劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season鳥@IHIステージアラウンド東京

楽しかった楽しかった楽しかった。楽しかったしかない。楽しいだけの話ではないし、わたしのお目当て壮絶死するけど、見終わると毎回「楽しかったー!」って言っちゃう。「新感線観たー!」って満足して即座に「もう一回見たい!」って思っちゃう。
身震いするほどの格好よさと歌と笑いと泣きのバランスが文句なしに気持ちよくて(でも踊りは少ない。具体的に言うと森山未來の天魔王様のマントプレイもっと見たかったよーう!)、何度見ても満足で、何度見ても楽しくて、何度も何度も観たくなる。そんな鳥髑髏。

ってマイ楽公演を観る前まではそう思ってたんだけど、マイ楽公演を観終えてもう明日から鳥髑髏を、太一蘭を観られないのだと実感した瞬間の喪失感というか虚無感というか、とにかくもう今抜け殻。そして書きたいことは山ほどあるのにどこからどう書きだせばいいのかわからない。のでキャストごとに思ったがままに垂れ流ししていこうかな。予めお断りしておきますがクソ長いです。垂れ流すにも程がある(読み直して自分で自分の熱量に引いた)。


まずは福田転球さんと少路勇介さんの兵庫と少吉。
平均年齢高めの鳥髑髏チームの中で、役の設定という意味で転球さんの兵庫が一番未知数でした。太夫が松雪さんで捨がサダヲであることを考えればそこまでではないけど、でも蘭兵衛がチーム最年少である太一であることを考えると太夫を真ん中にした三角関係をどう構築し成立させるのだろうかと。そしてこれまでは「兄さ」だったポジションが転球さんより若い少路くんであること。ここをどうするのか思ったらこう来たか!。

最初は違和感しかなかったんですよ。こんなデカイ子供がいるオッサンが自分の息子とさして年齢が変わらないであろう若者を集めて率いて関八州荒武者隊だなんて違和感・・・というよりハッキリ言っちゃうと馬鹿じゃねーのと。「おやっさんじゃねー!兄貴と呼べ!」とか言っちゃってるしさ。しかも初見時は手下たちから「二代目」と呼ばれ「おやっさんを連れて帰るなんて言わないでくれ」と懇願された少吉の語りの「おっかあが病で死んでやさぐれて」ってところを聞き逃してしまったもんで、妻子を捨てて村飛び出して若作りして若者率いてイイ気になってるうえに商売女に入れ揚げるとかクズ野郎じゃねーかとすら思ったんだけど、最後の最後、太夫へのプロポーズシーンでそれ吹っ飛んだよね。少吉が何度も「あのハゲ親父」って言うもののそれは悪口だとしか思ってなかったんで、まさかのガチハゲ親父にぶっふぉwwwってなって(&ショックすぎて倒れそうだった)それまで感じてたモヤっと感がぶっ飛びましたわ(笑)。
と同時に少路くんの少吉もカチっと嵌った。

少吉が何歳ぐらいの設定なのかわかりませんが、プロポーズ時に「こんなでけえ子持ちになるけどいいのか?」と聞くってことは見た目はこんなんだけど実は10歳ぐらいの設定だとかそんなことはなく、それなりに「でけえ子」であると判断していいと思うのね。であればこの時代、村を飛び出した父親なんて放っておいて自分の家族を作ることを選びそうなもんだろと。兄としてやんちゃな弟を放っておけない気持ちは理解できても自力で生きていける年齢の息子が父親を連れ戻そうとするのはちょっとよくわかんねーですなんて思いながら観ていたのが「こんな親父」なら放っておけないかなーって思えてきて、そしてこんな親父の息子だから少吉にも“そういう気質”があるんだろうなーとも思えて、りんどうを挟んで三人並んだ姿が「家族」としてしっくりきちゃって、“あの”蘭兵衛を失った極楽太夫改めりんどうが新しい人生を歩むためにはこれぐらい強烈な旦那と息子が必要だろうと、この二人と「家族」になるならりんどうとして楽しく生きていけるだろうと、そう思えるんだよね。

