この劇場で平幹二郎の演技をじっくり堪能できたこと。すごくすごく、貴重で特別な時間でした。あちこちの劇評で平さん演じるかつての少年俳優であり今は少年俳優たちを指導する立場になった老優・シャンクが浅利陽介くん演じるスティーブンに演技指導をする場面の“リアルさ”に言及されていますが、この場面からラストまでまさに平幹二郎の独壇場であった。圧巻だった。物語とか台詞とかそういうところではなく(それも勿論だけど)、平幹二郎の演技そのものに、平幹二郎という俳優の存在感に圧倒された。昨年NINAGAWAマクベスを観たときに観劇経験をそれなりに積んだ今だからこそ作品の素晴らしさを(わたしなりに)理解することができたのではないかと思いましたが、この舞台でもそれと同じことを感じました。今のわたしだから平幹二郎の凄さ、凄まじさがわかるのだと。
15分の休憩を入れて2時間半の間、平幹二郎はほとんどの時間舞台上に居て、誰よりも多くの台詞を発してました。平幹二郎が演じるマスター・シャンクは演技指導という自分の仕事を少年俳優自身に丸投げするわ養成所の生徒に払う金を架空請求して懐に入れ続けてるわというダメ人間なんだけど、なんか憎めないんですよね。言ってることやってることは完全にクズのソレなんだけど、たまらなくチャーミングなんです。でも「今」を生きてるわけじゃない。少年俳優ではなくなったときに、シャンクは多くのものを失ってしまったのだろうと、そういう空虚さもあって、人間味に溢れてる。舞台の終盤にわき腹から血をじくじく流しながら語る場面がありますが、その血がニセモノではなくシャンクがほんとうに血を流しているような、そんな気になってしまうほど血肉を備えた人間なんです。
そんなシャンクという役を通じて平幹二郎さんが浅利くんや橋本淳くんたちを容赦なく鍛えてくれるという構図はまさに物語と現実がリンクするようで、何度も胸が熱くなりました。
平さんだけでなく、花王おさむさんと高橋洋さんのポジショニングも絶妙で、この役を演じるこの人たちと共に稽古し舞台を作り上げることが若い役者にとってどれほどの財産になるのだろうかと思うとたまらなく興奮し、嫉妬したもん。わたしの好きなあの人にこの舞台に出てほしかったと思うことってわりとよくあったりするんだけど(好きな俳優にはとことん貪欲なわたしです)、この舞台はその最高レベル。この舞台に出たことで橋本あっちゃんがまた経験値を上げるであろうことが嬉しいし羨ましい!!。
というわけで、わたしのお目当てである橋本淳くん。当時の英国では女役を少年が演じてて、宝塚で女役よりも男役が人気であることの逆だと思えばわかりやすいけど、女役を演じる少年俳優に人気が集まっていたのでしょうが、あっちゃんはその看板(トップ)俳優の通称ハニー役で、とにかくモテモテです。客(男色家)から食事に誘われ、人妻から高価な贈り物をもらい、そして新人俳優から好意を抱かれます。あと直接舞台上でそういう描写があるわけじゃないんだけど、多分洋さん演じるディッキーともそういう関係だったんじゃないかなぁ?。スティーブンのデビュー公演が大成功に終わった直後、次の作品(お気に召すままのロザリンド)はハニーではなくスティーブンでいくと、ハニーはもう『少年』ではなくなってしまったと、そう引導を渡すスティーブンに、ハニーが「それをあなたが言うの?(それをあなたから聞くとは)」ってなことを言うんですよ。
ディッキーは劇場運営の実務的な責任者なのかなぁ?それなりの権力がある“上の人間”なんで、トップスターで=金を産む鶏であるハニーをこれまで特別扱いしてただろうから、そんなあなたが言うなんてってなことかもしれないけど、立場的にはディッキーがそれを言うのはむしろ当然だと思うわけで、だからやっぱりディッキーとハニーの間にもなにかがあったのではないかなとわたしは(願望込みで)思ったんだけど、とにかくあっちゃんハニーは性別年齢問わずモテまくりなんですよ。少年俳優たちと言っても舞台上にいるのは浅利くんと碓井将大くんと藤木修くんとあっちゃんの4人だけなんだけど、看板役者としての傲慢さ、傲慢で気ままなお姫様っぷりは明白で、そして魅力的。白いふわっとしたシャツに紺の膝丈パンツに白タイツ、そしてふわふわ金髪のあっちゃんはまさに小悪魔なんですよ。
