シスカンパニー公演『RED』@新国立劇場 小劇場

この舞台のチラシが渋くて素敵なんですよね。わたしのお目当てである田中哲司さんが色気だらっだらでものすごくカッコいいんですよ。
無知なわたしはてっきり「この哲司」で舞台に上がるんだとばかり思ってまして、そしたら初日を前にした各媒体の記事にいる哲司のあたまがつるつるで、え・・・?ちょっとまってどういうこと!?と、わたしは混乱に陥りました。
一応「マーク・ロスコ」という実在の画家を哲司が演じるということを知ってはいました。実在する人物を演じるにあたり、可能な限りその人物に風貌やらなにやらを近づけることは当たり前のアプローチなのに、わたしは『マーク・ロスコ田中哲司が演じる』ことに対し、マーク・ロスコに似せることを想定してなかったんです(実際わりと似てる)。
なぜかって?
チラシの哲司がカッコいいからにきまってるじゃないか!!!!!!!!!!!



・・・とまぁ芸術を全く解さない、役者目当ての愚かな女であることを恥ずかしげもなく堂々宣言しましたが(ロスコが最も嫌悪するのはわたしのような人間だろう・・・)、結構早い段階で哲司のビジュアルとかどーーーーーーーーーーーーーーでもよくなりました。
もうね、いきなり“そういう目線”が入り込む余地なんてないほどの言葉の応酬で、ついていくだけで精一杯。

でも主に哲司演じるロスコが助手として雇った小栗さん演じるケンに対してありとあらゆる問いをぶつけ答えることを要求していくという形であることがわかり、会話の中からロスコという人物がどういうタイプの人間なのかが“見えてくる”と、だんだんと会話の意味やその奥にあるものが頭で理解はできずとも心には感覚として伝わってくる気がしてくる。
マーク・ロスコという人物はものすごく安易な表現をしてしまえば才能のある高二病だと思うんです。これからその印象は変わっていくのかもしれませんが、一度目の鑑賞を終えた時点でのわたしはそう思った。

まぁこの「才能」が非常に厄介というか、そんなものがなければ「なに言ってんだこのオッサン」でしかないのに「才能」ゆえにその発言には妙な力があるし、「才能」があるからこそものすごくめんどうくさい男なんですよね。
で、その力をその言葉を一身・一心にぶつけられるケンは、ロスコと比べれば明らかに「普通の青年」。
普通と言えどもかなり悲惨な過去持ちで、画家になる(なろうとしている)理由にその過去は密接に関係しているんだけど、それでも言ってることというか、物事に対する目線や価値観は至って普通なんですよね。
そしてそれは観客と同じなんだと思う。観客の代表として、ロスコという人物に向き合っているのがケンなのではないかなと。

でね、おぐりさん演じるケンを通して見える哲司のロスコが・・・・・・・・・可愛いんですよ。
助手の面接にきてその場で採用されてから劇中では2年の月日が流れるので、ロスコの扱い方もわかってくるわけですよ。創作活動に関しては真剣かつ機敏になるケンだけど、普段はわりとロスコを舐めてるというか、「はいはいわかりましたわかりました」ってな感じなんですよね。「また言ってるよこのオッサン」みたいな、そんな扱いなんです。
そこが可愛い(笑)。
この舞台最大の萌え処は間違いなく「食事シーン」になるわけですが、もう・・・この哲司ロスコものすっごい可愛いから!!!!!。ふたりしてヌードルを実際に食べながらいつものように哲学的なことをマシンガン討論(主にロスコが)するんだけど、ガチ食べなんですよね。ずるずる音立てながら結構な量をマジ食べするの。口の中に食べ物があることをお構いなしに話すから、当然汚いことになっちゃうんだけど、そんな哲司ロスコが可愛いのなんのって!!!!!。

ていうかわたしが観た回は哲司が口の中に詰め過ぎちゃったのかモゴモゴってて、それでもかまわず喋るから口からボタボタこぼれちゃってたんだけどw、一方のおぐりさんも同じくモゴりそうになったもののこぼしたりすることなく(カッコよさを保ったままでw)回避してて、思わず哲司が「おまえすごいなw」って言っててくっそモエたわw。これまちがいなく素の言葉だったもんw。

そんな感じで、ビジュアルがどうあれ哲司は素敵です(おぐりさんは当然なので言うまでもない)。

哲学的な応酬が主だし、劇中バンバン出てくる人名もそのひとたちがどんなものを制作しているのかわからないとやっぱり理解度は落ちるだろうけど、そこいらへんよくはわからずともラストシーンを迎えた瞬間、いままでの会話がいままでの時間が、ロスコにとってどういうものだったのか、ロスコにとってケンがどういう存在だったのか、それがわかる。たとえ途中がわからずともそれだけはわかる。
とりあえずはそれだけでいいんじゃないかな。ちょっと感動しちゃいながらロスコいいやつじゃん!!って思うだけで、とりあえずはいいんだとおもう。


田中哲司が演じるというだけで、ぜんぜん興味とかなかったマーク・ロスコ
1時間半強の舞台を観終えたあと、わたしの中にはロスコの画を観たいという強い想いがありました。
田中哲司を通して知ったマーク・ロスコという人物への興味、その魅力。
とにかく実際にロスコが描いた画をみなくちゃならないという衝動に突き動かされ、翌日その作品が展示されているDIC川村記念美術館に行ってしまいました。


実物は・・・・・・おもってた以上にすごかった。
六方の壁に赤い画が掛けられた薄暗い空間はなんともいえない圧迫感で、立っているとそのうち平衡感覚を乱されるというか、眩暈がするような感じになる。
幸運なことにわたし一人だけがロスコルームに居る時間があったんだけど(それも結構長い時間)、一切音のない空間に呑みこまれそうな気がして、ものすごく不安な気持ちになりました。そういう感情を掻き立てられたというか。
超高級レストランの壁をこの画で埋め尽くそうとしただなんて、つくづくどうかしてるわ。
ていうか、こういう空間でなければならないというロスコの美意識は決して独りよがりなんかじゃないんだと解った。


気軽に行けるような場所ではありませんが、この舞台を観るにあたり、先でも後でもいいからこの本物のシーグラム壁画はぜひとも見たほうがいいと思います。
哲司とおぐりさんの中にあるのは、二人が見ているのは「これ」なんだと、二人が描きたいと思っているのは「このRED」なんだと、それを知っているのといないのでは見えるものが全然違うと思うから。


ロスコルームのほかにも見応えがある展示ばかりで、ルノワールやモネやシャガールといった超有名画家の作品であったり、アンディ・ウォーホルであったりジョゼフ・コーネルであったりといろんなタイプの作品が見られるし、それらの見せ方、計算された外光と照明、ゆったりとした空間、美術館の作りそのものも素敵だし、とくに体育館なみのスペースに巨大な作品群がドンッ!と展示されているステラルームは圧巻です。
美術館入り口にあるこのフランク・ステラの作品とか超絶カッコいいでしょう??




チケットを買って鬱蒼とした小路を抜けると目の前に広大な庭園が




そこにはこんな鳥さんたちもいますよ!



最初オブジェかと思ったわ(笑)。




この舞台を観なかったら、田中哲司マーク・ロスコを演じることがなかったならばわたしはこの美術館に足を運ぶことはなかっただろうわけで、こういうのを縁というのだろうなーとか思う。
本物を見たことで、次に舞台を観るときには哲司のなかにあるもの、おぐりさんのみているものをもうちょっと理解できると思うし、10月まで楽しみな時間が続くこの幸せよ。