花の時、過去の髑髏よりも蘭と極楽の関係を深く描いてて、ゆえに太夫が兵庫に対して人としての好意とか頼もしさを感じれど男としてはこれっぽっちも意識してなかったとしか思えず、だからいくら兵庫の言葉に胸を打たれ心動かされたとしても、そこで兵庫と2人で生きていこうとすることがどうも気持ちとして理解できなかったりしたんだけど、だから花よりもさらに蘭と極楽の関係を深めた鳥ではよりそれが強まるかと思いきや少吉が加わることによって男と女としてよりも家族として生き直すことを選んだってな印象が強くなり、それなら極楽ではなくりんどうとして選ぶ道としてわからんでもないどころか納得しちゃった。なんなら初めてこのシーンで感動したわ。

「くんろ」コーナーの酷さwと、客席がわりと真顔な少吉のお尻ダンスwも終わってみればいい思い出・・・というか、わたしここ毎回下手の蘭兵衛の反応をガン見してたんですがワカのときには見られなかった柔らかい表情を引きだしてくれてありがとう!と言いたいです。あと豊臣と徳川軍合わせて二十二万回ぶん殴れば言いだけだという兵庫に蘭兵衛が「兵庫さん」って呆れたように言うんだけど、兵庫に「さん」付けする蘭兵衛ってのがすこぶるときめきポイントでした。


松雪さんの極楽太夫はもうね、発表になった瞬間から絶対に似合うと思ったし馴染むと思ったけど、その通りだったよね。『会って極楽遊んで地獄、男殺しの極楽太夫』の名の通り、色気と漢気を兼ね備えた文句なしの極楽太夫。ほんのわずかの懸念であった太一との実年齢差も今回の蘭兵衛があらゆる意味で大人になり落ち着いた男になっていたので全く気にならなかったし、なにより「生き地獄の苦しみもようく御存知という顔をしてる」ってのに頷ける。ただ綺麗なだけの女じゃない。蘭との関係も男女のソレだけでなく、共に死の淵まで行って戻った同志であり、「怖い目をしてる」蘭を支え引っぱりここまでやってきたのだろうと、本能寺のあと出会ったのがこの女だったからこそ、死にかけていた蘭丸は蘭兵衛になれたのだろうと、そういう説得力が松雪さんの極楽にはある。言ってしまえば男前。いきなりデカイ子持ちになっても「しょーがないわね」と受け止めてくれるだろう感がすごくある。このへんにいのうえさんとかずきさんの巧さを感じずにはいられない。

松雪極楽が最高にカッコいいのはやはりあそこですよね。角丸の名乗りと武器説明を最後まで聞かず(言わせず)「能書きが長いのよ」と容赦なく撃ち殺すところ。「夢は売っても媚びは売らない。それが無界の女の、心意気よ!」この台詞をただ熱いだけでなく死んでいった女たちの想いも背負ってると思わせるところ、松雪極楽のそういうところすごく好き。


梶原善さんの狸穴二郎衛門もまた安心安定の一言。ほかの役と比べてこの役は役者によって“違い”を出しにくい、それが見えにくいと思うのですが、善ちゃん二郎衛門はサイズ感で勝ってたよね。何にかわかんないけど。おるつとのサイズ差、大女と小男がいい感じのほのぼのスパイスだし、無界屋の女たちが歌って踊ってしてる横で被ってきた傘を手に一緒にブラブラ踊るんだけど、途中でリズムが微妙にズレてもマイペースで踊り続けるあたり、なんとも見事な「狸親父」感。太夫が女たちのこれまで辿ってきた日々を歌いながら「無界屋」を描く場面で両肩に米俵を担ぐおるつに俺もやるやる!というも一個担ぐどころか抱えただけでひっくり返っちゃうのもそう。
とにかく可愛いオッサンで、ゆえに実は家康であるという衝撃度が高く、でもなるほどと思わせるだけのオーラもある。そういう意味ではこれまでで一番『怖い』狸穴かもしれない。


