『BENT』@世田谷パブリックシアター

佐々木蔵之介北村有起哉の共演というだけでこの舞台が何を描いたものなのかとか何も考えずチケットを取り、“ナチスが支配するドイツで強制収容所に送られる話”という今にして思えば断片中の断片でしかない情報で“そういう話”だと思い込んでいたものが全然違うと知り、そして幕が上がる前日に丸坊主になった二人の写真を目にし、オウ・・・また丸刈り姿に金を払うのか・・・と白目りつつありとあらゆる心の準備をして座席につきましたが、予想に反してというか覚悟に反してというか、笑いのある舞台で驚いた。まだ逮捕され収容所に送られるなんて(劇中の)誰も想像していなかった時の破天荒マックスとダンサーの恋人・ルディとのやりとり、そこへ闖入する金髪全裸のハンサムガイ・ウルフを加えた(咥えたって即変換されてちょっと笑ってしまったw)やりとりに笑いが起きるのはわかるけど、後半の、石を運びながら交わされるマックスとホルストとのやりとりで一度ならず笑いが起きることに心底驚きました。

ここで笑えること。笑えてしまうこと。これがいいことなのかそうでないのか、作り手が意図したものをちゃんと受け止められての笑いなのか、それを判断するのは難しいというか、人それぞれだと思うけど、これが日本という国なのだ、とわたしは思った。

性的嗜好によって、人間としての尊厳を、命を、奪われる、奪われようとしている男たちの物語を見た劇場からの帰り道、蔵之介の肉体とか有起哉の身体と声を思い出しながら、二人のラブシーンを反芻しながら、それを『娯楽』として楽しめることの有難さを噛みしめずにはいられませんでした。
平和ってこういうことなんだよ。憲法変えちゃダメぜったい。
まさか舞台を見てこんな感想を書く日が来るとは・・・ではありますが、いやでもほんと、観劇に限らず好きなものを誰に咎められることなく楽しめるって平和だからなんだよね。これからも出来る限り有起哉の素敵ボイスを生で堪能できるように、日本が平和で在り続けてくれないとわたしが困る。と思う帰り道であった。


というわけで北村有起哉さん。二幕はほぼ佐々木蔵之介北村有起哉の二人芝居だったので、有起哉の美声をこれでもかー!!と堪能できて耳福すぎた。
しかも語ってるのは蔵之介に対する愛だぜ愛。有起哉の声で愛を語るってだけで全力ウットリなのに相手が蔵之介ですぜ?わたし生きててよかった!。


蔵之介演じるマックスと有起哉演じるホルストダッハウの収容所へ向かう列車内で出会うが、収容所で再会したマックスは本来ならば同性愛者のしるしであるピンクの三角を付けてるはずのところをユダヤ人の印である黄色い星を付けている。最下層のピンクの三角を付けているためにスープに肉も野菜も入れてもらえないホルストに、黄色の星を付けたマックスは肉と野菜を御裾分けしてくれ、二人は言葉を交わすことになるが、そこでマックスが黄色い星を付けるためにゲシュタポとした“取引”について語る。その取引とは、ゲイでない証明をするために酒を呑み笑いながらそれを見物するゲシュタポの前で今さっき殺されたばかりのまだ温かい12.3歳の少女を犯すというもので、そんな話を聞かされたホルストは絶句したものの、マックスを慰め宥めようと手を伸ばす。ホルストの手を「俺に触っちゃいけない。俺は人間のクズだから」と拒絶したマックスだけど、その後、マックスは自分が働く作業場にホルストを配置してくれるよう伯父からの送金を使い交渉する。その理由は「話相手が欲しかったから」。

作業の内容は一日12時間、ひたすら石を右から左に運び、運び終わったら今度は左から右に運ぶというなんの意味もないもので、二時間おきに3分間の休憩があるがその間は直立姿勢を保ったまま立ち続けていなければならない。周囲には高圧電流が流れる鉄条網が張り巡らされ、近くには死体を投げ込むための大きな穴がある。そんな環境下での作業に「話相手が欲しい」という理由で金を使って自分を呼び寄せたマックスにホルストは怒り、口をきくことを拒否する。

でも三日後、「口きかなくて悪かった」とホルストが謝る。これをキッカケに二人は会話を交わすようになるんだけど、この謝り方がすこぶる可愛くて!!!。


ホルストにとってゲイであることの証しであるピンクの三角を胸に付けることにどんな意味があるのか、意味なんてなくてただゲイであるからピンクの三角を付けているだけなのか、そこがよくわからなかったんで、酷い取引をしてまで黄色の星を手に入れたマックスのことをどう思っているのか、話をしたいというだけで酷すぎる作業現場に自分を呼び寄せたマックスにどんな感情を抱いているのか、この時点ではよくわからなかったんだけど、ホルストから謝って、イワシは食べ物じゃねえ!!とかとりとめのない話をしながら、ホルストはずっとマックスのことを「見ていた」と言うのです。看守が監視台から見ているのでお互いを見ることは許されない(それがバレたら射殺される)中、ホルストはマックスに「セクシーな身体だね」と言うのです。そしてマックスもまたホルストを「見ていた」と。

