貫井 徳郎『壁の男』

壁の男

壁の男

家々の壁に原色を使った稚拙な絵が描かれている街が話題となり、フリーライターの男が取材すべく現地に向かう。絵を描いた人物の特定は容易でアポなしで接触するもその男は極端に無愛想で取り付く島もない。仕方なく周辺調査をする中で、フリーライターはやがてその男自身への興味を抑えられなくなっていく・・・という物語。
なぜ他人の家の壁に稚拙な絵を描くのか、なぜ稚拙な絵を自宅の壁に描かせるのか(それを認めるのか)、その二点について調査するフリーライターの視点で「絵を描く男」を掘り下げていく構成かと思いきや、その男自身の視点が出てくるんですよね。例えば日記という形だとか、誰かに語っているだとか、そういうことではなく唐突に男の物語が過去回想のような感じで描かれるのです。貫井さんだけにそれがラストの衝撃に繋がるのだろうと期待を抱きながら読み進めたんだけど、特にそういうことはなく、じゃあこの「男自身の視点」はなんだったのかと。別におかしいとかそういうんじゃないんだけど、貫井さんの作品だという先入観がそこに何かあるんじゃないかと思わせるので、なにもないとガッカリしてしまう貫井読者の性というかエゴというか。
絵を描く男の物語、その過去であり人生は辛いもので、そんな男の描く絵が笑顔を呼び救いを齎す。簡単に言ってしまえばそういうことなんだけど、そこには男だけでなく人々の苦しみや孤独があって、描かれる絵が子供にも笑われるほど稚拙なものであるってのは、その苦しみや孤独の深さと比例しているというか、その象徴だったりするのかな。