沙霧役の清水葉月さんは今放送中のドラマで拝見する限りかなりドスを利かせた声を作ってるんじゃないかと思うので、7月に見た時はワカドクロの二の舞になってしまうのではないかと心配していたのですが、いらぬ心配でした。喉を壊さなかったことのみならずこのキャスト相手にこれだけの公演数をしっかり演じきったのはほんとうに素晴らしい。

で、清水さんにはなんの問題もないんだけど、沙霧→捨をやっぱり「恋愛感情」にするのってなんか違う気がするんだよなぁ。出会った瞬間から沙霧にとって捨は「オッサン」だし、捨も沙霧のことを「若い娘」扱いしてるわけで、今回は髑髏城史上最も年齢差のある捨と沙霧だと思うのね。人を好きになるのに年齢は関係ないかもしれないけど、「オッサン」という認識だった「この捨之介」を沙霧が好きになるかなぁ?と。

捨と天が一人二役だったときは影武者なのに生き残ってしまった捨と影武者であるおじいを始め一族郎党を犠牲にして生かされた沙霧という対比構造があって、沙霧→捨の恋心ってのはそれを土台にしてというか、そんな関係性のうえに生まれた感情だとわたしは解釈していて、だから捨の影武者設定がなくなりその関係性がないのに恋愛感情だけが残っていることに、唐突というか安易というか、そんな印象を持ってるし気持ちとして理解できなかったりするんだけど、でも影武者ではない捨之介をこれまで演じたのは小栗旬小栗旬の捨之介ならまぁ小娘が好きになるかなと、好きになるのもわかるかなと、そんな感じでもありました。だって着流し小栗旬だからね。
でも今回は阿部サダヲです。阿部サダヲには阿部サダヲの魅力がありますが、阿部サダヲの捨之介に出会って数日の小娘が命を賭けてもいいと思うほどの恋心を抱くか?というとそれはノーと言わざるを得ない。得ないだろう。

今回捨之介の話として『本能寺に間に合わなかった理由』というものが新たに付け加えられて、それにより捨にとって沙霧が『特別な存在』であることの補強はされたと思うの。熊木衆の話を自分に教えた=一族皆殺しのキッカケを作ったのは捨之介であると聞かされ斬りかかった沙霧の刀を避けようとせず、さらにどんな事情があったかに加え自分に似た若い娘の話なんてものを聞かされたら捨之介に何がしかの感情を抱くのは当然かもしれないけど、それはやっぱり恋愛感情ではないと思うのよ。捨之介という人間に対する信頼であり好意、友情のようなものじゃないかなと。だから太夫の「女にはわかるのよ」がなければなと思うんだよなぁ。これさえなければ必ずしも恋心「だけではない」と思えたかもしれないのに。本編終わって回転カテコのトップバッターを務める二人のシンクロ動作(すこぶる可愛い)を見ながら毎回ここの関係性が惜しいんだよなぁ・・・と思ってました。


ていうかね、沙霧と似合ってたのはむしろ粟根さんの渡京なのよ!!。いや似合ってるっつってもここもまた恋愛方面じゃないんだけど、捨を助けるべく髑髏城へ侵入するときに道案内する沙霧がここから入れって手招きするんだけど、そこで渡京と沙霧はイエーッ!ってハイタッチするのね。命からがら脱出したってのにまた戻ってきちゃったよあたしらどうしようもないね(にがわらい)とやけっぱちのイェーッ!だとわたしは思うのだけど、こいつら息ピッタリじゃねーかよってな感じなの。そして沙霧を守っての立ち回り!裏切りだけで生きてきた男が初めて刀を抜いたのが沙霧を守るためとかさあ・・・!いや基本は自分のためだしコロ助くんの敵討ちなんだけどさ、沙霧と渡京のやりとり全てがこう・・・馴染んでてだな、出会ったばかりだというのになにこの幼馴染か腐れ縁かってなふんいき・・・っ!と思わずにはいられないのよーう!。

