横山 秀夫『64』

64(ロクヨン)

64(ロクヨン)

いやぁ・・・・・・すごいすごいとは聞いてましたが、確かにすごいわこれ。
老人を轢いてしまった加害者が妊婦であるという理由から実名公表を拒む警察と権利を掲げそれを求めるマスコミとの駆け引きという、こう言ってはなんですが些細な事件から始まり、その向こうには警備部と刑事部のよくある警察内部闘争があって、刑事部から広報部に移動させられたというどっちつかずの立場である主人公には私的な悩み(問題)があって・・・ってな序盤が、「ロクヨン」という要素を加えた途端あれよあれよという間に転がり出して、最終的にここまでスケールの大きな話になるとは全く予想できなかった。
で、何がすごいのかというと、展開(ストーリー)のために人物が配置されている感じが全くしないってことなんですよね。それぞれがそれぞれの思惑・打算・執念、そういうものの元行動し、それが全て重なる(噛みあう)ことで大きなうねりとなってる。人が動くことで物語が展開する様、それがすごい。
その「人」も、別段“小説的個性”があるわけじゃないんですよ。みんな普通。それぞれ野心であったり保身であったり未練であったりとベクトルは違えど欲望を抱えながら働いてる、柵にもがき苦しみながら働いてる普通の人間たち。一人で暴走して結果ヒーローになっちゃうような人はおらず、全員がとにかく自分がすべきことを自分の出来る範囲で必死にやっているだけなんだけど、それが熱い。緊迫感と臨場感、熱量がハンパない。謎とかトリックとか超展開とかそんなものはないし、もちろんモエなんてものもないんだけど(いや、主人公とライバルの高校時代エピは結構なご馳走ですが(笑))、『人間ドラマ』だけでここまで読ませるのはほんっとーーーーーーにすごいと思う。すごいって言葉しか出てこない。