『手裏剣戦隊ニンニンジャー』忍びの21「燃えよ!夢の忍者野球」

これもっと早い段階、10話ぐらいまでにやればよかったのになーとか思いつつも、ただ単に怪人を倒したことで自動的に夢を取り戻すのではなくその前で「楽しさ」を体験させたうえで改めて夢が戻ってくるってあたりが今回はそんなに悪くないんじゃないかと思ったら、最後のやりとりでやっぱり駄目。
夢を取り戻した野球少年とスターさんのやりとりを見聞きして、天晴が「ラストニンジャになりたいという自分の夢だけでなくみんなの夢を守るってことなんだな」ってところで終わっておけばよかったのに、なんでそのあとで「タカちゃんの夢が守られてよかった」って『天晴の話』にしちゃうの。それを言うなら「タカちゃんの夢が守られてよかった」からの「自分の夢だけでなくみんなの夢を守りたい」だろうが。たったひとつ台詞の順番を入れ替えるだけで印象がグッとよくなるのになぜそれをしないのか、心底疑問だわ。
あとこれはちょっと歪んだ見方すぎるだろうけど、一番明確な夢であり目標を持っていると思しき天晴から「ラストニンジャになる」という夢を取り上げたらこういう人間になるんだなーと。目的はわからずとも戦えと言われれば素手で戦う意志はあるってのはいいとして、労働意欲があっても天晴に出来ることはせいぜいが肉体労働ぐらいなんだよね。肉体労働が悪いというわけではなく、他に出来ることがない。それが天晴の現実なのだろう。ラストニンジャになると決め、修行しかしてこなかったのは天晴自身の選択なんだろうけど、なんかちょっと・・・それでいいのか好天さんに旋風さんよ?という気がしなくもないです。

『表参道高校合唱部!』第1話

お目当ての高杉くんが出る2話からがわたしにとっての本番ではありますが、朝ドラにイジメと難病入れましたってな印象だなぁ。
難病はまだしもイジメは「合唱」のイメージと合わないというか、合唱部がスクールカーストの最下層に位置してるってのはいいとしてもだからといって泥水ぶっかけるとかそういうイジメは方向性としてどうなんだろう?。芸能活動してるような一軍女子が香川の田舎者を相手にするかよと。合唱なんて労力の無駄だと冷めてるとか、合唱とかバカみたいって鼻で笑われる程度でいいと思うんだけどな。つーかなんであんなところにあんな大量の泥水が入ったバケツがあるんだってのw。
ていうか戦隊出身者にイジメやらすのやめて・・・それはそれこれはこれだとわかっていてもやっぱり悲しくなっちゃうから・・・。
いじめっ子も難病イケメンもみんな合唱部入りすることは明らかなので、ドラマ的には一人また一人と部員が増えていく過程をどう見せるか(そこにどんなエピソードを用意するか)ってところが見所になるわけですが、あんまりイジメは引っ張らないで欲しいなぁ。なんならサクサク入ってもらってあとは合唱部としてのぶつかり合いやら友情やらを描き、その中でいろんな合唱曲を聴かせてくれればそれでいいとすら思うもん。
そんでその際城田もちょいちょい歌ってくれるとなおよし(実は始まる前までは城田じゃなくて芳雄だったらよかったのにーと思っていたのですが(そして「響け!ユーフォニアム」という吹奏楽部アニメの滝先生という顧問のようなキャラだったら泣いて悶えて喜ぶのにとw)、生徒から金巻き上げてキャバクラ行くようなキャラだと判ったので城田でいいですw。あのキャバ嬢に入れ込む芳雄なんて見せられたら精神的に寝込むわw)。
「夏」で冴えない奴らが学校中を巻き込んでの「部活動」ときたらウォーターボーイズが想起させられますが、男子シンクロのように最終回でどんなガチ合唱を聴かせてくれるのか、まださほど手垢のついてないキャストたちの役者としての成長を含めて楽しみ!。まずは次回メインであろう高杉くんが引きこもり仕様の酷すぎるヅラ含めてw超楽しみ!!。
あと絶対あるであろう慈英と堀内敬子さんのデュエットな。どのタイミングどんなシチュエーションで聴かせてくれるのか楽しみすぎる!。