ていうかていうか「俺は裏切ってばかりで戦ったことがないので自分でも己の力がどれぐらいかよくわからない。手加減などという小技は使えんぞ、心して掛かってこい」と言いながら黒手袋を装着する粟根渡京のカッコよさよ・・・!
「またつまらぬものを数えてしまった・・・」のキマリっぷりよ・・・!!
ここで「待ってました!」と言わんばかりの拍手が沸き起こるこのホーム感たるや、やっぱりわたしは新感線が大好きだーーーーーーーーーーーーー!!。
ところで髑髏党スタイルで沙霧を連れ髑髏城から脱出し無界の里まで逃げ延びた渡京は次のシーンで妙に金掛かってそうな着物に着替えてんだけど、この間渡京に何があったか、コイツが何をしてたんだか、それがものすごく気になるんですが・・・w。


我らが池田成志さんのみんなだいすき贋鉄斎はもう最高以外に言葉がねーです。花にはなくて鳥にあったもの、それは『笑い』だと思うのだけど、それを偏に担っていたのは成志さんの贋鉄っちゃんでした。

花にももちろん笑えるシーンはあったけど、花の笑いはその瞬間の笑いでしかなかった。ひとによって受け止め方は違うでしょうがわたしにとってはそうで、格好よさを追求する花の作品カラーはそれはそれで良かったと思うけど、やっぱりどこか疲れてしまったんだよね。鳥には随所に笑いがあって、どれほどシリアスな場面でも笑いを取りに行き、それが成功であれ失敗であれそこで一旦気持ちを弛緩させてくれるからそれに続くドシリアス展開にぐっと集中できるし、それが舞台のテンポを作ることに繋がってた。

でね、成志さん(とサダヲ)のすごいところはね、基本同じことをやってるんだけど(終盤は回を重ねるごとに全てのコッテリ度と適当度が増してたけどw)何度見てもその場で湧き出たアドリブのように見せて魅せて感じさせるところなんですよ。よくも悪くも出オチだった古田贋鉄斎に対し成志贋鉄斎は段階を踏んでそのキチ感を浸透させていくスタイルで、つまり出てるシーン全部面白いの。そして身体張ってる。誰よりも身体を張って笑いを取りに行く成志さんには笑いながらもキュン☆とする気持ちを抑えられなかったね。ズキュンも。
雷太鼓をガラガラ引きつつ見事な絶対領域を惜しげもなく披露しどんだけハードな状況でも笑わせにくる贋鉄っちゃんってばあまりにもファンタジー&キュートすぎて最後らへんでは妖精さんかな?って感じにすらなってました。ていうかまじ「贋鉄っちゃん」って呼びたくなる(笑)。歴代贋鉄斎のなかで一番好き!。


さて。残すは捨と天と蘭。森山未來早乙女太一のワカドクロコンビが続投するのに対し阿部サダヲの捨之介。

小栗旬のみならずこれまでの捨之介のイメージには全くと言っていいほど重ならない阿部サダヲをかずきさんといのうえさんがどう捨之介として料理するのかお手並み拝見(なんという上目線)ってな気持ちで客席に着いたのですが、『地に潜る忍び』としたこと、これ大当たりの大正解でした。サダヲに合ってることもそうだけど、「地に潜る俺(捨)と人心を掴む奴(天)とで天の男(信長)を支える」という「天・地・人」の構図がよりわかりやすくなった。

で、この物語は「天」がこの世からいなくなってしまった後の話なわけで、であれば残された「地」と「人」の物語ということになるよね、普通は。だからと言っていいのか、ワカドクロ以前は捨之介と天魔王を一人二役としていた。でもワカドクロから捨と天の役者を分け捨の影武者設定がなくなったことにより、捨之介というキャラクターの骨格がはっきりしなくなったように思う。ワカでも花でも“草の者”という説明があったように記憶してるけど、ワカ以前の着流しの男前スタイルを継承してることもあって実際にどんなことをしていたのか、そのイメージは曖昧だった。
で、鳥ではそこが明確になり、加えて捨が本能寺に間に合わなかった理由も付け加えられたことで捨之介というキャラクターにまた新たな血肉が通った。それを演じるのが抜群の主役オーラの持ち主である阿部サダヲ。何度も何度も観てきた作品の主人公の改変をこうまですんなり受け入れられたのは阿部サダヲだからってなところがかなりの割合であると思う。

