青学VS氷帝 凱旋公演@TOKYO DOME CITY HALL

凱旋の感想というよりも今テニミュに対して思うこと、です。ていうかただの愚痴なんでそのつもりでクリックしてください。





凱旋初日の挨拶で座長・リョーマも言ってましたが、満員の会場はテニミュファンの一人として嬉しかった。それは6代目青学を筆頭にキャストが頑張った成果だと思うから。だけどこれを「成功」と捉え今のこのシステムというか・・・この状況のまんまこの先を続けていくってどうなのかなぁとも思う。どうボカせばいいかわかんないからハッキリ書いちゃうけど、今の製作チームに作品愛ってあるのかなぁ・・・と思ってしまうんだよなぁ。「舞台」を作ってる自覚あんのかなと疑問を覚えてしまうのです。ハイタッチや連発されるイベントや、それから公式ブログなんかでキャストとの距離感を縮めるのは戦略としてアリかもしれませんが、そこに力入れる一方で本業=舞台の質そのものが確実に落ちてる気がしてならない。会場が埋まってなければこの先どうしたら埋まるのか考え努力することで変わっていく可能性はあるけど、今の状況を見る限りその望みは叶わないだろうなーとしか思えない。
そもそも当初から2ndシーズンの目標というか意義というか、どこを(何を)目指して再びテニミュをやろうと思ったのか、そこからしてわかんないんだよね。当然金のなる木をみすみす捨てる手はないと即2ndを企画したのでしょうがそれは興行主(運営)の話でさ、わたしが言ってるのは実際に舞台を“作る”人達の話。『再演』として1stと同じことをやるってのも一つの道ではあったと思う。だけどそれは選ばなかったわけじゃない?。だったらオール新曲にするぐらいの気概を見せろよとは思うけど、1stとは別ものの新しい不動峰戦でありルド吹戦を見せようとしたわけだよね?。で、結果としてはどちらも不満が残った。演出に対しても脚本に対しても、それからキャストに対しても合格点は上げられないなとわたしは思った。ていうか舞台上の空気が温くないか?と。
誰が言い始めたのか知りませんが今じゃ当たり前のように、ていうか堂々と「成長を見守る舞台」とか言ってて正直わたしはそれってどうなの?と思うんだけど、でも実際ぐんぐん伸びてるのが目に見えたりある時突然覚醒する瞬間を見ること自体は楽しい、というか、まぁこれがテニミュ独特の醍醐味の一つであるってことは認めますよ。だけど2ndに入ってからは同じ「成長を見守る舞台」にしたってスタートライン低くねーか!?と思うんだけど。完成形が10だとすると1stは5から始まってたところが2ndは3程度から始まってるように見えるんだけど、1stも2ndもほとんどが新人という環境は変わってないわけだからこれはキャストの技量そのものの問題ではなく、明らかに作る側の「お金を取って見せるものである」という意識の低下が問題なのだと思う。3程度の完成具合でも舞台に上げちゃうってプライドなくない?と、それでいいと思ってんの?と聞きたいわ。
現行の本公演が終わってないのにドリライのみならず六角のスケジュールを出すってどういうつもりなのかと思うんだけど、見てる側もそうだけどやってる側も息つく暇がないと思うのね。それは演じる役の成長であり変化を咀嚼する時間が満足に与えられないことに繋がるし、相手校だって満足に練習をつめる状況ではないってことだろう。だからスタートラインが低くなるのは当然っちゃ当然のことと言えるのかもしれない。だからってそれをよしとするなよと。作品そのものからそういう悪環境を跳ね返してやるという、そんな状況だっていいもの作るんだというプライドとか気概とか、そういうものが見えないんだよ。舞台上からキリキリするような気迫を感じない。個々の試合や場面ではいいなと思う瞬間は多々あります。でも舞台を通して、作品そのものからそれを感じたい。わたしが2ndに対してずっと抱き続けてる物足りなさの理由はそこだと思う。
ここで作り手はどこを目指してるの?って話になるんだよなぁ。1stはとにかく原作を舞台上で再現することだけを考えてたと思う。無から完成形の10目指して作り上げることに舞台作りに関わる全ての人の意識が集中してたと思う。だから内容に関わらず常に本気を感じられたしいい意味でピリピリとしたまさに『真剣試合』って感じだったと思うんだよね。でも2ndになってそういう空気を感じたことは1度もない。