『ど根性ガエル』第2話

ヒロシがなぜ現在のような体たらくなのか、その説明がちゃんとなされて(それを理解できるか、納得できるかは見る人それぞれだとして)、そんな過去を持つヒロシは家出先で労働の喜びを知り(思い出し)、このままじゃ駄目だと一番嫌いな人間に頭を下げ、そいつの下で働くと決意した。
1話では正真正銘のクズニートでしかなかったヒロシが2話にして早くも成長を見せたもんだから、「もうこれ最終回でいいんじゃないかな?」とか思ってしまったわけですが、どっからどう見てもヒロシに勝ってるだろうゴリライモが「なんであいつには勝てないのかなー」っつってたし、ヒロシだけでなくゴリライモや五郎や京子ちゃん、梅さんやよし子先生たち登場人物全員がちょっとずつ成長したり変わったり、何か大切なものを見つけたり得たりするドラマなのだろう。
・・・・・・であればど根性ガエルでなくともよさそうだけど・・・・・・・・・・。
社会に出たら思わぬ壁というか理不尽というか、自分の頑張りが他人にとっては苦痛になる(こともある)という現実に直面し、ゆえに頑張ることをやめてしまったニート(30歳)がもう一度頑張ってみようかと一歩を踏み出す話としてはよかったと思うんだけど、わたしにはこれがど根性ガエルである必要性が理解できないんだよなぁ。2話まで見て、今のところはまだヒロシやピョン吉といった「キャラクター」を使ってドラマを作っているだけにしか見えない。初回はその再現度であり、成長に伴うキャラクターの変化であり、ピョン吉の実写技術、そういうものだけで楽しめたけど、この先は果たしてどうだろうか・・・という不安はある、かなぁ。
今回「あいつには勝てない」と思いながらもヒロシを受け入れるゴリライモの複雑な心情ってのが印象に残ったんだけど、それは子供のころからずっとヒロシに対してコンプレックスのようなものを抱いていたりするんだろうなーと思えるからだよね。そう説明されずとも、それを想像できるのはアニメという土台があるからなわけで、そういう意味ではこれがど根性ガエルであるからなのでしょうが、でもヒロシの変化に対するピョン吉と京子ちゃんの関わらせ方が言ってしまえば「傍観者」でしかなかったことを考えると、今のところはまだその設定を借りてるだけだよなーと。満島ちゃんのピョン吉がどれほど“アニメにそっくり”だとしても、それがどれほど高評価であったとしても、その評価は“ピョン吉実写化”に対する評価であってドラマ自体の評価とは違うわけでさ、そこを見誤らないで欲しいなと思う。

川崎 草志『誘神』

誘神

誘神

地方にある独特な風習と異国で発生した未知の病原体(ウイルス)が結びつくという話のつもりで手に取ったので(私はわりとこの手の話が好きです)、両者をどう結びつけるかという興味で読み進めていたのですが、なかなか結びつかず、結局死者に死んだことを告げる「ツゲサン」という役目・・・でいいのかなぁ?それを行う孤独な少年の物語でウイルスどこ行った!?とは思ったけど(一応フォローはあります)、少年の話はそれはそれで読めました。というか、ウイルス絡めないほうがよかったような気が。まぁそれだと私のように“そういう話”だと思った読者はこれを手にすることはなかったかもしれないわけで、それなりの言い方悪いけど“釣り餌”は必要だったりするのでしょうが。
というか、少年のほかに女子大生の視点もあるんですが、こっちがウイルス面での物語を担うのかと思いきや存在意義がなんだかわからないまま終わってしまったのが勿体ないなと。こっちもこっちで「ヒトという種を終わらせる存在」とか面白そうな要素があるのに描き切れずに終わってしまった感が強いし、なによりツゲサンの少年と同じ年の弟がいて、弟はかつて神隠しに遭っていて、そこにツゲサン少年の父親が関わっていて・・・というネタを膨らませなかったのが納得いかん!!。孤独な少年と母親の死後寡黙になってしまった少年なんて美味しいネタ、それだけで1作できるのにー!!。