そんなハニーにスティーブンは恋をしてるんです。すごい策略(全部演技でしたと言った瞬間わたしは本気でショックを受けました)を用いてまでシャンクの元にやってきた理由は「そうすればずっとハニーの側にいられると思ったから」なんです。それなのに本来ならハニーがやるはずのクレシダをスティーブンがやることになり、そこにはシャンクにとっての理由があってその自己都合が引き金となってシャンクは時代の終わりを突きつけられるという悲劇・・・でいいのかな?を齎すことになるんだけど、シャンクのことはそれとして、ディッキーに引導渡されたハニーは嘆き悲しむんですよね。で、どうなるのかと思ったら、ハニーは男役として舞台に立ち続け、そして今かつての自分にとってかわったスティーブンに言うのです「結婚するんだ」と。
呆然とするスティーブン。ショックだよね!?ショックだよねスティーブン!!!(と一気にスティーブンに共感したわw)。
でもね、あっちゃんハニーはこのあとですごい爆弾を投下するんです。
「どんな女よ!?」(←脳内脚色w)と問うスティーブンに悪戯な笑みを浮かべて「女装したきみに似てるよ」と言って、身体ひとつぶんぐらい離れて座っていた距離を一気に詰めてその流れでスティーブンにチュッってキスするんですよ!!!!!なにこれなにこれなにこれえええええええええええええ!!!!!!!。
やばいあっちゃんやばいあっちゃんやばいヤバイYABAI。
あ、言い忘れてたけどこのときあっちゃんかぼちゃパンツに白タイツな。
ハニー(あっちゃん)の手管まじやばいんだけどハニー(あっちゃん)をこんな男にしたのがディッキー(洋さん)とかヤバい!!!!!と妄想が加速してだな!(察してくださいw)。
で、そのヤバさを越えるのがそうです高橋洋さんです。
もうね、なにがやばいってまずビジュアルがやばい。
幕が上がってしばらくは登場せず、暗転したら洋さんが机に座って事務仕事してるってな登場シーンなのですが、眼鏡!!!もう一度言おう眼鏡ですっ!!!!!!。
しかもこの時代なんでスパニッシュイタリアンタイプっていうんですかね?丸いフレームに紐がついてて、その紐をクロスさせて目に掛けるタイプの眼鏡でして、それで羽ペンで書き仕事してるもんだからもう死ぬ思いで悲鳴を堪えましたわ。
しかもしかも眼鏡常用ではなく書き仕事の時のみ装着するんですよ。つまり舞台上で外す!!!そしてまたかける!!!!!
そんでもって紺色のフロックコートに胸元レースもりもりのブラウスでコートと同じ紺色の膝丈パンツに白タイツですよ。髪の毛は波打つ黒髪ですよ。前髪下りてるよ。どうよ!?どうよ!?死ぬだろ!??死ぬよな!???。
やっぱさぁ・・・やっぱさぁ・・・・・・こういう扮装の高橋洋って特別ですよね。特別なんですよ。
兼役でハニーに妻を寝取られた夫の役もするんだけど、こっちはフォルスタッフを彷彿とさせる外見だし、そこにいろいろと、いろんなものを乗せたくなっちゃうよね、まだね。
で、そんなセンチメンタルでノスタルジックな想いを抱えながら観続けるんだけど、そのあと洋さんなかなか出てきません(笑)。
ようやっと出てくるのが前述のハニーに引導渡す場面なんだけど、この時の議題は『競売にかけられたスティーブンにいくらの値段が付いたのか』『スティーブンを他劇場に渡すか否か』ってことなのね。
スティーブンにクレシダという大役をやらせたのは実はシャンクが横領した金を弁済すべく(その金を工面すべく)スティーブンを身売りするためで、クレシダ役はそのためのパフォーマンスということなんです。だからシャンクスは全力でスティーブンに演技指導する。自分の全てを注ぎこむようにして熱烈指導するんです。それは少しでも高く買ってもらおうとしてのことではあるのでしょうが、シャンク自身を投影と言う表現が正しいのかわかりませんが、わずかな時間ではあるもののシャンクが“育てた”少年俳優の価値=シャンク自身の価値、という意味合いもあったんじゃないかなーと。
シャンクがスティーブンにどれだけの価値を見出していたのかはわからない。必要な「20ポンド」にはなると踏んでたでしょうが(少年俳優たちは値段なんてつかないと思ってたようだけど)、最高額「100ポンド」もの金額が付いた。つまりスティーブンにはそれだけの価値があるということで、だからディッキーは他劇場に渡してなるものかと自分が100ポンドを出すと、そうまで言うのです。