最初に書いたように2ndは1stよりもより身近に、それこそ「体感」できる舞台を目指してるってんならそれはそれでいいと思う。そのために笑いの要素を多くしたりリピーター向け演出を用意してるというならばそれはそういう手法なんだと納得しますよ。だけどそれはちゃんとした土台、一定レベルの見せられるべきものを作った上での話。不動峰公演は最初だからまぁこんなもんかと思えたけど脚本・演出ともに質が上がるどころか劣化してるってどういうことよと。これは対1st比ではなく対前回公演比の話ね。
テーマ曲の組み合わせはちゃんと意味があるものなのか疑問だし(手塚・英二先輩ペアは俺得すぎて毎度ハァハァしましたが・・・・・・)、歌唱レベルが低いならばそれをフォローする演出を用意するなりなんなりして何がなんでも校歌のメインは跡部様に歌わせるべきだったと思うし、ていうか主役のリョーマ戦が一番手抜きってどういうつもりなのかと。これって1stが作り上げた舞台を(単なる)下地としてその上に張りぼてつくったようなもんじゃん。他が手抜きでもパクリでも1stと違う新しいものを作ると決めた以上主役のリョーマだけは何がなんでもオリジナル!1stを超えてやるんだという意気込みで作らなきゃダメだろ。青学がチームとして伸びてるからこそ脚本・演出のまずさが見えちゃうのかなーと思うんだけど、キャストの成長にそれ以外の部分が追いついてないってマズイでしょ。つーか1バル20番台後半でも下手ベンチがほとんど見えない会場でやり続けるならば会場に見合った演出を考えるべきでしょう。そういうとこ一つとってみても“いい舞台”を作ろうとする意識が欠けてると思うし、観客を見てないってことだと思う。でもそれでも埋まっちゃってるわけで・・・・・・。
キャストも諸手挙げて褒められない。どんなベテラン役者だって長期公演であれば多少の波はあるもんだけど、その波がありすぎるのが気になるんだよなぁ。ていうか波があってもトータルで見れば上向きでなきゃダメだと思うのに後退しまくってる人がチラホラいるのがとても気になる。わたしが見たのは大阪と凱旋だけですが氷帝校歌なんて酷すぎて愕然としたし、動きも台詞回しも結構な公演数こなしてきたのにこれかぁ・・・とガッカリする場面が少なからずあった。結構ミスも多いしね。努力してないんじゃね?とまではいいませんが、今のキャストって舞台以外(ブログとか)でも何かを求められてる気がして大変だなーと常々思ってるんだけど、本来力を注ぐべきところはそこじゃないよねーと。まぁ悩んだり壁にぶちあたってもそれを乗り越えるための時間、再度自分が演じる役を見つめなおしたり咀嚼しなおす時間もないんだろうし、カンパニーの空気自体がよくもわるくも部活な感じでいい意味での厳しさを発揮するようなタイプもいなさそうだもんなぁ。2nd感想内で何度か書いた気がするけど客側もミスを笑って許容しちゃう雰囲気だし。
・・・・・・・・・ってそんなにぐちぐち言うなら見なきゃいいじゃんって話ですよねー^^。でもやっぱりすきなんだよね、テニミュが。すきだからこそこれだけ長文の愚痴垂れ流しちゃうんですよ。アンケにも頑張って書いちゃうわけですよ。どーでもよかったらさっさと見切ってる。
とりあえずどういう形になるのか(どの程度関わるのか)まだわからないものの上島先生が再び演出に携わるってのはこのままじゃまずいなって空気が多少なりとも現場にあるからだと思うんで、それがいい方向に作用してくれることを祈ります。


凱旋した千石さんはキラキラ度が増してました。もしかしたらもうこの千石さんを拝む機会はないのかもしれないと思うとかなり真剣に寂しいと感じます。
そして凱旋した英二先輩はさらに頼もしさとしなやかさと輝きが増量してました。三人でダブルスは毎回泣いた(笑)。こんだけ偉そうに文句つけといてなんですが、わたしこの英二先輩ならば何をやってもどんなレベルでも最終的に受け入れてしまうと思う(笑)。それぐらいこの英二先輩は素敵です。
跡部様は結局殻を破ることができなかった・・・・・・・・・のかな?。この跡部様に「喚けメス猫ども!」と言われても多分ピギャれない・・・・・・・・。
あとちょっと気になったのがリョーマの声で低くなってるように感じたんだけど、一時的なものなのかそれとも肉体的成長の証的なものなのかどっちだろう。