重松 清『十字架』

十字架 (100周年書き下ろし)

十字架 (100周年書き下ろし)

中学二年の少年がイジメを苦に自殺。その少年に遺書の中で「親友」と名指しされた少年の目線で描いた物語です。この少年の目を通じて、自殺した少年の両親、苛めていた当事者、直接は手を出さなかったもののイジメを止めるための行動をなんら起こさなかった自分を含めたクラスメイトたち、遺書の中で共に名指しされていた少女、事件を取材するジャーナリストなど、あらゆる立場の人達が「少年の自殺」と向き合ったり背負い続けたりするのですが、所謂「いじめっ子」と「いじめられっ子の親」の物語でないところが目新しいと思いました。こういう題材を扱った作品でこれまで私が読んだものの多くは「親の慟哭」「親の復讐」「いじめっ子の更生」がテーマでしたが、この作品は“無理やり死んだ少年の親友のポジションに座らせられた”というとても微妙な立場の少年が、口には出さずともそのことを勘付いている死んだ少年の父親と、適切な表現が見つからないのでこう表現しますが「交流」することによって、少年は成長し父親(少年の家族)は長く苦しい時間を過ごす過程を描いたもので、そこには激しい感情や湿っぽさといったものはありません。でもというかだからこそというか、ぶつけようのない想いが詰まってて、読んでいてとても苦しかったです。加害者と被害者が1対1ならばともかく、イジメのように加害者の線引きが曖昧な場合、この少年や少女のようにその気はなくとも“一人の人間の死”を背負わされる、自ら背負う人もいるんだろうなぁ。そしてきっとそういう人の方が一生抱えて生きるんだと思う。幸いなことに私はこれまでそういうものを背負うことはなかったけれど、この先社会活動を営み続けていく中でもしかしたらそういうことがあるかもしれない。そうならないようにもしも苦しんでる人が身近にいたならば出来るだけ手を差し伸べられる人間でありたい・・・と考えるのがまぁ真っ当な感想なんだろうけど、今生きることってそんなに甘くも単純でもないと思うんだよなぁ。社会人であろうが中学生であろうが。なんてことを考えながら読みました。