見ずにゆえに「見えていた」というべきか。
侍になることを夢見る田舎の若者たちが時代に翻弄され破滅へ突き進んでいく物語よりも、一人の鬼が、一匹の人外が、ヒトごろしをするために己の持てる知略の限りを尽くしてそのための仕組みを構築する物語のほうが、まぁ・・・私の好みではあります。
だからだろうか、
『あんたは人を活かそうとしてここに来た。俺は人殺しを続けるためにここへ来た。それなのに、あんたは人を殺し、俺は命を助けてる』
蝦夷地で追い詰められながら榎本武揚に歳三がこう云った瞬間、なんとも言えないカタルシスがありました。