『七月大歌舞伎』昼の部@新橋演舞場

歌舞伎は大抵母親と見ているのですが、その母親がスーパー歌舞伎をあまり好まないせいで(それでも亀ちゃんが出るならばいかないという選択肢はありえないらしい^^)これまで見る機会がなく、これがわたしにとっての初スーパー歌舞伎でございました。
結論から言いますと、とても面白かったです。ていうか、好き(笑)。これを言うと語弊があるというか・・・・・・・・・キイイイイイッ!となられる方もいらっしゃるかとは思いますが、わたしが好んでみている新感線(いのうえ歌舞伎)やジャニーズ舞台に通じる派手さと外連味とツッコミどころ(笑)に溢れてて、いい意味で「歌舞伎らしからぬ」舞台でした。くっそー、こんなに面白いならばもっと早く、できることなら三代目猿之助がバリバリの時に見ておけばよかったー!と後悔しきり。


日本神話として伝わるヤマトタケルの物語をベースに、本来のヤマトタケルが三分の一、脚本の梅原先生が三分の一、そしてこの舞台を作り上げた三代目猿之助が三分の一入っているお芝居だと今回主役を演じられる四代目猿之助さんが仰ってますが、ストーリーとしては『行き違いから双子の兄を殺してしまった弟がそれを知った父から疎まれ日本各地の反抗勢力討伐を命じられ、そのうちちょっと慢心しちゃって、そしたら山神にやられて都への帰郷を目前にして死んでしまいました。最期まで翼が欲しいと、翼があれば都へ飛んでいけるのにと願ったヤマトタケルは白鳥となり天へと登っていきました』ってただこれだけの話なんだけど、それを派手なアクションとドロドロ恋愛絡めて見事なエンターテイメント作品に仕上げる先代猿之助さんの凄さ、というよりも『異能さ』を、改めて思い知らされた感じです。
それと同時に、先代猿之助さんが舞台に立てなくなった後もこの演目を大切に、そして必死に守り続けてきたのであろう澤瀉屋一門の想い、勝手な解釈というか思い込みかもしれませんが、そんな澤瀉屋一門の先代猿之助さんへの敬愛の念が劇中のタケヒコ(右近さん)やヘタルベ(弘太郎さん)がヤマトタケルへ抱く想いとシンクロしてるようで、胸が熱くなりました。


要望が多くやることになったという口上は今月も継続。
幕が上がると黒寄りの灰色一色の中、真っ白なお衣装の新・猿之助と黒い衣装の新・中車の平伏する姿が。この水墨画のような空間の中に白と黒のコントラストが美しく映えること。
先月見た中車さんは完全土下座状態で頭を床にくっつけてたんだけどここではなかなか綺麗な姿勢を保ってらっしゃって、先月のアレは姿勢を保つのが難しいからではなく列席している方々よりもより低頭してた・・・ということだったのだろうか。
猿之助さんは尊敬する福山雅治さんから贈られたという祝い幕について“これは曾祖父、祖父、私の隈取を重ねたものだが、3つ重ねたらみたことのない隈取が浮き出てきた”と語り、続けて“隈取というものは役者そのものと言っても過言ではなく、各々の隈取にはそれぞれが生きてきた役者人生が反映されていると。それを3つ重ねたらこのように素晴らしい、そして新しいものが見えたように、名前を継ぐということはつまりこれまで各々が自分の人生、命を賭けてその役に血反吐をはき心血を注ぎ自分なりの色を付け加えていくことで新しい顔を作りあげていくということだと思う”と、これはわたしなりの要約ですが、そんなことを仰いました。
かと思ったら、「今ロビーの方でdocomoさんと協賛させていただきらくらくスマートフォンのデモを行っております。いま日本で最もらくらくスマートフォンをお使いになる年代の方が集まっているのはここ新橋演舞場だと思いまして、ぜひともご休憩の際にはお立ち寄りいただき実際に触れていただければと」とやはり宣伝タイム有(笑)。こういうところは猿之助になってもやっぱり亀ちゃんなんだよおおおおおおお!(←いまだどう呼んだらいいか決まらない><)。
猿之助さんから「香川照之澤瀉屋の立役の大名跡である市川中車を九代目として名乗ることになりました」と紹介された中車さんは「隣におります頼もしき従弟。この従弟にどれだけ教え助けられているかわかりません。これからご覧いただきますヤマトタケルでは私が父、従弟である猿之助がその息子を演じるわけですが、これからはこの従弟・猿之助を父として師として仰ぎ、生涯をかけて精進してまいる所存にございます」とやたらめったら「従弟」を連呼(笑)。相変わらず形相こそ変わりまくりなものの二人だけのせいか鬼気迫る六月の口上とは違い“香川照之らしい”と思える口上で、なんかちょっと・・・・・・ホッとしちゃった(笑)。