ていうかあたりまえに受け止めちゃったけど「あのワカドクロの森山未來早乙女太一」を相手にこのビジュアルこの年齢でありながら全くひけをとらないどころかビシっと真ん中に居ることができる阿部サダヲってすごいよね。あの二人に存在感で負けないってかなりすごいことだと思う。
捨之介と言えば「浮世の義理も 昔の縁も 三途の川に捨之介」ですが、その点今回の捨は全然「捨之介」じゃないんですよ。天魔王の首を取るべく“馬鹿のフリ”してるぐらいなわけで、むしろ過去に縛られまくりの捨之介。でもそこにひたむきさを感じるんですよね。殿のためだけに生きてきたであろうひたむきさ。だったら何があろうと本能寺に駆けつけそうなものだけど、そんな捨の性格を天魔王は知ってるだろうからおそらく捨が捨て置けないほどの“トラップ”を仕掛けてたのだろう。そうとわかっていても捨はそれに引っ掛かるしかなかったのだろう。それは弱さなのかもしれないけど、サダヲ捨の“そういうところ”が沙霧以下仲間たちを動かしたのではないかな。

七人にはそれぞれ髑髏城へ向かう動機がある。捨之介を助けにいくことだけがその理由というわけではない。これまでは会って間もない捨之介を助けたいというこれまた会って間もない沙霧の頼みを聞く形ではあるものそれぞれの動機のほうが大きいのだろうと思って観ていたのですが、鳥髑髏は動機の上に「捨之介を助けたい」という想いがあるように感じた。それぞれの動機の向かう先に「天魔王を倒させるために捨之介を救う」という共通目標があるというか。そしてサダヲの捨之介には「あいつなら天魔王を倒せる!」と思わせるだけの何かがある。それはきっと『ヒーロー感』というものなのだろう。天魔王に「地べたに這いつくばらせてやる」と言われて返す言葉が「地の男は地べたに這いつくばってからが本番だ!」なんてもうもうもうっ!(毎回の拳握りポイント)。
鎧の“弱点”について信長が“捨にだけ”教えた(聞かせた)のはつまりそういうことだよね。そういう捨之介だからこそ、慢心した時には戒めてくれと託すことができたのだろう。
それを『捨之介だけ』が聞かされていたこと、これは天魔王にとって相当な衝撃・・・・・・だったんだろうなぁ。

太一の蘭兵衛がワカドクロ時と比べ行けるところまで行ったというか、究極の高みまで登りつめた感があるのに対し、未来ちゃんの天魔王は印象としてスケールダウン感がありました。未來ちゃんの技量とは全く関係のないところで天魔王のキャラクター自体が矮小化されてるというか。

そう感じさせられた理由として、今回天魔王が光秀をそそのかし本能寺の変を起こさせたという“真相”について、天魔王の「動機」が描かれていることがある。天地人なる関係性であり、蘭や捨の敬愛っぷりからして髑髏城の七人という作品に於ける織田信長は大層魅力的な男だったと思うよね。そんな男に仕え支えることはさぞ楽しく満ち足りた日々だったのではないかと思わされるのに、なぜ天は本能寺の変を引き起こすようなことをしたのか。殿を亡き者にし自らが「天」となろうとしたのか、そこが謎であり、天魔王というキャラクターの恐ろしさでありエキセントリックさの源だったと思うの。で、今回それが明かされた。

「殿はなくなるその時までお前のことを気にかけていた。私の手を掴み「天下のことは忘れろ、織田のことも忘れろ、お前の好きに生きろ、そう蘭丸に伝えよ」と。私のことは何一つ言わずにな」「そんなのは殿じゃない。あの人の最後の言葉はそんなくだらないものじゃない」「あの人の天はすべて私のものだ。お前(蘭丸)もまた私の駒だ」
って嫉妬かよと。殿に愛される蘭丸への嫉妬の塊じゃねーかよと。私の殿はこんな殿じゃない!蘭丸ではなく私を見てくれない殿なんていらない!って、そんな子供じみた動機だったのかよって、天魔王の化けの皮が剥がれた感じすらしたよね。天魔王はとにかく蘭兵衛のことしか見ていない。殿に最期の瞬間まで愛された蘭丸を手に入れそしてぶち壊そうと、殿の最期の言葉のように好きに生きさせてなるものかと、ただそれだけ、ただそれだけの男でしかないじゃないかと。

