『僕たちがやりました』第9話

ふつうに警察に自首しても闇に葬られるからそれができない方法で「僕たちがやりました」と告白=自首しようって考えは否定しないけど、他人のライブ荒らしてんじゃねーよと。舞台上のバンドは無論のことその場(客席)にいる客はライブを楽しみに来てるのにどこぞのバカ高校生が乱入してきてめちゃくちゃにされたらたまったもんじゃねーだろ。必要なのは親父の力(警察の制止)が及ばない『衆人の眼前で』というシチュエーションであって、それがライブ会場である必要はないでしょ。自己満足のために自首するのは結構だけど他人に迷惑かけんなよと。
まぁドラマですし、舞台上にいるの主題歌歌ってるDISH//なんでこのシチュエーションは“必須”ということでしょうが、であればパイセンの金の力でライブの間ちょっとだけ時間をくれるように事前交渉しておいたとかさ、入場にはチケットが必要であろうライブ会場にあんな形で乱入する(できてしまった)不自然さを補う手間を省くなよと思うの。このドラマに対してそういう整合性?を求めるのは今更かもだし、もしかしたら自首するぜー!で舞い上がってて他人のことなどお構いなしという“とことん自己中”を強調する意図があるのかもしれないし、ていうかこういうツッコミ上等というか前提というか、それを狙って作ってるところはあるのでしょうが。とはいえビラ撒きながら自首へ向けて疾走する4人のバックに流れてる主題歌からライブ演奏へ繋がる演出は良かったです。
で、パイセンが「人は過ちを犯す。大事なのはそれをどう挽回するかだ」的なことを言ってたけど、死んでしまった人間はなにもできないんだよね。マルに言わせりゃそもそも死んだ奴らが悪いんだけどさ、でも死んじゃったら罪を償って人生挽回することはできないわけだよね。そこいらへんのことちゃんと考えたうえでの自首なの?と聞きたいんだけど、たぶんそういうのひっくるめて『生きろ』なんだろうと、『俺らは生きてる』ってことなんだろう。
と思ってたところにパイセンの腹違いのイケメン弟が手下連れてやってきて、これで死にたくないって泣き叫びながらあっさり殺されちゃいました・・・なんて最終回になったらなんかすごいけど、4人揃って予告で生きてました(笑)。

『さぼリーマン甘太郎』第9話

この赤坂のお店行ったことあるー!(もちろん甘味目当てではなくピザ食べながら酒飲みましたw)。
冒頭の揺れすぎるプリンにつっこむ甘太郎さんは面白可愛かったですがプリン(ぽっちゃり)と杏仁豆腐(チャイナ服)に挟まれる昭和のダメヒモ野郎仕様の甘太郎さんはものすごいイラっとしましたw。そして杏仁豆腐を罵倒するプリンさんがなんかすごかったw。
あと回転テーブルを巧みに操りスムーズに食事が進むようアシストする甘太郎さんはさすがの敏腕だったけど、中華を貪るおっさんたちの映像がコードネームミラージュ(9話のスッポン回)を思い出させる感じでちょっと気持ち悪かったです。おそらくスイーツを食べる甘太郎さんとの対比としてこういう画面作りをしたのではないかと予想しますが、中華貪る脂ぎったオッサンVSスイーツ食べて白目剥いて完全にアヘ顔状態の甘太郎さん・・・・・・どっちもどっちである(笑)。

『宮辻薬東宮』

宮辻薬東宮

宮辻薬東宮

トップバッターとして宮部みゆきさんが自由に書いた作品を軸に、辻村深月さん、薬丸岳さん、東山彰良さん、宮内悠介さんが連作短編集としてバトンを繋ぐアンソロジーです。
予めモチーフを与えられるのではなく、宮部さんの作品を辻村さんが読んで書き、お二人の作品を薬丸さんが読んで書き、というスタイルだったようで、これあとになるほどプレッシャー掛かるだろうなぁと意地悪目線でニヤニヤしながら読みました。
で、私これ辻村さんまでは「写真」がモチーフなのかと思ってたんですが、どうやら「ホラー」繋がりだったようです。私の読解力などこんなもの・・・。「私と言えばホラーでしょ」と仰るだけあって、宮部さんの作品はやはり群を抜いてる。トップバッターとして好きに書いたであろうことを差し引いてもひとつの短編として完璧に面白いし、アンソロジーの1篇目として期待を高めるという役割を必要以上に果たしてる。続く辻村さんはお得意の母と娘の話だし、薬丸さんは夏目刑事というキラーカードを切ってきてるし、それぞれいい意味で「十八番」をぶつけてきてるにも関わらず、面白さという意味で宮部みゆきがぶっちぎり。