『仮面ライダードライブ』第38話「悪魔はなぜ進化を求め続けるのか」

とにかくもうハート様カッコイイ以外に言葉がない。
メディックの(見方によっては)(進ノ介にはそう見えたのであろう)純粋な愛によって超進化を果たされたハート様はとてつもなく素敵であった。それ以外のことなんてどうでもいいとすら思えるほどに。
どうでもいいと言いつつも蛮野とのあのやりとりがあって次の瞬間陽気に「仮面ライダーマッハ―!」って、久々の名乗りは嬉しいけど端折りすぎだろうってかあれがあってマッハ―!っておかしいだろう?とかさ、メディックを庇った進ノ介からのハート様超進化ってな流れを見ちゃうとなんか剛が悪者みたいになってねーか?とかさ、ていうかこういうことになるんだったら前回の三人変身で復活させときゃよかっただろうになにこのさしてドラマのない復帰描写とかさ!、剛の(劇中での)扱いにはやっぱり引っ掛かってしまうのだけど、ハート様がカッコよければとりあえずはいいです。
ロイミュードの人体実験に関わってただけで人間に対しては無害の超絶美味な料理を作ってただけのシェフの人が「機械生命体幇助」の罪とやらで逮捕されるのならば、メディックを庇いその結果機械生命体のボスの進化を手助けしてしまった主人公こそ「機械生命体幇助」なんじゃねーの?とか思ったけどハート様のためなら別にいいよねー!って。通常であればシェフと女と柊吾の関係をもっと詳しく!ってか、シェフに対する柊吾の想いをもっと掘り下げて!!って文句言ってるところですが、ハート様が素敵だったのでオッケーです。わたしはついにその境地に達した。


と思ったところで次回チェイスの免許取得物語とか。なんでよw。
ところでわたし放送日であるこんどの日曜卒検前のみきわめなんですよね。仮面ライダーが免許取得するなんて展開そうそうあるもんじゃないのに、それがわたしにとってこのタイミングで放送されるだなんて、一方的に巡り合わせを感じてしまって冷静に見られなさそうというか、サムズアップで一緒に頑張ろうねチェイス!!ってな気分(笑)。

『デスノート』第3話

身分証を確認して名前書きました→身分証の名前はうそでした
婚約者を餌に本名書かせました→自分の名前だけ書いてませんでした(死んだフリしてました)
なんだこれ(笑)。
そして月=キラと特定したかのごときLの電話は可能性のある関係者全員に総当たりしたものでしたーって(笑)。
月もLもどっこいレベルじゃねーか(笑)。
つーか「レイ・ペンバーさん」って尾行対象者しか知らないはずの偽名で呼びかけられてんのに「誰だ?」じゃねーだろよレイさんよー。百歩譲って実は複数者の尾行を担当してて他でもレイ・ペンバーって名乗ってたんだとしても婚約者名前を知ってんのは(写真を見られたのは)ひとりだけだろうよレイさんよー(その前にFBIの捜査官やってるぐらいなんだから尾行対象者が消えてそこにキラからの指令書がある時点で夜神月がキラだと察してほしいわ。倉庫でようやく「お前がキラだったのか!?」っていくらなんでも鈍すぎるだろう)。(キラに見たことを知られずに)封筒の中身見たんだったらその時点でLに報告入れろよレイさんよー!。
どいつもこいつもバカすぎる(笑)。
だったら引き出しの細工とかさせてんじゃねーよ。「凡人」はこんなこと思いつかないっての。なんで原作の「天才だからこその行動」を凡人のつもりで作ってるドラマ版月にとらせんのかなぁ?。
LもLで月が原作通りの天才ならば夜神月=キラだと確信していても、どうやって殺人を行っているかを突き止めなければ「勝った」とは言えないってんで泳がせるのも納得というか、作劇としてそこに文句はないけど、でもこれただの大学生であり凡人なんだから、対キラ用に用意した「レイ・ペンバー」という偽名を口にした時点で夜神月=キラであることは明らかなんだからあとは警察に任せて終わりでいいじゃねーかよと。凡人相手にモタモタしてる間にFBI全滅って、Lダメすぎんだろとしか思えんぞ。実際ダメすぎですけども!。

