『ランナウェイ〜愛する君のために〜』第6話

なんの打ち合わせもしてないのに警察がうようよいる中見つからず再会(合流)できるのはもう脱獄4の絆(笑)ってことでいいとして、あれだけ何度も追い詰めてんのに毎度毎度逃げられる警察って逆にすごいんじゃないかって気がしてきた(笑)。てかトシちゃんは鞄を渡そうと伸ばしたアタルの手にがしゃりと手錠掛けるのかと思いきや拳銃出して「手をあげろ!」って何やってんのw。“親友に手錠掛けられるのか?”と聞かれてたけどその答えがコレってことかよw。しかもそうなるであろうことは予想できるけどやっぱり予告で逃げられたことが明らかだしw。もうわざとやってるとしか思えんw。
それにしても橋上に追い詰められた場面はすごかった。あまりの展開に目を見張った。落下するさくら姐さんを片手で救いつつ片手でぶら下がり続け、最終的に指の力だけで姐さんを持ち上げ自分の身体も橋上に引き上げるとか火事場のクソ力にも程があるw。
で、瞬はミタさんばりの悲惨な過去持ちであることが明かされましたが、えーっと、裏切ったとかそういうことよりも瞬って・・・・・・無罪じゃなくね?って方が重要じゃね??。ヤクの運び屋やってる時点でグレーだと思ってたけどさ、自分に指示出してた男が裏切るつもりだと取引き相手(?)に告げ口したのは男が殺されるであろうことを見越してってことでしょ?つまりそれは未必の故意ではないのかと。全員本当は無実であるってのが脱獄4が逃亡劇の中で犯す軽犯罪(今回で言えば車パクったこととか)の免罪符になってたと思うんだけど、瞬が完全にクロであることが明らかになった以上受ける印象が違ってしまうと思うのだけど。
でも抜け殻のような瞬がリュウさんに頭から水ぶっかけられて冷たいよー!ってギャーギャーすんのはやっぱり可愛いんだよおおおおおおおおおおおお!。なので許す(笑)。
可愛いと言えばガンプラを脱獄4に見立ててご満悦のPANDAさんですよ!!!!!えーっと、リュウさんがVガンダム?でアタルがケルディム、空哉がインフィニットジャスティスで瞬がダブルオーで間違いないですかね?。PANDAさんの嗜好に統一性が見出せないのはわたしがガンダムをあまり解ってないせいでしょうか^^。でもアタルがケルディムはない!断じてないと思うんですけどPANDAさん!。
って次回ついにPANDAさんとのご対面きそうだわああああああああああああああああ!。


今回一番笑ったのは「あやまればいいんだろ!すいませんでしたー」という子供みたいな蔵元父でした(笑)。だってあれ一応命乞いの場面なのよ?しかも相手は少年のようだとはいえ今世間を騒がせてる脱獄犯なのよ?なのに超棒読みって(笑)。しかもちゃっかり2億持ち逃げしようとしてるしクソ野郎のお手本のようでした(笑)。
で、そのクソ息子役に押し込まれたジュッタのダスト内での立場がわからん^^。

『深夜食堂』第十六話「クリームシチュー」

今日はクリームシチューが“くる”予感がするからと作りそしてそれを完売させるマスターを見て、この店の経営が成り立ってる理由が分かった気がしました。
そして吹越とクリームシチューの組み合わせはエロイ。なぜだか分からないけどとてもエロイと感じました。この人どんな小説書いてるんだろ。親子三人揃ったところで捨てずに取っておいて補修した原稿を渡してやるマスターが秘密めいた笑い顔してたんだけど、やっぱエロ系の小説なんかなぁw。
いやさ、娘がバイトでキャバ嬢やってるのって煮こごりの回のイクミさんのように親の借金返してるとかそういう理由があってのことじゃなかったよね?。キャバ嬢ぐらいだったら今は割りのいいバイトって程度で心理的ハードル低いのかもしれないけど、娘はそれがバレて内定取り消されたところでデリヘルに行ったわけじゃん。キャバ嬢ぐらいなら“普通”にしてもデリヘルはさすがに普通じゃないと思うわけでさ、お金を稼がねばならない理由が特にあるわけじゃないのに自暴自棄だかなんだか知らんけどデリヘル嬢などというものになった理由は潜在的に自分と母親を捨てた父親を求めてなのかなぁ?と、そして娘にそう思わせるようなものを父親は書いているのかなーなんて思ったんで。
ていうか、父親が呼んだデリヘル嬢が娘だったという偶然よりもこの広い大都会の中で父親と娘のいきつけの店が同じだったというほうが過ぎたる偶然な気がするんだけど、吹越が“捨てた”家がどこにあるのか分からないけど同じ店を贔屓にするぐらいだからめしやからそう離れてない場所なのではないかと思うし、吹越が現在暮らす場所もそう離れてないってことなのではないかな。とするとこっちも無意識に捨てたつもりの妻と娘の側にいたかったのかなーなんて。

『QP』#9

トイレの個室内、つまり便器に座った桔平の「な、なんだってえ親父があ!?(ぼうよみ)」クッソワロタwwwwwww。
結局トムとジェリーは我妻を裏切らざるを得ない状況になったわけで、それを仕組んだ桔平はもちろんムロツヨシも我妻を取りにくるっぽいし、そんでもって元も本当に自分が兄貴と慕うべきだったのは誰なのか分かったみたいだし、みんなが我妻を狙ってる=我妻総受けタイムに突入と、そういうことでよろしいか?。

また源さんに会えるわーーーーーー!

