『JIN−仁−』第8話

この先史実通りになるならばドラマ的に号泣必至な龍馬の最期をよりすごいものにするために、その魅力を余すところなくダメ押しとばかりに見せつけてくれた回、でした。口先だけで大金を工面してみせる「器のデカさ」を見せつける一方で、契約書をよく確認せずにあんなクソ医者に引っ掛けられるドジっこっぷりに加えて恭太郎さんに「嫌いでした」と言われポッカーーーーーンとなってしまうというアホ可愛い一面も見せるだなんてもうもうもうっ、ズルすぎるぜ龍馬さん!。
龍馬の器がデカイことは明らかだし、洪庵先生が命を削るようにしてペニシリン=仁先生を守ってくれたことも合わせて、ここまで器のデカイ男達が惚れ込んだ仁先生の器もまたデカイってな展開になるのかと思ったんだけどそうではなく、仁先生の器はさほど大きくはないものの、その器一杯ギリギリまで満たすために必死で努力することができる、そしてその器の小ささを隠したり取り繕おうとしたりもしないと。そんな仁先生に惹かれ、みんなが仁先生を助けたいと、守りたいと思うんだと。仁先生の器はとても美しいのだと。ほほー、そういうことかーって潤み目で頷きながらもそういわれた仁先生が例によってバリ(馬鹿っぽい)笑顔で「はいっ!!」と元気よくこたえたもんだから、思わず噴き出してしまいましたw。仁先生・・・そこはその返事でいいのですか・・・?w。
「器」をキーワードに、これまで医術の世界では神扱いだった仁先生が金策という壁にぶつかったことで、これまでのなにもかもがみんなに守り助けられてきたからここまでやってこれたんだと改めて自覚するという話に、もうひとつの大きくはない器・恭太郎さんの話を絡めるのはこれまたいい展開だったと思う。龍馬や洪庵先生、勝先生はアホっぽい言い方だけど「すごい人」なのは明白だし、野風さんだって一握りしかなれない花魁だから選ばれし者なわけですよね。佐分利だって山田先生だって“お医者様”だし、もちろん仁先生は特殊な立場だしね、そういう意味ではこれまでの物語は“普通じゃない人たち”が作ってたと言えると思うのです。でも恭太郎さんは“普通の人”。お武家様ではあるけどそれは産まれがそうだからということであって、恭太郎さん自身は普通サイズの器の持ち主、なんだよね。今回の話がこれまでと比べると“地味”に見えたのは、そんな普通の人目線の物語だったからじゃないかな。普通の人と言っても土下座一つで400両出させたわけだから、器のサイズは同じでも恭太郎さんの器は陶器で町民の器はプラスチックぐらいの違いはあるだろうけどw。そんな普通の人である恭太郎さんが、坂本龍馬と自分(の器)を比較して落ち込んじゃうってのは共感できるよなぁ。てか仁先生に淡い恋心を抱く咲ちゃんにも共感というか応援したい気バリバリだし、橘兄妹可愛いよなーって今回は特にそう思った。恭太郎さんは自分より遥かに身分が低い役者に公衆の面前で土下座をし金を貸してくれと何度も請い、咲ちゃんは「少々トウがたってはおりますが」と断わりながらも自らの身体でもって金を作ろうと覚悟した。どちらも武家の人間としては最も屈辱的というか・・・誇りを傷つける行動なのではと思うのだけど、それをまさにシンクロでやってのける橘兄妹はほんっとに可愛いw。龍馬や洪庵先生や勝先生が後世に名を残す一方で、こうやって自分に出来る限り精一杯生きてる人達がいたんだよなーって、当たり前なんだけどさ、そんなことを思ったりしました。そしてそのクライマックスが仁先生が恭太郎さんに言った「恭太郎さんは私の最高の護衛なんです!」って言葉で、確かに恭太郎さんは最初っから仁先生を守り続けてくれてたじゃん!って、わたしちょっと目からウロコでした。死ぬほどの怪我を負いながらも仁先生を守ってくれたことも、それからずっと仁先生にご飯食べさせてくれてることも、すっかり忘れてました^^。いや、忘れたわけじゃないんだけどさ、仁先生がモロモロ馴染みすぎててそんなことは頭の中から消えちゃってた。すまん、恭太郎さんw。男子たるもの人前では泣いてはならぬと言いながらも(仁先生に対するイヤミか!w)我慢できずに泣いてしまった恭太郎さんを見て、龍馬も仁先生も涙ぐんでしまうという冷静に見たらちょっと気持ち悪い空間が出来てるのを廊下から眺めながら、冷静に将来についての会話を交わす野風さんと咲ちゃんがすこぶるカッコよかったですw。確かに地味だけど、共感という意味ではこれまでの回で最も入り込めた回だったと言えるかな。