口上と1幕開始の間の数分間でその福山が送った祝い幕が披露されます。おいくらぐらいするんでしょうねぇ〜?(お約束w)。
で、祝い幕に変わりヤマトタケル仕様の幕が下がるんだけど、これがすごいのなんのって。だって地球をメインに描かれた宇宙の画なんだぜ(笑)。そこにアンモナイトが浮かんでるんだぜ(笑)。恐らくこの幕ひとつで宇宙と地球と日本、そして生物の成り立ちであり物語の背景=日本神話の世界観を表現してると思うんだぜ(笑)。うん、このセンス嫌いじゃない(笑)。
そのトンデモ幕(言っちゃったw)が上がると同時に廻り盆のセリを使って4本の柱がニョキニョキと現れ聖宮がお目見えするのですが、この瞬間のなんとも言えない高揚感はちょっと凄い。
そしてそこに鎮座まします中車の帝を始め登場人物たちの京劇っぽい衣装がまさに豪華絢爛!!ストーリーそっちのけで目を輝かせてしまいました。鳴物や背景絵、大きなセット等歌舞伎には欠かせないアイテムを削れるだけ削り、その分衣装と1幕の熊襲のタケル兄弟の宮殿、2幕の野焼きに弟橘姫との別離(入水)シーンという『見せ場』に予算全力ぶっこみ!(多分ねw)という潔さも素敵!。


