小路 幸也『明日は結婚式』

一日三食パンでもいいほどのパン好きの女性と、パン屋の息子だけどパン職人ではなくフリーのデザイナーの男性が結婚することになり、双方の家族それぞれの視点で結婚式の前日を描く物語です。

まず本を手に取ると花婿と花嫁が目に入りますよね。そしてその周りで幸せそうな笑顔を浮かべているひとたちは2人の家族だということはぱっと見でわかる。で、↑この表紙画像では確認できませんが、表紙をめくると表紙裏の袖(帯で隠れてるけど)のところにわんこがいるわけですよ。
そんで目次を見れば 名前と年齢と属性と新郎新婦との続柄が書いてあって、ああこれは表紙絵の人たちで、小路さんお得意の多視点による群像劇なんだなと予想ができる。

であればわんこの視点もあるに違いない!やだちょっとそれぜったい私泣くやつ!!

と思って目次を確認するんだけど、そこにわんこの名前らしきものはない。
犬視点は云ってしまえばファンタジーだから、そういうのは取り入れずに、でも物語のなかでいい働きをするんだろうなと、期待どころか確信して読み始めました。


犬でてこない。
新婦の家庭(家族の視点)にも新郎の家庭(家族の視点)にも一向に犬がでてこない。

もしかして家族じゃないの??結婚式の前日に迷子犬を見つけてしまってさあ大変!とかそんな話になるのか??
とか思いながら読み進めると、新婦の父親の視点のなかに新婦の弟が「たまたま犬の散歩から帰ってきた」の一文が。
そしてその後読み終わるまで犬はまったくでてきませんでした。

つまりですね、新婦の家では犬を飼ってるみたいなんですよ。それなのに家族の誰も犬のことを気にしてないの。明日結婚式を終えたらそのまま結婚相手の実家のパン屋で暮らす、つまりずっと住み続けた実家で暮らすのは今日が最後になる新婦が飼い犬に対してなにひとつ思うことがない(ノー描写)ってどういうことよと。
結婚前日の夜に家族揃って食事をしてるのに、そこに犬の存在はない。その夜父親と息子が会話をする時間はあるのに、そこにも犬の存在はない。そんな話ってあるかよ。
嫁ぐために家を出る姉が弟に“自分がいなくなったら両親が淋しがるから思いっきり甘えてやれ”と言うのは結構だけど、そこですら犬を絡めならこの話に犬いらないじゃん。犬も「家族」として描かないなら表紙に犬を描くなよ。

そう。なにが腹立たしいって表紙に犬がいることなのよ。そこに犬が描かれていなければ犬を飼ってるだなんて思わないし、犬の散歩から帰ってきたという描写で「え?犬飼ってんの?」と驚きつつも、その後犬に触れられないことにプンスカしつつも、それでもここまで憤慨することはなかっただろう。表紙にいないってことは言い方悪いけどこの家族にとって犬の存在は「その程度」のものってことなんだと解釈するだけで。
でもそこに犬がいればそれを目当てにしちゃうよね?私間違ってなくない?。


ドラマなんかで視聴率稼ぎで犬や猫を出すことってよくあるんだけど、それと同じ狙いで表紙に犬を描いたのだとしたら、そしてそのためにたった一文だけ犬を出したというならば、すごくガッカリです。この先小路さんの作品を手に取ることを躊躇うかもしれないほどに。