『逃げるは恥だが役に立つ』第4話

あれ?ガッキーの可愛さで明るいドラマになってるけどもしかしてこのドラマって孤独がテーマだったりする?。
家事代行を通じて接点を持った二人が『契約結婚』することになる1話は“ありえねー!”の一言だったけど、そのあり得ない設定でありながら共感できる場面が増えているのは「平匡さんの孤独」(と誰かに必要とされたい(受け入れてもらいたい)「みくりの孤独」もあるだろうけど、みくりは可愛すぎるので共感はできない(キッパリ)!!)に共鳴してしまうからで、それこそがこのドラマの描きたいこと、本質ということだったりしますかね?。
平匡さんが「いいなあ・・・愛される人はいいなぁ・・・」とか呟いた瞬間うっかり涙ぐんでしまったのだけど、このシチュエーションでこの声音でこんなふうに言わせるとかラブコメのそれじゃないよ。この胸に怒涛の勢いで押し寄せる切なさはラブコメのそれじゃないって。
単純に「恋愛感情」としての「愛される人はいいなぁ」ってんじゃないんだよね。ないんだろうなぁ。他人から愛される価値というか理由というか、そういうものを持ってる人はいいな=自分はそういうものをなにひとつ持ってない、これまで35年誰からも一度も愛されない=選ばれない人生を送ってきたってなことなんだろうと、まさに自尊感情の低さ溢れる呟きにほんとに本気で心の底から平匡さんかわいそう・・・と思うと同時にものすごく共感できる自分もいて、つまりわたしもかわいそう・・・・・・・・・。
それに小賢しいという言葉ではないけど似たようなことを言われた経験があるのでこれがエヴァ演出でなかったらわたしトラウマ抉られて死にたくなったんじゃないかと思うのだけど、そう考えるとガッキーが可愛いからこんなに楽しく観られてるけど例えばこれが森山未來満島ひかりだったりしたら痛々しすぎて見ていられないのではなかろうか(たまたまご両人がパッと浮かんだだけで他意はないです)(ていうかこの二人だったらどんなドラマになるのかそれはそれで興味あるけど)。
しかしまさかここでエヴァ演出が出るとは思わなかったってか、元カレの名前が「シンジ君」だからだとしてもここでエヴァ演出にしようと思いついたのってすごすぎる。この発想だけで充分尊敬に値するけど、エヴァを知らない人のことは気にしないとして、こうまでうまくパロるセンスも見事すぎるってかもう「終劇」が絶妙すぎて感動すらするレベル。
とか思ってたら自尊感情の低い男にたいして『小賢しフィールド全開!』って、むしろこっちが本命でシンジ君はその前フリだったとかー!!。
今回の鍵である「自由意志」という単語をつかってこういう形で次へ繋げるかという展開の仕方も見事すぎるし、今回であり得ない設定ドラマの主人公がみくりから平匡さんに変わり、“ガッキーが可愛いだけのドラマ”から一気に進化した気がする。


個人的に好きだったのは歯医者で「痛かったら手上げてください」って言われて超手を上げてんのに無視されるやつ(笑)。
あとものすっごい鋭いくせにホモ方面に想像してしまう(無意識に仲間を求めているのかw)沼田さんとマスターの「その話長くなりそうだね」→「一杯どうぞ」→「案外短かったね」ってのw。なんかもう・・・平匡さんに感情移入しかけてて苦しくなりつつあるなか沼田さんとマスターのパートは結構な癒しw。