『法月綸太郎 一の悲劇』

ドラマ化に際し原作を読みなおしたんだけど、そしたら記憶にあるよりもずっと綸太郎の出番が少ないもんでこれどうすんだろ?と思ってたらそのまんまあんまり出なくてシリーズ読者としてはいいんだけど博己くん的にはよくない!・・・んだけど、でもそのあんまりない出番がほぼほぼ「口元を指先でなぞる長谷川博己」だったんでヨシ!!猫(ナイスオリジナル要素!)を撫でる博己くんの指エッローーーーーー!!。そんな感じでした(笑)。
どこだったっけなぁ?えりさんが右京様とか俊作様(青島のこと名前で呼ぶ人初めて見たわw)とかコナン様とか言ってた場面だったかなぁ?。博己くん倫太郎が窓際に立ってるカットが麗しすぎてヒンギャアアアアアア!となりながらも無意味すぎるってか綸太郎じゃねーだろこれ(笑)って笑っちゃう自分がいて、でもやっぱりカッコいいので10秒戻って見る→ひんぎゃああああああ!(笑)→10秒戻る→ひんぎゃああああああ!!(笑)ってなことを繰り返さねばならない場面がなんどもなんどもあって、正味2時間強の作品を観るのに3時間以上かかったことを書き残しておきます(笑)。
綸太郎の“名探偵”設定がない(まだ事件を解決した実績がないから警察内部で全く知られておらずただの“法月警視の息子”ってだけ)こととか、浪岡さん演じる三浦と綸太郎が事件以前から友人関係にあった(警視とも面識あり)のが初対面になってたりだとか、三浦宅に出入りしてる女の存在がなくなってることとか、そのせいか冨沢路子の暴走も突然すぎたりとかちょいちょい原作と違うところはあるものの(その最たるものは家政婦・渡辺えりの存在ですが)(綸太郎が「ぼっちゃん」と呼ばれる違和感たるや!!w)(あ、あと久能警部のキャラ悪改変しすぎだろう!!)、大筋は原作通りで、このご時世大人の欲望に巻き込まれて正真正銘何の罪もない子供が殺され、もう一人の子供も母親が友達を殺した犯人だったという悲惨すぎる話をよくやったなと思う一方で、初めての映像化にあたりなぜこの作品を選んだのだろうかと。
・・・もしかして「一の悲劇」ってタイトルがそれっぽかったから・・・・・・だったりする?。
だってなんでこの話のタイトルが『一の悲劇』なのか、原作未読者にはぜったいわかんないと思うんだけど。と言ってもわざわざ説明するのもアレな理由(意味)ではありますが・・・w。
ていうか一番理解できなかったのは謎演出ですよね(笑)。言ってしまえば古臭い話なんで(出版されたの20年前ですから)、意図的に古臭い演出にするってのはアリだとは思うけど、たぶんこれ意図的じゃないよねw。山倉が身代金受け渡しのために車を走らせてるカットを分割するのとか、わざとダサくしてるわけじゃないですよねw。冨沢路子が逮捕される場面のスローモーションとかあえて恥ずかしい演出にしてるわけじゃないですよねw。だってあのBGM・・・・・・・・・だもん。世界観ガン無視じゃねーかw。
もし、もしも続編の可能性があるならば、演出(のひと)を変えてもらいたい。富田靖子の狂気の前では独りよがり(と言ってしまおう)な演出なんてどうでもよくなってしまったけど、毎回富田靖子が出てくれるわけでなし、やっぱり主役で魅せられるシリーズであって欲しいので。
あ、そうだ。変えてほしいといえば、法月家にあった緑色の天板のテーブルなにあれ。あれは麻雀卓で、あの部屋はバーカウンター付きの麻雀部屋なんだとばかり思ってたんだけど、普通に食卓として使っててびっくりしたわ。麻雀卓ではなくダイニングテーブルだというならあんな仕様のやめてほしいし、麻雀卓とダイニングテーブル兼用のつもりなら貧乏くさいからやめてほしい。
ドラマオリジナル演出として、今回の事件を元にして綸太郎が「一の悲劇」を書いた(それが出版されてる原作ということですよね?)という演出はニヤリとしたけど、であれば出版された一の悲劇に家政婦が登場していないのはなぜか?という謎が生まれる・・・w。