『花燃ゆ』第17回「松陰、最期の言葉」

トンデモ展開とはいえ井伊大老VS吉田松陰のお白洲対決はさすがに見応えありましたが(演技という観点でね。それぞれの立場の違いや二人の主義・思想の違いがどこからくるのか、そして言葉の裏にあるであろう本心、それらがしっかり描かれているとは到底言えないので二人が発した言葉に感情が動かされることはなかった)(ていうかその間に入るのがじゅんさんとかw。松陰先生の最期だというのにじゅんさんに二朗さんとか笑わせようとしてんのかとw)塾生パートがチンタラしててなぁ・・・。杉家パートは言わずもがな。
ていうか井伊との対決も高杉との会話も伊之助とのやりとりも伊勢谷松陰先生はとてもいい表情で語って(訴えて)いたのに、諸国を廻って人々の暮らしを見たから彼らの平和を脅かすものは異国であれ幕府であれ許さねえとか言われてもその様子は全く描かれなかったから松陰先生がどんなものを見て感じたのか全然わからないし(もちろん異国の脅威も)、「“こんだけ”先生といたのに何も身についてない」と晋作が嘆くほど先生と晋作が同じ時を過ごした感じは全くしないし、つーか「死して普及の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」という言葉が松陰先生から晋作に託されなかったってどういうことよ!?と。この言葉があるからこそ高杉晋作のこれからがあるんじゃないの?(次回晋作のもとに手紙が届くんですよね?)。かと思えば諌めにいったはずの伊之助が牢内まで入り込んで結果煽ってるし、なんなのこれ。伊之助どのツラ下げて松陰先生の遺物もって戻ってきたんだよと。つーか桂さんどこいったんだよと。
それから松陰先生が二朗さん演じる沼崎さんに託した留魂録、これが靖の手に渡る流れはグッとくる話なんだけど、二朗さんをキャスティングしたからには一応はやるだろうけどこの描写で留魂録の存在が歴史にさほど詳しくない視聴者にどれだけの記憶となって残るのかと思ってしまう。いい話なのにー!。