最初の見所は猿之助が双子の兄弟として何度も入れ替わる場面なんだけど、これ役者もすごいけど演出もよく考えられてんなー。舞台中央に太い柱がありその背後に紗幕が下がってるんだけど、双方を上手く使い代役と同時に何度もなんども入れ替わる様はまさに見事の一言!。
兄・大碓命は父である帝を倒してヤマトを我が物にしようという野心を抱いてて、そんな兄を弟・小碓命(後のヤマトタケル)が諌めようとしてるうちにもみ合いになり弟が兄を刺殺してしまう・・・んだけど、そもそも兄の元を弟が訪ねたのって父ちゃん(帝)に“アイツ(兄)朝ごはんの場に来いっつってんのに最近全然来ないからお前(弟)明日はぜってー連れて来いよ”って命令されたからなんだよね(笑)。もちろんそれ以前から父と息子たちの間には後妻に息子が出来たことで生まれた複雑な感情・確執があるのでしょうが、それにしてもなんていうか・・・・・・しょーもない理由よな^^と思ってしまった。でもそういうしょーもないこと(感情)で殺し殺されてしまうのが人間であり、それは昔も今も変わらないのかなーなんて。
でも小碓命は兄がそんな企みを抱いていたことを隠し、自分が兄を殺したという事実のみを父親に告げるのね。それも自分を悪く言う感じで。で、父親は表向きは兄殺しなどという重罪を犯した弟に罰を与えるために、その実自分が産んだ子にとって邪魔な小碓命を追いやるために後妻がヤイヤイ言ってくるもんだから、大和に屈しない熊襲の討伐という死んでもおかしくない仕事を命じるわけです。
その命を黙って請け負う小碓命。ここまでは小碓命ってば可哀想だけど男らしいわーと思ってました。
でも旅の途中で小碓命の前に立ち塞がり、旦那の仇!!と兄の嫁である笑也さん演じる兄橘姫が斬りかかってくると、いやいや実は兄貴悪いこと企んでたんだぜ?でも俺が止めた(殺した)ことでそれバレずに済んで兄貴の名誉は保たれたんだぜ?ってあっさりバラしちゃうのね(笑)。わたしはてっきり兄とのことは墓場まで持っていくぜ系の感じだと思ってたんでビックリですよ(笑)。
でもさらにその上をいくビックリが。
それを聞いた兄の嫁は剣を投げ捨げたかと思ったらおもむろに三つ指ついて「そうだったのね。やだもう、小碓命様ってば素敵!好き!!」とか言い出すのよwww。えええええええええええ!?w。そして「貴方の帰りを待ってますから早く無事で戻ってきてくださいね(はぁと)」ってマジかー!?(笑)。
で、この兄橘姫ってのも双子で、妹である弟橘姫は春猿さんが演じるんだけど、弟橘姫は大碓命が死んだこともあって大碓命小碓命の叔母である笑三郎さん演じる倭姫とともに伊勢で巫女的なことをしてるのね。そこへ危険な任務だけに何があるかわからないからと小碓命が挨拶に来るんだけど、実は弟橘姫も小碓命にゾッコンLOVEで、それどころか倭姫までもが「私がもうちょっと若かったら小碓命にアタックするのに」とかまがおで言うてて、小碓命モテモテすぎやろとw。
でも2番目の見所である小碓命の女装(熊襲の中心に入り込むためにヤマトの踊り女に化けるの)は誰もが口々に「超イイ女じゃねーか」と言うほどなんで基本美形ではあるのだろう。いつの世もイケメンは正義!!。
いやでも実際この踊り女は女形に定評がある新・猿之助ならでは!で、女に化けて潜入ってのがさすがの説得力。
で、物語の流れとしては前後する形になるけどこの話の流れのまま書いちゃうとですね、熊襲討伐をやり遂げた小碓命改めヤマトタケルが都に凱旋すると帝が「褒美」として兄の妻であった兄橘姫をくれるのね。なんでも兄橘姫は小碓命以外の男はいやだと言い張ったらしく(確か「頑固な女」という表現があったような)、
帝「いらんのか?」
タケル「いります!」
兄橘姫「タケルさま〜(駆け寄りダイビング抱きつきw)」
と(笑)。ほんとにこんなノリなのよ(笑)。
でも嫁のほかに東の土地もやるよと、やるけどその土地荒れてるから自分でシメてこいよと帝の意地悪はまだまだ続きます。そしてドSな帝は「でも新婚なのに即行かせるのは気の毒だから、そうだなー、3日後でいいよ。3日あればイチャイチャできんだろ」と言うわけです。マジ帝ヤなやつ(笑)。
で3日3晩寝ずにイチャイチャした後(多分w)、ヤマトタケルは東へ向かいがてらこの仕打ち酷くねー?と叔母さんに愚痴りにいくのね。そしたら叔母さんは可愛いヤマトタケルのために祈祷済みのツルギとお守り代わりの巾着、それと何を思ったかヤマトタケルに恋しちゃってる嫁の妹弟橘姫ももれなく付けてくれちゃうのですw。当たり前の顔して貰うヤマトタケル(笑)。
がしかし。
この時正妻である姉・兄橘姫の胎内には新たな命が宿っていたのであった。
エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!?(笑)
別にこういう描かれ方をしてるわけじゃないんだけどw、自分が殺した兄の元妻を妻として娶っておきながら自分に想いを寄せているその妹と一緒に旅しちゃうのかよ!と思いながらもでも実質3日間しか夫婦として過ごせなかったんだから妻帯者であるという実感がないのだろう・・・と補完したってのに、どこだかの段階で唐突に「都に残した兄橘姫はどうしているだろうか。その子であるワカタケルも大きくなったことだろう」とか言い出したもんだからマジびびったよね。オマエ子供作ってたんかい!!!!!!!と(笑)。しかも3日間しか一緒に過ごせなかったのに。な?3日3晩寝ずにイチャイチャしたに違いないと思うべ??(笑)。
もうこの流れでヤマトタケルモテ男列伝続けちゃうけどさ、都に残した妻(と子)に時折思いを馳せつつもその妹とイチャイチャしながら旅を続けるタケルさん。当初の目的地である蝦夷では草原の中焼殺されそうになるも叔母さんから貰った剣と巾着の中にあった火打石で作った迎え火でそれを撃破するタケルさん。叔母さんの愛によって守られるタケルさん(ちなみにここでこのツルギが「クサナギの剣」と命名されます)。さらに東へと向かう途中船に乗ったら海大荒れで、どうしたらいいか神様に祈ると下されたご神託は「愛する者を海の神に后として捧げよ」というもので、愛する者と言えば・・・・・・・・・弟橘姫ですよねー!ってなわけで「行かせて」「行かせない」というそれはそれはもう激しい愁嘆場が繰り広げられるわけです。
で、結局弟橘姫は自ら海に飛び込むんだけど、その決め手となったのはこの言葉。
「私はどうせ貴方にとって正妻ではない。正妻なのは兄橘姫。大后になれないことは分かってた。でも海神は私を大后にしてくれると言う。だから行かせてください」
ヤマトタケル・・・・・・なんて罪な男。
で、暫くの間は弟橘姫を思いグズグズイジイジしてるんだけど、やること(東征)はしっかりこなし都へと戻る途中、往きにも寄った尾張を再訪するのね。すると今じゃヤマトタケルと言えば強くてカッコいい(多分w)皇子様として超有名なので、尾張の国造(竹三郎さん)は自分の娘であるみやず姫を妻にしてもらうべく差し出すのです。でもみやず姫はこういいます
「女は一番に愛されたいのです。貴方は国に兄橘姫という奥さんがいて弟橘姫という愛人もいた。その二人よりも私の方が好きだと言ってください。嘘でもいいからそう言ってくだされば私は貴方の妻になります」
と。
するとヤマトタケル
「兄橘姫も弟橘姫もどっちも愛してる。だが今そのように言うそなたのことをとても可愛く愛おしいと思う」
と言い放ちやがりました。両目ハートにしてメロメロになるみやず姫。
都で幸せに暮らしましょうね♪とウキウキのみやず姫ですが(正妻のことちょっとは考えようぜーw)、でもヤマトタケルは帰る前にもうひと働きしなくてはなりません。心配でたまらないみやづ姫に熊襲蝦夷と強敵を倒し向かうところ敵なし状態のタケルさんは「じゃあこのクサナギの剣を預けていくよ」と、伊吹の山神なんぞチャチャっと倒して戻ってくるからそれまで剣を預かっててくれと超ドヤ顔で言いました。
叔母が自分のために授けてくれた剣を旅の途中でゲットした若い愛人にホイホイ預けるタケルさん・・・・・・・・。
剣がなくて瀕死の重傷を負う羽目になったタケルさん・・・・・・・・・。
クサナギの剣を持って行きさえすれば愛人とともに凱旋帰国できただろうに、結局そのモテ男の“慢心”のせいで都に戻ることができませんでしたとさ。