●テレ東系「湯けむりスナイパー」 2年ぶりの復活
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2011120202000187.html

元殺し屋(遠藤)が秘境の温泉宿の従業員となって奮闘する物語。09年の連続ドラマ、10年の正月放送に続く、2年ぶり一夜限りの復活だ。遠藤は「善悪、コメディー、エロスにナレーションと全力を注げる役。高視聴率で連続ドラマ再開につながれば」と気勢をあげた。

生きる希望ができたお!

これはアリ!全力であり!!!

http://ameblo.jp/chibayudai/
千葉ちゃんのブログで『★TBS『白戸修の事件簿(仮題)』主演・白戸修役』の文字を見かけて慌ててググったら
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/02/kiji/K20111202002152350.html

俳優の千葉雄大(22)本郷奏多(21)の宮城県出身のイケメン2人が初共演する。

来年1月スタートのTBS「白戸修の事件簿」(金曜深夜0・20)で、千葉演じる就職浪人の主人公が、本郷扮する幼なじみと再会したことをきっかけに事件に巻き込まれていくコミカルなミステリー。

ちょおおおおおおおおおおおお!奏多くんもいるとか聞いてねええええええええええええええええ!!!!!!!
白戸くんって壮絶なまでの巻き込まれ体質で、でも自覚はあってそんな自分を楽しんでるようなフシがある青年なのね。頼りなさそげなんだけどひらめきでもって飄々とトラブルの対処にあたるタイプ。つまりアラタからヒーロー属性を抜いた感じなんでw、千葉ちゃんの白戸くんはほんと全力でアリだと思う。でも奏多くんが演じるという「幼なじみ」なんていたかな・・・?ツール&ストールを下敷きにするのであれば、白戸くんに数々の頼みごとという名のトラブルを運んでくる「友人」をまるっと奏多くんに担わせちゃうのかしら。てことはもしかして、小悪魔奏多くんなんじゃないの!?!?やだちょっと小悪魔と天使の共演とか大変すぎてどうしよう!。

フゴーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

http://blogs.dion.ne.jp/purissima/

速報!TBS1月クールの日曜劇場「運命の人」(原作/山崎豊子 主演/本木雅弘)にレギュラー出演決定! 1/15(日)夜9時オンエア開始!

これ南朋さんも出るのよねっ!?もっくんに南朋さんに有起哉って超絶イケパラドラマじゃねーの!!!!!
理解力に乏しいもんで山崎豊子ドラマってほんと苦手なんだけど、これはちょっと気合入れて見ねばならぬ!。
で、もひとつおまけに

トーク番組に出演決定! 12/4(日)朝7:00〜 フジテレビ系「ボクらの時代 市川染五郎×北村有起哉×長塚圭史

すごいのキターーーーーーーーーーー!
圭史と有起哉は確実にネコのパブリシティだろうけど、この二人が喋りたいと選んだのが染ってことよね!?。何喋るんだろう。飲むかな?飲むよね?(笑)。楽しみだわー!

今日気になった芸能ニュース

三浦春馬 “先輩”福山の「家族になろうよ」熱唱
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/12/02/gazo/G20111202002151750.html
春馬とたけさんの間に入れるほど賀来くんが成長していることに本気涙目。

イチローさんと同じチームじゃなきゃヤダヤダ!というムネリンのニュースを見た朝の会話

わたし「ムネリンどんだけイチローすきなんよw」
ママン「ムネリンって独身?」
わたし「だと思う。最後の独身イケメンじゃね?」
ママン「ホモね」
わたし「ホモだね!!」
ママン「イチローもアレだしね」
わたし「アレだよね!!」
ママン「嬉しいんでしょ」
わたし「うん!!」


さすがすぎるぜ俺のママン!
さすがすぎるぜムネリン!!!

津原 泰水『11 eleven』

11 eleven

11 eleven

舞台となる時代も描かれているテーマも語り口も全く違うものばかりで、津原さんから紡ぎ出される物語の多彩っぷりに眩暈がしそうでした(イメージ的に「彩」という字は相応しくないように思うので、『多暗』という文字を充てたいところですが)。
でもそれでいて一冊の本として統一感はあるんだよなぁ。そんな単純ではないのだけど“美と醜”“彼岸と此岸”の境界がややずれていてなんだか酩酊する感じ、というか、ゆっくりと足元がずぶずぶと沈んでいくようで、でもそれは決して不快でも不安でもなくて、それどころかちょっと悦びを感じてしまう。美しい文章には魔力があるんだよね。