『花燃ゆ』第16回「最後の食卓」

実家に戻って最後の幸せなひと時を過ごせた松陰先生に対し、入江と靖兄弟は例え死を前にしたからといって劣悪な獄環境の岩倉獄から出ること(出してもらえること)なんて出来ないんですよね。そういうものだとわかっていても、そこいらへんどう思ってんですか文さんよーと思う気持ちは否めません。
つーか武家の娘が逃亡しろと訴えるとかなんなの?なんのつもりなんですか文さんよぉー。
武家の娘という立場を抜きにしても、兄がなぜ今実家に戻ってきているのかといえばそれは司獄さんの“厚意”であり“好意”のおかげであるわけですよね。おそらく独断でこっそり帰宅を許してくれただろうに、逃げたりしたら司獄さんがどんな処分を受けるのか考えもしないって人間としてどうかと思うわー。ただの囚人じゃないんだよ?藩命で江戸に出頭しなきゃならない囚人がその前日逃げましたーって、切腹もんだろ。福川さんにだって家族はいるのに、もしそんなことになったら文はどう責任取るつもりなんだって。結婚したとはいえまだ10代の小娘だからなんて理由になりませんよ。人間性の問題だもん。
そりゃ文にとって兄上は特別な人間なんだろうよ。とにかく兄が生きること、文にとってそれが最優先事項なのだろう。だったら寅兄の言うことは絶対!!ってなスタンスでいればいいのに暗殺計画のことはチクったりすんだよなぁ。なんなのこの女。ついでにとってつけたような寿さんのフォローもなんのつもりなの?。
つーかこれが一番イラっとしたんだけどあの状況で富永先生(妄想)出すのやめて・・・。富永先生は妖精さんのような存在だけど、それは立ち位置であり存在感という意味でのことであってあんなわけわからん登場のさせ方ほんとやめてくださいよ。
初回からずっと出てる超重要人物が、吉田松陰が、いよいよ次週死ぬというのにこの盛り上がらなさったらちょっとすごいわよね・・・。
文によって寅が暗殺を企てていることを知った父と兄がまさに命がけでやめるよう懇願したというのに、松陰先生は迷うことなく自らの志であり大義を貫くことを選んだわけだよね。その時点で松陰先生は家族を捨てたんだとわたしは思ってたんですよ。だからこの期に及んで家族の団欒見せられてもピクリとも感情は動きませんよ。家族は寅次郎の思想をどこまで理解していたのか、家族にとって寅次郎がどんな存在であったのか、そこいらへん心情としては全く理解できないから、寅次郎が旅立つ朝それぞれが己として生きていくために種を蒔こうと言いながら和やかに食卓(この時代に「食卓」って言葉をつけるのがこのドラマのレベルということですよね・・・)を囲む杉家に対し切なさではなく気持ち悪さしか感じません。