『僕たちがやりました』最終話

罪を償いちゃんと生きるためにあれだけ必死に「僕たちがやりました」と訴え(屋上であんな小さな独白レベルの声量でぶつぶつ言っても下にいる人間には全く聞こえないだろう・・・)ようやっと自首=逮捕してもらえることができたんだろうに、全然精神状態が変わってない・・・どころかむしろひどくなってるっぽいとかどうなのこれ。10人以上の、なにより友達である市橋の命を奪ったわけだからまともな精神状態で生きてるほうがおかしいってのはそれとして、結局こういう状態のまま、死に囚われながらも死ぬまで生きていくという罰を受け続けるのならば、あんなことまでして僕たちがやったと訴え逮捕される展開にする必要あったか?。
繰り返すけどそんなつもりじゃなかったにせよ“人を殺した”わけだから社会的に“罪を償った”としても罪の意識から逃れられずに苦しみ続ける人生を送るのは当然とまでは言わないけど仕方のないことだと思う。職場バレして仕事を失うこともそう。風船が割れる音程度であのフラッシュバックに襲われ妄想ナイフであんな感じになっちゃうだなんて、そんな状態で生き続けるなら死んだほうがマシってなもんだろうけど、それでも「生きる(生きろ)」ということならばそれ自体は理解できるんだけど、伊佐美とマルとパイセンの生き方に対してトビオだけが廃人一歩手前って、人それぞれっつってもバランス悪すぎるだろ。特にマル。マルはなんでこんなに異常なの?。マルの異常性は今に始まったことじゃないけどそれにしたって異常すぎるせいで余計にこのEDがなにを描いているのか、最後までわたしには理解できなかった。ついでに水川あさみの役の存在価値も。
最終回で言うと屋上での独白とかそこからの確保シーンとか、それから市橋にナイフ渡されて笑ってエア自殺するところとか、ドラマを通して窪田くんの熱演は強く印象に残ったし、不愉快さに耐えつつも最後までちゃんと見せてくれた(見ようと思わせてくれた)のは窪田くんを筆頭に役者たちが正しくクズを演じてくれていたからですが、でもこういう窪田くんに目新しさはないんだよなぁ。これぐらいは余裕で出来るよ?という意味でいつもの窪田くんでしかなかったので、内容に耐えたわりには収穫の少ない3か月であった。



というわけで、次クールの窪田くんには期待してもいい・・・・・・・・・かな・・・・・・・・・?いいといいな・・・・・・・・・・・・・・・・(切実)。