『ペール・ギュント』@KAAT 神奈川芸術劇場 ホール

病院らしき廃墟のようなセットにひとりまたひとりと俳優が現れ、みんなどこか虚ろに見える中ヘリのモーター音が聞こえ、そして激しい爆音が響く
・・・というオープニングは今年の初めに観た白井さん演出作品を思いださずにいられなかったわけですが、ペール・ギュントというひとつの命がこれから紡いでいく、紡いでいくのかもしれない物語を描くにあたり、なぜこんな荒廃した病院であり世界から始まるのだろうかとか、ペールの人生(生涯)を描くのに「母」と「女」をキーワードにしたことや、トロルという種族をああいう者達として描いたこと、上着や帽子などパッと見えるものはその時々に見合った扮装なのにボトムは常にジャージであることなど、考えてしまう要素はたくさんあるんだけど、でもよくわからない、というか、考えようとしても考えられませんでした。考えようとしてもいつも途中で考えることを放棄してしまうというか、考えられなくなるというか。

それはなぜか。
内博貴が美しいから。
もうそれがすべて。それ以外になにも残らないといっても過言ではない。

ピロキ演じるペールという男は正真正銘のクズなんですよ。明日花嫁になる女を連れて逃げてセックスして、やるだけやったら「もうお前帰れ」と言い捨てるわ、ナイスバディの妖精に会えば速攻口説いて孕ませて、お腹の子はどうするの?と聞かれたら「里子にでも出せよ」と言ってのけるわ、人妻を「三人まとめて抱いてやる」わ、とにかくもう女喰いまくりのクズなんですよ。
でもそれがものすごい説得力。ペールとは“そういう男(という設定)”だってな説明は不要なの。だって“観ればわかる”から。
これだけの美貌があって口が上手けりゃそりゃあ女なんざ入れ食いですよねと、たとえ失敗したっていくらでも次がある(と思っちゃう)ってな話ですよねと、問答無用でそう思わせるだけの内博貴のビジュアル。それだけでこの舞台は成立してた。

1幕で橋本淳くんや加藤和樹さんを含め思いのほか多いアンサンブルが舞台上でどんちゃん騒ぎしてるなか舞台最奥からペールが歩いてくるというシーンがあるんだけど、人種が全く違うんだよね。その気はなくとも目が引き寄せられてしまう。もちろんそういう演出が施されてはいるのでしょうが、それがなくともきっと観客の目はペールをとらえる。そう確信できるだけの存在感はやっぱりすごい。

そんなピロキが生着替えしたり上裸でうろうろしたり意識失ったピロキを男達が脱がせて着替えさせたり、喘ぎまくったり4Pしたりするわけですから、そりゃあ・・・ゴチャゴチャ考えてる場合じゃねーってな話ですよ。ええ。

だから、期待していた「白井晃に鍛えられた内博貴」というわけではなかった。と思う。
だけど「内博貴でなければできない役」ではあった。と思う。

白井さんの演出と内博貴の主演と、それからペール・ギュントという作品。この三つの要素がどういう順番で決められたのかはわかりませんが、内博貴という素材の活かし方としてはこれまでに観た舞台上のピロキの中で最も優れていた。と思う。
ろくでもない息子といいながらペールに深い愛情を注ぎ続けた前田美波里さんが演じる母親との別れのシーンはナイーブさと激しさが同居するピロキならではの哀しみを見せてくれたし、その上ほんの僅かな時間とはいえ歌うしステップも踏むし、ピロキ目当てとしては満足。どこを切り取っても美しすぎるクズ野郎ですこぶる満足。