『花燃ゆ』第15回「塾を守れ!」

松陰先生が抱える言葉が届かないことの苦しみを、文ではなく敏三郎がわかってやれるってのはよかったけど、「俺が殺る」と覚悟決めてる弟のことは必死で止めるくせに他の塾生のことは誰も立ち上がろうとしないとプンスカした挙句「絶交」とか言いだす松陰先生バカっぽすぎる。そら高杉に「ご機嫌取り」言われるわなー。しかも伊之助に今やらないやつは何も為さずに人生終わるとか言ってたけど、今はその時じゃないと言う高杉はちゃんと時期を見極めてやることをやるわけで。
松陰先生が弟を止めたのは、弟がそんなことを言いだしたのは条約に反対するという思想によるのではなく、それもあるにせよ、それよりも言葉が届かない辛さに共感しての「寅兄の代わりに(為に)」という想い、自分は寅兄を見捨てないという想いからの決意であり覚悟であるから・・・ということでしょうが、でも塾生たちも口では大義がどうのと言ってても最終的には「松陰先生がやれって言うから」であるわけで、とすれば弟だけ止めるってのはやっぱり甘い(と思わせる描写だ)とわたしは感じた。
まぁ松陰先生にしてみりゃ自分の意思は同志である塾生たちの意志であると信じて疑ってなかったんだろうけど、久坂と高杉は動いてくれないわ稔麿くんは返事くれないわってところへもってきて自分に共感してくれるのは聾唖の弟だけだと、自分の孤独は言い方悪いけど聾唖者のそれと同じなんだと、そう思い知らされたのだろうし、その流れでのラストの嘆きっぷりを見ると松陰先生も気の毒というか、天才ゆえの孤独、日本のこれからが見えているのに伝えられない、動きたいのに動けない、動いてくれない絶望は見て取れるし、筆を取り上げられてしまったことで伝える術すらなくなってしまったってんで狂気がぐんぐん育ってしまったってのはわからなくはないんだけど、でも金子くんのことがあったというのに今度は入江と靖兄弟があの岩倉獄に入れられてしまうことを思うと「英雄になりたい」とか「それは僕の人生じゃない」とか言ってる奴はじゃあ死ねよとしか思えない。そんなこと思いたくないのに。
どれだけ言葉を連ねてもわかってもらえない、理解したいのにできない、その苦しみは質は違えど寅次郎に対して文や伊之助も抱えてるわけで、所詮“他人”である塾生たちはどんどんと思想が暴走していく松陰先生にはもうついていけないってんで離れることが出来るけど、家族はそうはいかないわけで、寅次郎の気持ちを慮って塾生たちの憎しみを買うことをわかったうえで自分が獄に繋ぐよう進言したと“嘘”をついたというのに「お前なんかもう友達じゃない」って言われちゃった伊之助切ないのーとは思ったけどもはやどうでもいい。1話はあれだけ漲ったのね。