てかさ、咲ちゃんもそれなりのお歳なわけだから遊郭というところがどういうところなのか(具体的にナニをどうするのかw)ある程度分かっているんだろうけど、その上で「旗本の娘というもの珍しさはございましょうし」と妙に冷静というか男の中のマニア心とか征服欲とかを理解してそうなのがちょっぴり切なかったでありんす><
そんな咲ちゃんの貞操の危機を「おっと、そんな大切なものを売り渡しちゃいけねーよ」と言って颯爽と(・・・でもないかw。小判ばら撒いて「おとといきやがれ!!」だもんねw)救った田之助様には思わずきたああああああああああああ!と雄たけびを上げてしまいました。ぶっちゃけ幼少の頃から男女問わず文字通り身を売ってここまでのし上がってきた“女形”ならば吉沢悠よりもナリ様の方がお似合いなのでは?(同枠のブラマン繋がり)とか思ったし、吉原で(町中だっけ?)挨拶代わりにポーズ決めるのはいいとしても女形で売ってるのに何で見得w、とは思ったものの、見終わってみたら悪くなかった!逆にナリ様だったら(いろんな意味で)当たり前すぎて血の滲むような思いでここまでのし上がって来た感が薄まるというか、吉沢悠だからこそものすごい努力をしたんだろうな・・・ってのが伝わってきたのだと思うのでアリ!吉沢悠アリでした!(褒めてますからね!)。つーか悪医者に金返す場面では小判ばら撒いていいむしろばら撒いて下さい!と思ったけど、最初に仁先生たちが貸してくださいとお願いしに行った場面は別にばら撒かなくてもいいと思うの。だっていちいち拾い集めるの大変じゃんw。だがそこで小判をばら撒きそれを足で踏みつけるのが歌舞伎役者としての外連味、なんですよねー。ええ、とてもいいと思います!(念押ししますが褒めてます)。
てか今思い出したけど、ウッチーと吉沢悠と来たら伝説のコスプレドラマ・エースを狙え!の宗方コーチと藤堂さん(はぁと)じゃないですか!!二人とも・・・いい役者になりましたね・・・(じいいいいいいっん><)。
つーかまぁこれはちょっと意地悪目線ではあるんだけどね、今回のキーワードが「器」なのだとすると、今回メインを張ったコイデップン・吉沢悠水沢エレナは、たかお・内野さん・中谷さん・綾瀬さんと比べたら今はまだ「役者の器」が違うといえるわけで、もちろん狙ったわけではないでしょうがこれもまた一つの相乗効果と言えるのではないかと思ったわw。あらゆる要素が全てこうやっていいほうに転がる(受け止められる)ってのはその作品がノッてる証拠だと思います。

しかしなぁ・・・・・・困ってる人を助けたとか言い訳言ってたけどさ、栄様が恐らくとても大切にしていたのであろう父上の形見を『入れあげてる女のために使う』ってのはいただけないわぁ・・・。ていうか最低><恭太郎さん最低よっ><田之助さんにもう一回土下座して形見取り返す代金貰ってきなさいよっw。


今回は歴史の改変に関わるようなことはなにもないのかなー?と思ったところでラスト(次回)に驚愕の展開らしきものが待ちうけてました!。仁先生のあのこれまでとは比較にならないほどの驚愕っぷりからして写真がものすごい変化をしてるのだろうけど、・・・写真の中の未来の隣に仁先生はいなかった・・・とか!?(大穴としては仁先生がいないだけではなく山田先生と同じ顔の人物が写ってるとかw)。で、今回の何が写真をそこまで変えた理由なのか?と考えたらそれはもう仁先生による「龍馬さんは私が絶対助けます!」宣言しかないと思うわけで、あーっもう楽しみだけど龍馬さんが死んじゃうのは絶対イヤだし終わってほしくないしでもう大変!。