ああ、ワカドクロで未來ちゃんの天魔王に感じた卑屈さであり小物感ってのはこういうことだったのか。太一の蘭が鳥髑髏で完成形になったのに対し未來ちゃんの天は解体されたんだな。

天魔王は蘭兵衛のことしか見ていないということは、捨之介のことなんてどうだっていいんだよね。ハナから相手にしてないどころか眼中にも入ってない。そんな男が殿から「鎧の弱点」という「自分が知らなかったこと」を教えられていた。殿にとって『特別』なのは蘭丸だけだと思ってたのに、そんな男が殿から『特別』を貰ってた。プライドずたずたですよねほんと・・・。

鳥髑髏の天魔王はやたらめたら「イグザクトリー」言いまくるんだけど、これなんかすごい納得だった。イグザクトリーのみならずちょいちょい英単語挟むんだけど、たぶん一生懸命英語勉強したんだろうなーって。待ちかねてたエゲレスからの手紙を読むのも超速だし(誰かが日本語に訳したかもしれないけど、この髑髏党に翻訳・通訳ができるような人材がいるとはちょっと思えないw)、俺エゲレス語もイケまっせ!という意識が「イグザクトリー!」に出ちゃってるんだと思うとフフッ・・・って感じ(笑)。地球儀勢いよくぐるぐるまわしすぎて適当に扇子で指すも枠にぶつかりカタカタしちゃうのとか、最初は頑張ってジパーングの位置を探すんだけどぜんぜんわからず(見えず)あきらめてちょっと悲しそうにするのとか可愛すぎるしさあ!(なんかこのときの天どうぶつっぽかったw)。あ、あと蘭に状況説明する場面で本来なら天魔王がラップするところを終盤に入ったあたりでカナコさん生駒がやるようになって、ノリノリで合いの手入れつつラップ終わりで「イェーーーッ(低音)」ってハイタッチすんのクソ可愛かったw。やっぱ未來天魔王キュートだしラブリーだし最高だよな!という結論。

でもさあ、だからさあ、未來天魔王の敦盛鳥髑髏Verが見たかった。見たかったよおおおおおおおおおおお!。
ワカドクロよりもさらに布量を増し増ししたマントを華麗に翻しながら敦盛を舞う未來天魔王がなかったこと。これだけは心底不満です!!!。

そのかわりと言っていいのかわかりませんが、「人生五十年。夢幻の如くなり」を蘭が言うんだよねぇ。これ最初ものすごく驚いて、なぜ天ではなく蘭がこれを言うのだろうかと必死で考えたんだけど、今回の蘭は蘭兵衛を残した蘭丸のように思えて(「無界屋蘭兵衛は死んだ」のではなく「もういない」と言うところにその気持ちが表れてるんじゃないかな)、だから「人生五十年」で殿のことを想い、そして「我ら、天に生きる者が作るこの世の悪夢、たっぷりを味わうがよい」と続けるのは蘭兵衛としての未練を断ち切るために自分で自分にそう言い聞かせてるのかな・・・というところに落ち着きました。加えて今回は天と捨ではなく天と蘭を「対」にして描いているので、天が蘭を操るのではなく天と蘭を並び立たせるために、この台詞を天ではなく蘭に言わせたのかなーと。
無界屋を襲撃することであるとわかっていながら「秀吉より先に潰すべき男がいる」と天に告げた蘭は女たちを斬りながら自らも血を流しているようだった。斬った女に触れ天を仰ぎ目を瞑り、そして捨てたはずの過去を振り切るように小さく頭を振り、歯を食いしばり立ち向かってくる荒武者隊を斬り捨てる蘭は完全に正気なだけに、蘭兵衛を捨て蘭丸に戻ることを蘭自身が選んだのだということがダメ押しとばかりに伝わってきて、痛くて哀しくてどうしようもなかった(蘭がそんななのに天は殺した女を椅子代わりにするどころか女たち(死体)の下半身の前や後ろを刀でつんつんしたりぐりぐりしたりしててコイツ・・・・・・ってなったよね)。

