芦沢 央『カインは言わなかった』

カインは言わなかった

カインは言わなかった

ダンサーの兄と画家の弟がいて、カインとアベルを題材にした作品の主役に抜擢された兄が公演を数日後に控えた夜に恋人のところへ降板を匂わせるメールを送り消息不明になる。一方弟のほうも付き合っているつもりだが不安定な関係の女性が約束通り部屋を訪ねるも不在で、二人の女性がそれぞれ恋人である兄と弟を探す物語。
・・・というだけであったならば、二人の女性が「何も知らなかった」ことを痛感しながら付き合っている相手の姿を探し求めるなかで兄と弟がそれぞれどんな人物でありどんな人生を送り、とある共通の「過去」が二人にとってどういう影響となって現れているのか、なんてことが描かれる物語だと理解できそうなところですが、この作品には兄の出演舞台を演出するカリスマ演出家の存在があって、「兄のルームメイトであり兄の代役としてカインを踊ることになる男」の視点と、「カリスマ演出家に娘を殺されたと思っている父親」の視点というものがあって、全ての視点は密接に結びついてはいるものの個別の視点は「自分と(自分が向き合っている)相手」のことしかないので、それぞれの行動の目的は明白だけど物語の目的地がわからないんですよね。だから読みながらずっと不気味さを感じてた。
でも兄の行動の理由が、弟に起きたことが、そこで演出家が果たした役割、その目的が明らかになるとその不気味さはスッと消え「そういうことか」と腑に落ちる。
そしてタイトルの意味を分かったつもりでいたら、最後の演出によってそれがそんなに単純なことではなかったことを知るのです。
まるでひとつの舞台作品のように計算された構成の物語は内容的に面白い、というものではないけれど、読み応えがありました。