ヤマトタケルのモテ男物語としてはこんな感じ(笑)。英雄色を好むとはよく言ったもんです(笑)。でもヤマトタケルはいつも女たちの方からから求愛されているわけで、女たちの愛を受け止めてるだけなんだよね。モテる男はつらいぜ。
でもこれ、先代猿之助さんと当代猿之助さんとじゃタイプそのものが全く違うわけで、見たことがないのでイメージですが先代の場合はギラギラとした男の中の男でありフェロモンむんむんのまさに“雄”って感じだったんじゃないかと思うのに対し、当代はむしろ守ってあげたくなるような母性本能をくすぐりまくりタイプに見えるわけで、この違いってのは作品全体の印象にかなり反映されるのではないかと思うのだけど。


そんなヤマトタケルさんですが、戦う時はやっぱすげーのよ!。まず1幕の対熊襲戦。前述の通り踊り女に扮して熊襲の懐まで潜入し、踊りながら熊襲の棟梁であるタケル兄弟を油断させたところでまず兄を斬り、そしてやったのはお前か、女!?と問われると「女では、無い!」と宣言しヒラリと身を翻すと一瞬で本来の男の姿に戻りバッタバッタと熊襲を斬りまくるの!!。これがもんのすごいカッコよくって!ここ舞台上は2階建ての屋台状で、そこかしこに樽が置かれてるのね。それを投げては斬り蹴っては斬りして、その合間合間に附け打ちの音とともに決めポーズするの!。そして最後は2階に登り、柱を斬り倒し、猿弥さん演じる弟タケルを討ち取り最後に残った柱を斬ると熊襲の宮殿が跡形もなく崩れ落ちるというド派手な屋台崩しで興奮MAX!!。
しかもアクション(殺陣ではなくもはやこれはアクションと呼びたい!)だけでなく、この場面では弟タケルが小碓命という男を認めた上で自分たちのタケルという名前を名乗って欲しいと、「ヤマトタケル」と名乗ることで自分たち熊襲の魂はその名前とともにあり続けるというわけですよ。この公演が猿之助という名前の『襲名』であることと相まって、この場面シビれたわー!。
そして2幕の対蝦夷戦。これは富士山をバックにその裾野で繰り広げられる火VS火という超バトルなのですが、双方が生み出す火を形が違う赤い布で見せ、その動きを京劇俳優さんたちのアクロバットで演出するというもので、まずその京劇俳優さんの超絶技巧にド肝抜かれました。舞台の端から端までバク転で走り抜けたり同じ位置で高速バク転を繰り返したり、とにかくすごいのなんのって!。
それに負けじと猿之助さんとそのお供としてともに旅する右近さんのタケヒコの動きも、ビシっと決めながらも歌舞伎役者らしいしなやかさで美しい!!。てか右近タケヒコ旗振り上手すぎカッコよすぎ!!!。
冒頭で新感線の舞台っぽいと書きましたが(いのうえ歌舞伎がスーパー歌舞伎の影響を受けていると書くべきでしょうが)、この両場面はほんと新感線を見ているようで、猿之助になったからにはもうムリでしょうが、亀ちゃんに新感線の舞台に立って欲しかったなーとか思ってしまった。
対山神戦は山神が化ける白イノシシが可愛かった(笑)。もののけ姫のオッコトヌシ様もしくは夏目友人帳の斑様を思いださせる造詣なんだけど、身体の部分が超モッフモフなの!。まっしろくてモッフモフ!。しかもこれも中に京劇の方が入られていたそうですが、ものすごいスピードで花道を疾走するのよ。客席の間を駆け抜けるモフモフのけものがもう神の化身以外のナニモノでもなくってそんなものが出るなどと知らなかったケモナーの俺大興奮(笑)。