つまり性欲なんだよね。ホルストがマックスに対し抱いていた感情は性欲なんだよ。怒りよりもマックスに対する性的興味のほうが強かった。ゲイだからこんな過酷で非道な状況に陥ってるのに、それでも欲望を失わない。
なんて愚かなんだろうとわたしは思いました。バッカだなーって。
でも次の瞬間打ちのめされた。


ホルストはマックスに言う。「その気になればセックスできる。顔を見なくても触れ合わなくても、お互いを近くに感じるだけでセックスすることが出来る」と。
二人は立ったまま、お互いを見ることもなく言葉とイメージだけで愛を交わし合う。お互いの肌を指を唇を心で感じながら二人同時にオルガスムスに達する。
「俺達は生きている。愛を交わした。俺達は人間だ。だから俺達を殺すことはできない」


彼らにとって、セックスをすることは生きることなんだ。生きていると証明することなんだ。権力に対する勝利宣言なんだ。

エアセックスが見せ場のひとつであると二人が語るのを事前に読んでいたのでそういう場面があることはわかってましたが、いやあ・・・予想(と期待w)以上にすごかった。北村有起哉佐々木蔵之介によるエアセックスの本気度まじすごかったわ。これ夏の場面なんで二人は上着を脱ぎ上裸になってのことで、丸坊主のオッサンふたりが上裸で直立のまま言葉だけでお互いを高めあうとかこう言っちゃなんだけど滑稽なのに、なんか崇高だった。セックスが生きてることの証しというか、必死に生きる二人の男がそこにいた。

エロいこと言い合いながら・・・。

いやさぁ・・・だってさぁ・・・有起哉の声で官能小説のようなエロワードを聞かされたらさぁ・・・・・・困るよね(笑)。目のやり場に困るというより耳のやり場に困ったわ(笑)。
しかもここ上裸じゃん?。蔵之介はムキムキのバッキバキのまじまじセクシーな身体なのに対し、この舞台のために10キロ痩せたという有起哉の身体は細いんだけどちょっとたるんでるんですよ。たるんでるのとは違うのかもだけど、蔵之介と比べると若干頼りない感じで、そこがエロい。坊主頭ですらなんか官能的に見えてくる。


そして夏が終わり秋になるころ、ホルストはマックスに思いを伝えるのです。毎日は辛いけどお前に会えると思うだけで、生きる力が沸くと。「愛している」と。

それに対しマックスはかつて一度だけ本気で愛した男(父親のボタン会社の従業員)も、名前も思い出せない俺を愛してくれたあのダンサーも、不幸にしてしまったと、きっとお前のことも殺してしまうだろうから、俺を愛するな、むしろ憎んでくれと頼む。

でもホルストは愛することは俺の自由だと言う。愛してくれとは求めない、俺がお前を愛するのは俺の自由だと、前を向きながらそうマックスに告げ、そして「俺が左の眉を撫でたら『愛してる』という意味だ」と、これならば看守にはわからないと、これは俺の自由だと言うのです。

そして寒さが厳しい冬になると、ホルストは以前から患っていた風邪がますますひどくなり、咳が止まらなくなる。石を持ち上げることもままならないホルストを見兼ねて薬を貰えるように頼めと何度も言うマックスの言葉を聞き入れないホルスト。手が冷たくてたまらないというホルストを、以前のように愛し合いながら暖めようとするマックスだが、つい興奮しホルストを手荒く扱ってしまう。

どうして乱暴にするんだと、痛いのはもうたくさんだと、優しくしてくれと懇願するホルストに、「俺はお前を抱きしめている。お前がここにいる限り、俺が抱きしめている限り、お前は安全だ」と言い聞かせるマックス。

数日後、マックスが手に入れた薬のおかげでホルストの咳が少し収まる。どうやって薬を手にいれたのかと聞くホルストに伯父がまた送ってくれた金を使ったんだというマックスだが、ホルストは嘘であることを見抜く。しつこく追及され新任の士官のモノをしゃぶったと明かしたマックスをホルストは「お前もピンクの三角を付けるべきだ」と責める。それに対し「士官は俺がゲイじゃないからしゃぶらせたんだ。黄色い星のおかげで薬が手に入ったんだ」と言うマックス。

やがて二人はいつかここを出られたら・・・という話をし始めるが、そこへその新任士官がやってきて、二人の様子から薬を必要としたのはマックスではなくホルストのほうだと気付き、ホルストの帽子を鉄条網の向こうに投げる。それは死を意味することだった。
帽子を取りに行けば感電して一瞬で黒焦げになって死ぬ。取りに行かなくてもライフルで撃たれて死ぬ。

