『おんな城主 直虎』第6回「初恋の別れ道」

これまでもいろいろと思うところはあったでしょうが、
「お互い親のことでは苦労するな」
これは決定的な一言になるんだろうなぁ・・・・・・。
鶴ちゃんが亀のことを「いろいろと苦労もしただろう」と言ったけど、10年の間亀は亀でいろいろと思うところがあったんだよね。
玄播は亀之丞改め直親のことを「聖人君子」と言うけれど、そして井伊のおっさんたちや領民たちもみんなそうだと思っているのだろうけど、それは10年の間に作り上げた鎧のようなものなのではないかな。それを政次の前だけでは、鶴の前だけではほんのすこし外してみせる。
直親にそういう意図はないかもだけど「親のことでは苦労するな」というその言葉に言葉以上の意味を感じとれるとしたら、それは政次だけだろうし、また政次にとってもこの言葉はずっとこころの真っ黒い塊の真ん中に留まり続けるんじゃないかな。
で、親のことで〜は亀的には含みなんてなかった(そんな自覚はなかった)としても、「おとわはお前のものにはならん」発言にはバリバリ含みあったよね。亀はおとわの気持ちを直接聞いたわけで、自分の立場のこととあわせておとわと夫婦になることはないんだと納得しただろうし諦めもしたんだろうけど、おそらく鶴はそこいらへんの事情を知らないよね。聡い鶴ちゃんなので察することはできるとしても、おとわの口からハッキリ言われたわけじゃないから亀のように割り切ることはできないだろう。そういう鶴の気持ちを亀は弄んだ、ということだよね。
しかし亀はあれだな、還俗が赦されないなら死んだことにすればいいとか顔こそ似てないものの性格は父親に似ちゃったな。片やガハハ片や爽やかと笑顔の種類は違えど笑顔で自分の要求を押し通す感じが父親によく似てる。
それはそうと、政次の「恐れながら」に勇ましいのは口だけかと思ったらばりばり強かった大爺様をはじめ井伊のおっさんらから文句とか出なかったし、直親に紹介された玄播の挨拶にも厭な顔するとかそんなこともなかったし、父親の死後小野兄弟は蛇蝎のごとく嫌われていた父親ほどの扱いは受けてないということか。
であればなおさら政次のなかで何がどう育ってしまってのあれやそれになるのか、この先のことを考えると怖いわ・・・。
ってなわけで、雀を手懐けるサダヲ竹千代の愛らしさですよ。子供に見えるわけじゃないんだけどちゃんと子供を演じてる阿部サダヲってやっぱりすごいというか特別な人だなぁ。
鷹に餌やって朗らかに笑う氏真に対しサダヲ竹千代のサイズ感がいまのところとてもいい相乗効果を齎していると思うのですが同意はいりませんw。