劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season風@IHIステージアラウンド東京

2004年以来となる捨之介と天魔王の一人二役復活!!!ってんでとても楽しみにしていた風髑髏でしたが、あれ・・・?あれれ・・・・・・?一人二役ってこんな感じだったっけ・・・・・・?。

ワカ以降、捨之介と天魔王に「同じ顔」設定がないことに対しツッコんだり疑問点を抱いたりあれやこれやと頭を悩ませていたはずなのに、いざ一人二役Verを見たら思ってたほど別役Verとの違いを感じないどころか一人二役であることにさして面白味があるわけでもなくって困惑してしまった・・・・・・。古田新太市川染五郎の捨天を脳内美化しすぎていたこともあるかもだけど、自分で思っている以上に捨と天を違う役者が演じるプランに馴染んでいるってころもあるのかなぁ?。もっと脚本的に意味があるように思ってたし、捨と天の入れ替わりも「わー!」ってな驚きがあったように思うのだけど、どちらもそうでもなかった。
さっきまで捨だったのに次の瞬間天魔王がマスクとったら松ケンだったー!ってな場面はもっと過剰に「ドヤアアアア!」ってしていいと思うな。

とはいえ別役Verと比べて筋としてのわかりやすさはやっぱり一人二役Verのほうがあるんだけど、そのわかりやすさがなんていうか・・・淡白な印象に繋がってしまってるかなぁと。その淡白さは直前まで観ていたのが盛りに盛って最終的に全部乗せ状態になってた鳥だから(鳥と比べて)ってことがおおいに影響してるでしょうが、まぁ・・・・・・地味。花や鳥と比べて色味のない舞台はそれはそれで好みというか、むしろ好みというか、舞台美術とライティングは花よりも鳥よりも「髑髏城の七人」の世界観を表わし現わしていると言っていいんだけど(捨と天の一騎打ち、髑髏の間の前に道場のような空間で戦うんだけど、これが明かり取りの窓から月光だけが差し込んでいるような空間で、まさに刀のようで、ここは髑髏イヤーに残る名場面(舞台美術)だと思う)、そこで真ん中にいるのが華のない松ケンなので、だからまぁ・・・・・・・・・地味ですわ。

ってのが全体の印象ですが、松ケンの捨天は悪くない。とくに天魔王は「織田信長」を感じさせる天魔王で、ワカ未來→花成河→鳥未來の流れからここまで正統派の天を作り上げるのって勇気がいったんじゃないかと思うけど、原点回帰という意味でも面白い天魔王だと思う。色男じゃないけど気のいい兄ちゃんっぽい捨との演じ分けもしっかりできてるし、見栄えは正直そうでもないんだけどw足技を混ぜた殺陣もこれまでの捨とは違うオリジナリティだし、この先の進化が楽しみな捨之介であり天魔王。

でもそれは松山ケンイチ単体での評価なんだよね。松ケンにはこの舞台を引っ張っていくだけの、もっというとこの舞台のマイナス点を補うだけのパワーがない。この言ってしまえば勢いだけで粗ありまくりの物語を体現する存在としての熱量がないんだよなぁ。加えてくりかえすけど華もない。生瀬狸穴と圭哉兵庫が出来る限り支えて締めてしてくれてるけど役のバランスを考えればそれには限界があるわけで、華はともかく熱量がない人ではないと思うので、ここからガンガンあげていってもらいたい。

生瀬さんの狸穴と圭哉さんの兵庫はどちらもさすがの安定感と存在感。間違いなく風髑髏の二本柱。

期待&予想としてはじゅんさんの贋鉄斎と合わせて三本柱だったけど、贋鉄斎としての役割はしっかり果たしてはいるものの古田贋鉄斎はともかく成志先輩贋鉄斎のあらゆる意味でのインパクトであり奮闘っぷりと比べると、物足りなさは否めない。登場時に流れる音楽が完全にレ・ミゼラブルのOPをアレンジしたというかパクったというかwそんな曲なのでその瞬間はぶち上がったけど。じゅんさん贋鉄斎が圭哉兵庫と出会った瞬間の「・・・///」ってな間にキターーーーーーーーー!!と期待したのに、ちょこちょこスキンシップを試みてはいたもののそこから特にハッテン(笑)することもなく、単なるキャラ設定で終わってしまってガッカリだよー。

