『キンキーブーツ』@東急シアターオーブ

観終わったらどんな気持ちになるのか自分で自分がわりと本気で心配でしたが、観終わった瞬間思ったことは「やっぱりキンキー大好きだー!!」でした。
誰が演ってもキンキーは楽しいし面白い。最高にハッピーで気持ちよくなれる最高の演目で、また観ることができて嬉しいし、もう一度言うけど「誰が演じても」いいんだよ。それを受け入れることができたことがわたしにとってこのうえない収穫です。

とはいえ誰でも演じられるわけではないのがローラであるわけで、その点城田優のローラは「アリ」でした。
だってデカイ。とにかくデカイ。
チャーリーとローレンの頭が肩の位置、つまり文字通り「頭一つデカイ」物理的に巨大といってもいい大きさでローラの異物感を体現する城田ローラは諸々の感情があっても「アリ」だと言わざるを得ない。

とにかくデカイからぱっと見威圧感はあるんだけど(登場シーンでよくこんな大女をナンパするなと笑ってしまったw)、たぶんこのデカさもコンプレックスというか、デカイがためにプロの格闘家しての期待はそりゃあ大きかったんだろうなと思わされるし、デカイからサイモンとして男の姿で現れた場面での“弱さ”が際立つ。
それに歌声がソフトだから印象として心優しいローラなんだよね。傷つきやすいし、実際(存在してるだけで目立つから)傷つけられてもきたんだろうなと思わされるローラで、性根としては「真ん中」でショーを演じるタイプではないのかもしれないとすら思ったほど。姿勢良くないしね。
だからチャーリーやドンを導いていく者というよりもサイモンとしての部分が成長するローラといった感じ。

そこには今回「座長」として城田ローラを引っ張り支えるという、これまでとは違う心持ちで舞台に立っているのであろう小池徹平の頼もしさの影響はあると思うんだけどね。
今回のチャーリーはもはや未熟さなど感じさせないチャーリーなんで(それだけにブーツの出来が悪かったり費用の計算をミスるというトラブル発生時の言動が、初演はもちろん再演でも若さや青さゆえの焦りや余裕のなさとしてのソレに見えたものが横暴とかワンマンとか、そんな感じに見えなくもなかった面もあるんだけど)。

そんなわけで、絶対に折れない強さと気高さ、そして努力の成果としての圧倒的なパフォーマンス力で「真ん中」に立つべくして立っている(そしてそれが役者とドシンクロしてる)と思わされた三浦春馬のローラとは明らかに違う。
どちらのほうが上とかでなく春馬のローラとは「違う」城田ローラが誕生したことで「誰が演じてもいい」という土台が出来たこと。これはほんとうにいいことだと思う。
だってわたし早く新しいローラが観たいもん。いろんなローラが観たい。
いろんなローラがいてもわたしのなかの春馬ローラの輝きは変わらない。色褪せたりなんかしない。だからこの先どんなローラが生まれてもキンキーブーツを愉しめる。
それがわかったことがほんとうにほんとうに嬉しい。


まあ泣いたけどな!。
だって初演と再演併せて余裕で二桁観てるんだから(はいマウントー!)脳内再現余裕だし、キャストほぼほぼ継続だから最初から最後まで春馬ローラを重ねて観ずにはいられないじゃん。そりゃあ泣くわ。
って、パンフに2019年版の公演写真載せるのはマジえぐすぎでしょ・・・・・・帰宅して楽しかったなーってパンフ開いたら春馬ローラがいたもんだから一瞬で表情が「無」になったのが自分でもわかったわよ・・・・・・。