でもシャンクは激怒する。なぜならスティーブンが“自分の教えた通りにやらなかった”から。
それに対しスティーブンは“教えてもらったことは全部やった”と反論する。
確かにスティーブンはシャンクに教えられた通りにやったのだろう。教えられたところは教えられた通りにやったのだろう。でもスティーブンはそこに自分なりのアレンジを加えてしまったんですよね。「女らしい演技」という要素を。
シャンクの掲げる『少年俳優』の在り方は、『少年であることに意味がある』というものなんです。美しく賢い少年が少女を演じることに意味がある。少年であると“わからなければならず”そのうえで少女でもあると、そこに価値があるというのがシャンクの持論なんですよね。
だから少年俳優たちは少年でなくなったときに女役を演じることができなくなる。許されなくなる。多くのものを失う。それをシャンクも、花王おさむさん演じる今は衣装担当のジョンも、それからディッキーも経験してきたんです。
それなのにスティーブンは「女らしい」演技をしてしまった。そしてそれが思いがけない評価を産んだ。100ポンドという金額がそれを証明してしまった。
それはシャンクを、少年俳優たちのこれまでを否定することと同意。
シェークスピア時代の英国では女性が舞台で演技をすることはなかった。だから少年俳優が女性を演じているのだけれど、「女らしさ」が評価されるのならば、求められるのならば、本物の女性が演じた方がいいに決まってるから。それは少年俳優の役目の終わりを意味するわけで、図らずとも、少年俳優スティーブンはその引き金を引いてしまったんですよね。
ハニーたち少年俳優はそんなこととは思ってないでしょうが、ジョンやディッキーはそれを理解してるんじゃないかなーと、シャンクとスティーブンの言い合いを心配そうに、そして痛ましげな表情で見守ることしかできない洋さんディッキーの表情を見ながら思ってたんだけど、ディッキーは言い合いの合間に出来たほんのちょっとの沈黙を逃さず『120!!(ポンド)』と叫ぶのです。ええええええええ!?おまえ頭の中で金の算段してたんかい!!!!!!(笑)。
本気でずっこけたよね(笑)。「120!」「150!!」「もうこれ以上は無理だ!!」ってこの人ほんと今しか見てねえ!!(笑)と思ったんだけど・・・
言い合ってる途中でシャンクの傷口が開いてしまうんです(シャンクはハニーがたぶらかした人妻の夫(洋さん)にわき腹を刺されてます)。倒れ込んだシャンクに駆け寄り抱きかかえるディッキー。
瀕死のシャンクに手を握ってくれと、そばにいてくれと言われたディッキーの『そばにいるよ』ってコレ!!!
それまではまぁ悪口の言い合いしてたわけですよ。シャンクの横領に気付いたディッキーという関係性なんでまぁ友好的な関係ではないわなってなのはそれとして、おそらく日常茶飯事的に悪口憎まれ口叩きあうような関係なんだろうなーと、特にディッキー→シャンクが辛辣なんだろうなーと、そんな感じだったのにこの優しさ1000%の「そばにいるよ」とかーーーーーーーーー!!。
なんでっ!?なんでディッキーはこんなにも優しい声で愛おしげに「そばにいるよ」って言うわけっ!??。
でね、シャンクスはディッキーに「なにか楽しい話をしてくれ」とおねだりするわけですよ。そしたらディッキーは少年俳優として全盛期だったときに脚本家が自分の名前をそのまんま作品に入れてくれたときの話をするんだけど、そこで台詞を諳んじるんですよね。ここ、一瞬で舞台発声になるんです。舞台上にいるわけだからもちろんそれまでも舞台発声ではあるんだけど、それこそシェイクスピア劇のように声をパーンと張るんですよ。これがもう見事で、ああ・・・やっぱりわたしは舞台の上の高橋洋が好きだと、洋さんにまたシェイクスピア劇出てもらいたいよー!と、腕の中に平幹二郎を抱く高橋洋を見ながらそんな感情がブワってこみ上げて涙目になりました・・・。
眼も心も潤う素敵な作品でした。
わたし、演劇を観ることが好きでよかった。舞台の上の洋さんに出会えてよかった。