ていうか圭哉の兵庫がフツーにカッコいいんだよね。今回の荒武者隊は北斗の拳のザコたちみたいなビジュアルなんだけど、それを率いるモヒカンしっぽで誰よりもガタイがいい兵庫はまさに「アニキ!」でマジ拳固最強!!ってな感じなもんで、それこそ太夫はなんだかんだで兵庫に惚れててもいいんじゃないかと思ってしまうほどなのよ(というよりこの兵庫がこの太夫に惚れるかなぁ・・・・・・・・・と)(あ、でもキャバ嬢に夢中だと考えればわりとしっくりくるかもw)。それなのに劇中ではそのカッコよさがスルーされてるのが気持ちとして納得いかんの。荒武者隊にオネエがいるのに兵庫のアニキにキャーキャー言うわけでもないし(じゅんさん贋鉄斎と直接絡むこともないし、ならなんでこんなキャラ設定にしたんだろう?)。

それはつまりバランスだよね。役と役者のバランス。花と鳥ではキャラとしては全然違うものの蘭―太夫―兵庫の三角関係、兵庫は太夫を想い太夫は蘭を想ってるというこの関係性に説得力があったのはそのバランスが良かったからであり、その点風はよろしくないかな・・・・・・と。

って、もうお茶を濁すようなというか奥歯に物が挟まったようなというか、回りくどい書き方をしてることに気付きますかね?。実際に観た人でなきゃこの「こりゃ駄目だ感」を理解することはできないと思うので文字にするのは諦めますが、いやあ・・・・・・・・・覚悟してた以上でしたわ。立ってても動いてても喋ってても全部のっそりしてるんだもん。言葉選ばずに言うけど見ていられない。まだ開幕して10日ぐらいだし、これまでに経験したことがないような動きであり台詞であり役なんだろうから多少のことには目を瞑るつもりでいたけど、目瞑りっぱなしで開くに値する瞬間皆無でした。誰がやろうがここだけは絶対に外さないだろうとしか思えない「来い!太夫!」がこんなにスローミーでぼんやりしたものになるだなんて理解できない。生でこの場面を見て何も伝わってこないだなんて衝撃ですわ。技術がないなら熱意で補えよと。もっと必死さ見せろよと。これはさすがにこの出来をどう思っているのかいのうえさんに聞きたい。

舞台ってさ、みんなで作るものだからひとりふたり足を引っ張る役(者)がいてもそれを総合力で補うことができると思うのね。そういうところも舞台の良さだと思うのです。だけどそれには限度ってものがあるのだということを、わたしはこの風髑髏で知りました。生瀬勝久をもってしてもカバーしきれないこともある。新感線の舞台でそんなこと知りたくなかったけど知ってしまった。

生瀬狸穴は色っぽかった。捨之介よりよっぽど色気のあるイケおっさんだった。1幕で天魔王が捨と蘭にまた一緒につるもうぜーって誘いに来る場面で髑髏党を前にして(ここ舞台奥で天魔王を中心に髑髏党が一列に並ぶの花鳥よりもずっとかっこいい画だった。やっぱ黒って問答無用でかっこいい悪のオーラでるよな!)捨と蘭とともに狸穴も刀を構えるんだけど、そこ生瀬狸穴がぶっちぎりの圧倒的に格好よくて完全に中心にいるからね。たぶん観たひと全員がそう思ったことでしょうが、風髑髏に生瀬勝久が狸穴二郎衛門として出演してくれてほんっとーーーーーーーーーーーによかった。生瀬狸穴も圭哉兵庫も観ている間はここでこのカードを使ってしまったのは勿体なかったんじゃないかなーとか思ってたんだけど、観終わった今はここできらずににどこできる!になりました。ありがとう生瀬さんありがとう圭哉さん。

あとタヌキがすこぶる可愛かったです。なのになんでカテコでタヌキと一緒に出ないのサンボくん!!。