『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』#1「世界を騒がす怪盗さ」

1話がルパンレンジャー主体で2話がパトレンジャー主体になるようなので双方が出揃う次回まで「初回」の判断は保留するとして、今年は女子目線で食いつけそうなキャラも関係性も今のところは皆無で呆然・・・。敵の活動目的含めコンセプトは至極明快でワクワクする初回ではあったんで関係性については今後に期待するとしても、ビジュアル的にわたしのハートはピクリとも反応しなかった・・・こんなの初めて・・・・・・。
強いて言えばルパンブルーだけど(もうちょい背が高かったらなー)、どちらかといえばこのひとは警察サイドに居て欲しかったかも(というのが第一印象)。
あーでもルパンコレクションとやらを集めることで話が進むわけだから、なんだかんだで毎回怪盗側がコレクションをゲットして警察側が「おのれルパンレンジャー!」ってことになるんだよね?(1号の出勤スタイルがまんま銭形のとっつぁんでトレンチの襟もバッチリ立てててwこれは過去に例をみないトンチキ赤になる予感w)。とすると毎回出し抜かれることになるわけで、となるとやっぱり怪盗側のほうがいいか。攻撃を受けつつの初変身で三者三様にポーズ決めて座ってんのカッコよかったし!。
反対にパトレンジャーからは漂う昭和臭(笑)。
番組情報をほとんど確認してなかったんでぬっくんが出ることは知ってたけどパトレン側のボスポジションがこういうひとだとは知らず登場した瞬間「は??」って声に出しちゃったんだけど、パトレンが属しているのが国際的組織であるなら外国人上司でもぜんぜんおかしくはないとは思うもののそれでもやっぱり「え?なんで?」とも思うわけで、ルパンレンジャーとパトレンジャーは同じアイテムで変身するようなので、怪盗側にそのアイテムを与えたのがぬっくんコグレであるならば、警察側も出所は同じである可能性は十分にあるだろうわけで、ヒルトップ管理官とコグレは同一人物である・・・ってなことだったりする?。『変装』を強調するために外国人にしたってなわけでルパン三世のようにヒルトップ管理官がペリペリペリと顔を剥いだらその下にぬっくんの顔がある・・・とか。いや、それよりヒルトップ管理官もコグレも共に「誰か」の変装で、その「誰か」こそがルパンレンジャーとパトレンジャーにとっての「真のボス」で、なんならアルセーヌ・ルパンの子孫で、そのボスは30代のイケメン俳優が演じるなんてことになりませんかねっ!??(どうしてもイケメン不足が気になるらしいw)。

『アンナチュラル』第5話

すごくすごくすごく面白かったし面白いんだけど、それを感想にするのがとても難しい。「面白い」としかいいようがない。
「女の幸せ」の象徴が安物のネックレスで、幸せごとそれを奪い偽装のために冬の海に飛び込み死後も堂々とそのネックレスをつけ葬儀の場で「なんであんな子が私より幸せなの?」「私は悪くない」と言い切る犯人の女の狂気、そして中堂の狂気によって解放された鈴木さんの狂気。
自分たちの仕事が、自分たちが探し見つけたどり着いた真実が引き起こしたこの結果。
顔は笑ったまんま慌てふためく木林さんに「きょ、協力を・・・・・・・要請する」という中堂の見事なデレから始まり、中堂の部屋にひとりずつやってきて呑んだくれて転がる二人と少し距離が縮まる中堂とミコトを経て、その先にあったのはどこまでも深い中堂の闇であり覚悟だったとかすごすぎるわこの展開。
「なにかできることがあれば」というミコトに「今やってる」と応えた中堂。そこにあるであろう二人の想い。なまじ距離が縮まったと思わされてしまったぶん、中堂がしたことの衝撃がより一層強くなる。
1話から言ってた東海林の「異性間交流会」の話のなかで六郎に「鈴木さんにとって恋人の存在が『人生全部』だった」と言わせたのが利いてるよね。
人生全部を奪われた鈴木さんにとって、犯人の女が命を取り留めたことはほんとうによかったのだろうか。
鈴木さんが殺人犯にならなくてよかったと思う一方で、あのとき鈴木さんは殺すつもりで、殺す覚悟で刺しただろうに、殺せなかったことで、恋人の居る場で恋人を殺した女を殺せなかったことで、この先一生地獄のような時間を過ごすことになるかもしれないと思うといっそ殺せたほうがほかったんじゃないかとも思ってしまう。
それはつまり中堂と同じ、だよね。
中堂の過去と木林の協力で中堂が探しているものが明らかになり、中堂がなにをしようとしているのかも見えてきたけど、鈴木さんという存在を、鈴木さんという男の想いを噛ませたことで、中堂のそれを気持ち的に否定できなくなってしまった。「刺す場所」をわかってる中堂にとって、それが今の中堂にとって人生全部なのだろうから。
ミコトも中堂も他人には言えない過去があるけど、少なくとも中堂にとってそれは「過去」ではないのだろう。
じゃあミコトはどうだ?となるよなぁ。中堂と同じ立場にたったなら、法医学者として自分も同じことをするかもしれないと言ったミコトはどうなのか。
自分の過去について「同情されたくない」と言うミコトは中堂に「同情なんかしない、絶対に」と言い切った。
そのミコトに中堂は改めて、どう応えるのだろうか。
それはそうと前回の六郎に対するイケテツの含みある目線は「本来の目的を忘れてんじゃねーの?」ってなことだったようですが、でもやっぱりそれだけじゃない感じがあるよねぇ・・・。六郎がブログに書いた記事に目を付け編集部に引き入れたのはイケテツだろうけど、ネタを仕入れたら金を払う歩合制ではなく給料を払ったうえでUDIに送り込むってことは何か明確な「目的」があってのことだろう。それは一体なんなのか。
そしてミコトを守るためだけなのかそれだけじゃないのかわからないけど、鈴木さんの写真を撮って記事を書く六郎の内面も思ってる以上にぐちゃぐちゃしてそうで、それがどこへ向かうのか、今回で一気に不安感が増したわ・・・。

椹野 道流『南柯の夢』

南柯の夢 鬼籍通覧 (講談社ノベルス)

南柯の夢 鬼籍通覧 (講談社ノベルス)

現在放送中の法医学ドラマがすこぶる面白く、気分的に法医学モードなので「そうだ、椹野さんを読もう!」(そうだ京都へ行こう調)ってなわけで『鬼籍通覧』シリーズです。
表紙の感じがこれまでとは全然違ってるもんで戸惑いつつ読み終えて巻末の既刊一覧を見たら私もしかしてひとつ前の「池魚の殃」読んでない?・・・と思って確認したら池魚〜から表紙のイメージが変わってるからやっぱり読んでなかったようです。
そこはかとなく登場人物の死生観(の描写)が深まっているように感じたのは池魚〜でなにかがあったからなのかな?ってなところは(読み終わると)ありますが、それ以外はついていけないようなこともなく、飄々としていながらも結構エグイよね(それを「飯食う人々」で中和)ってな内容を含めいつもと変わらず楽しめました。
今作は女子高生と即身仏という両極端にも程がある!ってな遺体にまつわる2つの物語が描かれているのですが、どちらもなんともいえない苦味があって、でもその話に関わるゲストポジションのキャラクターには気持ちの落としどころが用意されていて、レギュラーキャラクターはそれを「そういうもの」として受け止める・・・という感じの作品でして、今作に限らずシリーズ通してコメディとシリアスのバランスが程よく、そこいらへんドラマの空気感と似てるところがあるな。
というわけで、「アンナチュラル」の視聴者の方々にもぜひ読んでほしいシリーズです。