『おんな城主 直虎』第11回「さらば愛しき人よ」

ああ、小野政直が息子に「いずれお前も俺のようになる」と言ったのはこういう意味だったのか。
息子の性格、人格、井伊の人間との関係性、そういうこととは関係のないレベルで、『井伊家の為』に、『井伊を守るため』に、誰かを見捨てる時がくると、そういうことだったのか。
そしてそれは井伊の人間からすれば裏切りになるわけで、井伊を守るためにはそう思われるしかないわけで。
これまでも政次の言動、特に会議の席でのものの言い方や目線なんかに父親の影が見えたけど、今回は政次の顔そのものが父親のソレに見えた。これまでは演技(技術)としての類似だったけど、父親の言葉に込められた意味を理解したであろうこの瞬間に見せた顔はそういうものを凌駕したというか、メイクとか撮影技術とかそういうものも関与しているのかもしれないけどあまりにも似ていて恐ろしいものを見た気すらした。
父親そっくりの顔になった政次は、今度こそ「父親のようになる」ことを受け入れたのだろう。直親と命と引き換えに虎松を、おとわを、井伊を守るために、自らの意志で。
小野の人間として受けてきた数々の仕打ちがつもりつもって闇落ちするのかと思ってたというか、これだけされたら闇落ちしても仕方ないだろってな感じで政次のことを見てたけど、これ結果的には「直親を売り」「井伊を乗っ取ろうとする」という(井伊から見れば)史実通りに進むにせよ政次は自らそうすることを『選んだ』という形になりそうだよね。どれだけ恨まれようが憎まれようが、井伊のためにそうすると決めたのは政次自身なのだと。
そしてその先にあるのはおそらく井伊のために切り捨てられる、切り捨てることを望む政次・・・・・・・・・ということではなかろうか。
これまでは思いが伝わらない、分かってもらえないことで苦しみ傷つく鶴ちゃんであり政次だったけど、これからは自分で自分をギリギリと縛り血を流しながらも誰にもその痛みを悟られないようにする政次が見られるということのなるのだとしたら、強がる高橋一生が大好物のわたし発狂です。


しかしあれですよ・・・サダヲの偽者としてのキャスティングだとおもうとまぁわからんでもない気がしなくもないですが、ちょっとこう・・・・・・なんでだよ感はあったですよ。お蔭で妙な(余計な)緊迫感がなくもなかったけどまさかそんな効果を狙ったというわけではないですよね?。


元康に裏切られたと知り怒りに打ち震える松也氏真はとてもいい顔面圧でした。顔面積が広いと画面から遠く離れていても表情がよく見えていいよね!!。