『わたしを離さないで』第1話

森の奥にある施設で子供たちが世間から隔離された状態で暮らしてて、月に一度購買会が開かれそこで使われる“通貨”は毎日の生活で褒められたり認められたりすると貰えるってな話をつい最近読んだんで、あれ?わたし知らず知らずのうちにこのドラマの原作読んでたのか!?と思って自分の感想文確認したら、わたしが思い出したのは浦賀さんの作品のことだったんで単なる類似ってことで納得です。基本設定がかなり似てるけどまあよくある設定ということなのだろう(だと思っておく)。
で、学校に赴任してきた新人教師が美術偏重に異を唱えていたものの子供たちが臓器移植のための存在であることそのものには驚かなかったということは、このドラマの世界観としてそれは「アリ」だということなんですよね?。
新人教師はこの学校で学ぶ子供たちが“そういう存在”である、この学校は“そのためのもの”であること自体は認識してて、そうとわかったうえで赴任してきたということなんですよね?。
綾瀬さんが出入りしてる医療施設も非合法というわけではないし、医師たちも別に犯罪を犯しているわけではないのだと(でも言い方わるいけどトドメ刺して処分するのは自分達ではやらず綾瀬さんにやらせるんだね)。
冒頭で春馬とともに摘出手術されていた誰かは綾瀬さんにとって同じ施設で学んだ友人なのかもしれないし、顔も知らない(学年が離れている)人かもしれないけれど、用済みになればボタンひとつで“焼却処分”できるのがこのドラマの世界であると、そういうことか。
手術中の医師達が綾瀬さんが処分した個体が臓器摘出されるのは「4度目」ってな会話をしてたけど、綾瀬さんが最後に見てたメールの内容からして現実とは違って臓器移植に伴う条件の適合ってのはもう必要ないってことなのかなぁ。子供たちは誰かの“クローン”なのか?と思ってたんだけど、誰もがもしもの時の備えとしてクローンを用意しておくような世界観だとしたら他にも同じような学校が大量に必要になるのではないかと思うわけで、この学園が特殊であるという描き方をしている以上、それはないと思うんだよね。であればクローンを持てるのは限られた立場の人間のみ、具体的に言ってしまえば金持ちのみってことになるんじゃないかなと思うわけで、となると子供たちに擦り切れたりほつれたりしてる服を着せることはないよね。贅沢させる必要はないけど清潔な服を着せてやればいいだろうと。まぁ学園が着服してる可能性はあるけどさ。
とするとやはり子供たちは特定の人間のための存在ではないのかなと思うわけで、そして現実と同様に臓器移植にはもろもろの条件が適合しなければならないのならば条件が合わず「天使」としての「使命」を果たせない者も少なからずいるのではないかと思うわけで、もっと言えばこの程度の人数じゃ移植希望者のニーズに応えられないのではないかと思うわけで、となるとそこいらへんはもうクリアされていて、適合性とか考えずにサクサク移植ができる世界なんですよーってなことかなと。
で、世間的には臓器摘出用というだけの存在、人権もなにもない単なる摘出用パーツの容れ物でしかないという認識であるならば生命維持のための食料を与え健康にだけ注意していればいいわけで、教育を施す必要はないかもだけど、綾瀬さんのように摘出されることなく(されたとしても普通に暮らせる状態に戻れた)存在し続けるものもいるわけで、そのための教育だということなのかな。でも美術重視の理由はわかんないけど。ていうかそんな閉鎖空間でもイジメは存在するのかと・・・。
そういう世界観の中、そういう存在としてこの世に生み出され、そういう存在として生きることを強いられ、その『使命』をまっとうすることだけを目的に生きる以外の選択肢がないというか、それ以外の生き方があることを知らない綾瀬さんと春馬と水川さんの間でどんなことが起こりどんな時間を過ごし今現在どんな関係性であるのか?とか、今後明かされていくのであろうそれらに興味はあるけれど、さすがにこれはちょっと人を選ぶんじゃないかなぁ・・・。
大きくなったら春馬になる友彦と大きくなったら綾瀬さんになる恭子がまだ子供の感情とはいえお互いにとって特別な存在であるってことはわかる作りになってたんで、やがて成長した二人がどんな愛情を育むのか、どんな愛の形が描かれるのか、この重苦しすぎる世界観の中でこそ二人の感情は光となるのだろうってな期待は持てるけど、わりと豊富な今クールでその期待だけでついていける視聴者が果たしてどれだけいるか?という不安がちょっと・・・・・・。
世界観的に万人受けを狙って作ってるわけじゃないでしょうが、それでもわたしはひとりでも多くの人に三浦春馬を見てもらいたいたいのよー!。