ホルストはマックスを真っ直ぐ見て、左の眉を撫でる。

一歩二歩と鉄条網に向かって歩き出すホルストは、次の瞬間雄叫びを上げ新任士官に殴りかかり、そして撃ち殺される。

死体を片付けておけと命じられたマックスは声にならない悲鳴をあげつつホルストの死体を穴のほうへ引きずっていく。そこへ休憩のサイレンが鳴り響く。マックスはホルストをしっかり抱きかかえたまま、まっすぐ前を見て立ち続ける。

そしてホルストにこう言うのです。
「大丈夫、しっかり抱いてるぞ。初めてお前をほんとうに抱きしめてる。ホルスト、驚いたよ。俺はお前を愛してる。愛してるんだ。お前のことを離さない。こうやっていつだって抱きしめてやる。守ってやる」と。

3分間のあいだ、なんどもなんどもそう繰り返すマックス。

やがて休憩終了のサイレンが鳴り、マックスはホルストの身体を優しく地面に横たえ、そして穴へと落とす。
無表情で石運びを再開したマックスだが、手を止め、10秒数え、ホルストの死体を落とした穴へと飛び込む。
暫しののち這い上がってきたマックスの手にはホルスト上着が。ピンクの三角が付いたホルスト上着に着替えたマックスは、鉄条網へと向かって歩いていく。


左の眉を撫でたら『愛してる』という意味だという二人の中での『合図』がここで使われるか・・・・・・。
同性愛者の物語だと知り慌ててストーリーを調べ確認していたので、ホルストがここで死ぬことはわかってました。だからきっと愛してるのサインはその時に送られるのだろうと、そう予想はできました。
でもだめだった。頭で予想していても、心は受け止めるので精一杯だった。

マックスという男は享楽的で退廃的できっとそういうところが魅力ではあったのでしょうが、典型的なドラ息子で、そんなマックスを献身的に支え愛するルディと2年もの間ゲシュタポから逃げ回ることでルディに対する「責任」とマックス自身は言ったけど、やっぱり愛情だよね、本物の愛情が育まれたのだと思う。だけどそんなルディを自分の命を守るため、結果的に殴り殺した。多分この時点でマックスは愛を失っていたのだと思う。誰かを愛することのみならず自分を愛することすらも。だからどんな取引でもできた。生きるために。

でもそれはただ生きているだけで、なんだったっけな・・・劇中でそういう存在のことをナントカって呼んでるというくだりがあるんだけど、生き延びるためならなんでもするといいつつ実体はマックスもそのナントカと同じだったんじゃないか、とわたしは思ったんだけど、そんなマックスにホルストは「愛」を教え、「愛」を与えたんだよね。権力が心を奪うべく用意した作業をしながら、そんな状況下でありながら、ホルストはマックスに愛を与え続けた。

最後の最期までマックスに「愛してる」と伝え続けたホルストによって再び愛することを思いだしたマックスは、それまでも自分を落ち着かせるというか、心をフラットにすべき場面でそれをしてるんだとわたしは解釈していた“10秒カウント”をし、『愛のために生きる』ことを選んだのだと思う。行為としては自殺でしかないけれど、黄色い星ではなくピンクの三角を付けホルストへの愛を貫くために死ぬ。それはマックスが人間の尊厳を守り貫くために、人として生きるための行動だったのだと思う。

もうね、だらーんとしてほんと死体のような有起哉を力強く抱きしめ支えながら「驚いたよ。おれお前を愛してるんだ」と言う蔵之介さんの神々しさよ。目をかっぴらき、瞳孔開いちゃってんじゃねーか!?ってぐらい目を見開きまっすぐ前(見えるのは看守塔であろう)を見ながら有起哉に優しく語りかける蔵之介さんはそれまでの声音とは全然違って声に「命」が宿っているように聞こえて、切なくて哀しくて今でもこれを書きながら涙目になってるぐらいなんだけど、この蔵之介マックスと有起哉ホルストのラブシーンはわたしがこれまでに観た演劇の中で一番と言ってもいいほどの美しさだった。両方坊主だし片方死体だし、見た目的には酷いもんなんだけどさ、それでもとてつもなく美しかった。


ナチスに迫害されたのはユダヤ人だけでなく同性愛者もだった、という歴史に埋もれた(埋もれがちな)事実を描いた作品だけど、それだけじゃないんじゃないかな。というか、それを今に置き換えることはできてしまう。置き換える必要はないかもだけど、わたしはこれを全く関係のない世界(時代)の話だとは思いたくない。

誰かを(何かを)自由に愛することができることがどれほど幸せなことなのか、その当たり前の幸せを守りたい。
と有起哉を抱く蔵之介をボロ泣きしながらそれこそ瞳孔全開で心のHDにプロテクト録画しながら思うわたしであった。