というわけで蘭兵衛さん。全部よかった。全部のシーンが最高で最強で最狂だった。ここがイイここが素敵ここがヤバいここが最高って一から十まで全部書き連ねたい気持ちは死ぬほどあるけど、言葉にならない。今でもはっきりと覚えてる新感線の舞台で早乙女太一を初めて見た時の衝撃を思い出しながら、無界屋蘭兵衛の完成形、最高到達点と言っても過言ではない太一の蘭兵衛を観ることができて大げさでなく頑張って生きてきてよかったと、そう思います。
完全に酔っ払い状態で登場する蘭兵衛さんは「野心に生きるは遅すぎる、女に生きるはウブすぎる、夢に生きるは切なすぎる。過ぎたる我が身の亡八稼業。粋じゃねえよなあ」といいつつそこいらにあるものを次々と武器に変え鉄機兵を流れるように瞬殺していくんだけど、そのあとで着物の裾をひょいとつまんで小川をぴょんと飛び越えるの。ここ好き。
「兵庫さん、無茶ですよ」って言ったあとひとさしゆびで頭カキカキするの。これ好き。
ヤマコーさんに比べたら色里の主感はまだ足りないけど、本来はそんな柄じゃないんだけど何の因果かそんな立場になってしまって、その居場所を心地よいと思いつつもそんな自分がくすぐったい・・・みたいな、色里の主になれてるようでなりきれない、そんな蘭兵衛で、太一が蘭兵衛としてこういう成長の仕方を見せてくれたことが誇らしいのなんのって。
 
一蘭と言えばの殺陣も速さは無論のこと今回は槍や刀を突き刺したあとでグリグリ抉ってて、手数としたらワカのほうが多かったんじゃないかと思うのですが「殺ってる感」は今回のほうが断然上で、これもまた太一の進化の現れだよね。無界屋襲撃のときワカでは死体の着物で刀についた血糊を拭っててうわあ・・・と思ったもんですが、今回は鎧スタイルなんだけど片袖だけヒラヒラしてて(片袖だけ脱いでる着こなし)なんでだろ?と思ったらその袖で斬ったそばから刀拭っててそのための袖か・・・!ってんでうわあ・・・度倍増しだし。
天に真意を明かされ斬られたあと、痛めた右手を庇いながら斬り合うのもそう。流麗なだけでなくちゃんと痛みを感じさせる殺陣であり、そして傷を負いながらもやはり華麗だとかマジでどんだけ殺陣お化けなんだよと。
そんななのに半蔵名乗りでは天とシンメで真顔でコケるんだよね(笑)。コケの角度と戻しの早さまでシンクロしてる天と蘭なんだよね(笑)。
わたしが太一の殺陣で毎回叫び出したいのを必死で堪えていたのは半蔵とのバトルで蘭がジャンプするところ。銀髪ポニテ+赤い着物でジャンプする太一はこの世に舞い降りた戦いの神以外のなにものでもなかった。
カテコの最後で時々サダヲに無理やり中央に押しやられてしまい(サダヲと太一がよく締め役の押し付け合いしてたw)、無表情でおじぎしてそのままサダヲの横を素通りして小走りで戻っちゃう太一をにがわらいで見送るサダヲの図になんだかちょっとホッとしました。こういうとこやっぱり太一は太一だなってw。



あーとうとう終わってしまうんだな。もっともっと観たかったけど、でもものすごい満足感でいっぱいです。真夏にこの劇場に通うだなんて・・・と絶望してたのはなんだったんだと思うほど、たのしい夏でした。
今わたしが言いたいのはただ一言。
早く鳥髑髏の円盤買わせてください!!!!!!!!!!!!!!!(できればブルーレイで!)。