能褒野でついに倒れ動けなくなってからの苦しみや嘆きはさすが猿之助さん!という吸引力。
父親である帝に認めてもらいたい一心で頑張って頑張って頑張って、成果いっぱい抱えて都まであと一歩のところまで来ながら、夢の中で父親はやっぱり自分を拒絶する。そんな夢しか見られない哀しみ。死の渕に立ち、自分がこれまでしてきたこと、大和朝廷という権力を掲げ従わない民たちを武力で征服してきたことの意味をヤマトタケルは初めて考えたのではないかと思う。自分のしてきたことは果たして正しかったのかと。それでも、それでもやっぱり都へ、父の元へ妻の元へ子の元へと「帰りたい」「帰りたい」と願うヤマトタケルの想いは問答無用で胸を打つ。
でもこの場面はヤマトタケルよりも「都へ帰りたい・・・帰りたい・・・」とうわ言で切望し哀願するヤマトタケルを支えながらどうすることも出来ず、ただ見守っていることしか出来ないタケヒコの哀しみや嘆きの方が強く印象に残ってるんだよなぁ。だってこの右近カッコいいんだもん。


そしてヤマトタケルがついに会うことができなかった息子・ワカタケル。皇子が死んだことで次の帝となることを段治郎改め月乃介さん(素敵すてき素敵いいいいいいっ!!)演じる使者によって知らされたワカタケルは
ワカタケル「お父様は、帝になりましたか?」
兄橘姫(母)「いいえ、お父様は帝にはなりませんでした」
ワカタケル「それでは、私も帝にはなりません。お母様はいつも「お父様のようになりなさい」と仰います。だから私は、お父様がならなかった帝にはなりません」
兄橘姫(母)「お前が帝になりこの国のために尽くすことを、お父様はきっと望んでおられますよ」
ワカタケル「では、私は立派な帝になります!」
と、力強く宣言!!。
これ、以前のバージョンではワカタケルの台詞はなかったそうなんですよね。つまり團子ちゃんのために作られた台詞、ってことよね。
そう考えると、なんかものすごく・・・・・・深い意味がある気がする。團子ちゃん自身がどこまでその意味を理解してるかは分かりませんが、猿之助改め猿翁さんの願い、いずれこの團子に猿之助の名を継がせるまで守り続ける亀治郎さん改め猿之助さんの想い、それからこれまでの俳優人生を擲ち歌舞伎の世界に入ることを決めた父親である中車さんの想い、そういうものがこの場面に凝縮されてるように感じました。思わず涙ぐんじゃったもんね。


そしてそしてワカタケル=團子の決意を聞き、その姿を見送ったヤマトタケルは誰もいなくなったところで自らの墳墓をブチ破り、白鳥の姿となって空高く駆けていく・・・という最大の見所ですよ。宙乗りですよ。先月の狐忠信のあのキャッキャした(笑)宙乗りと違い、優雅で気高くて、でもやっぱり物悲しくて、でもとても美しいお姿で、ひたすら見惚れてしまいました。
物語としてはハッピーエンドとは言えないと思うんだけど、救いと希望がある終わり方で、こういう余韻の残り方ってのは歌舞伎としては初めてかもしれない。


澤瀉屋が誇る女形笑三郎さんの倭姫、春猿さんの弟橘姫、笑也さんの兄橘姫・みやづ姫は三者三様(四様)の美しさであり優しさであり気高さを見せてくれたし、背中に魚と蟹をくっつけた彌十郎さんと猿弥さんの熊襲タケル兄弟は可愛くてカッコよくってもう最高!!。新・猿之助さんを筆頭に、澤瀉屋面々の地力を堪能させていただきました。
本当に面白かったです。スーパー歌舞伎ってすごいんだね!!。