乃南 アサ『いちばん長い夜に』

いちばん長い夜に

いちばん長い夜に

芭子ちゃん&綾さんシリーズ最終巻・・・・・・になるのだと思います。
ムショ仲間である二人が下町で日々こつこつと真面目に生きる物語をまだ、もうちょっとは、読み続けられるとばかり思っていたので、表紙を開き見返しに「感涙の大団円」とあってまず驚きました。え!?これで終わりとか聞いてないんですけどっ!?って。
そしてまさか二人の進む道がこんな形になるだなんて・・・・・・。
綾さんが抱え続けた想いに、それを知った芭子ちゃんの気持ちに、涙が止まらなかった。


以下、内容に触れてます。





あとがきで乃南さんが『罪を犯した代償として人生を大きく狂わせ、多くのものを失った彼女たちにとっては「取り立てて大きな事の起らない日常」こそが貴重であり、かけがえのないものに違いない』『ひたすら自分を恥じ、世間の目に怯えて、まったく希望の抱けなかった主人公が次第に成長し、新たに生きていく希望を持てるようになってくれれば一番嬉しいと思っていた。だから、「あえて何も起こらない話」にしようと思っていた。』と書かれてて、私もまさにその通りのことを思っていたし願っていたし、だから芭子ちゃんと綾さんの物語の中に突如「東日本大震災」なんてものが入ってきたことに戸惑ったんですよね。そして怒りを覚えた。なんでそんな話にしちゃうの!?と。
綾さんの故郷が仙台だってのはいいとしても芭子ちゃんが“たまたまその日に”仙台に行くなんてことがあるかよって思ったんですよね。財政面を含め芭子ちゃんの生活と心に余裕が出てきて、“綾さんとのこれから”についても考えられるようになってきて、そんな時に偶然綾さんの“本心”を耳にしてしまったことと母親と間違えた子供に「お母さん」と呼ばれ抱きつかれ様子がおかしくなった綾さんの隣にいたことがあって、芭子ちゃんは綾さんがタブーとしてきた「子供」について一歩踏み込む決意をしたと、そこまでは自然な流れで理解できます。だけどそこで一気に仙台まで一人で行っちゃうか!?と、そこがまず理解できなかった。
で、芭子ちゃんは仙台であの大地震を経験し、芭子ちゃんが仙台に行った理由と持ち帰った報告を聞いた綾さんは、そこからはもう激流に巻き込まれるようにしてそれまでとは全く違う日々を送ることになる。ずっと二人で支え合って生きていくのもいいんじゃないかなーと思っていた私なので、二人の時間が、二人の想いがすれ違ってしまうのを読むのは哀しくて、だけど綾さんの想いも分かる・・・・・・というか、これまでずっと自分のしたことを後悔してなかった綾さんが被災地でボランティア活動をする中で「人が死ぬ」ということの意味を、自分が他人の命を奪ったことの意味を知り、初めて「後悔」したというその・・・重みに打ちのめされてしまって、そこでもう何も言えなくなってしまった。
芭子ちゃんが仙台から東京に戻ってくる描写がやけに克明なので、ああこれは乃南さん自身の体験談なんだろうなーってことは読みながら感じてて、作家たるものその体験を書くのは使命、であると思う。だから乃南さんの作品内でそれが描かれるのは構いません。だけどそれを何もこのシリーズで書かなくてもいいだろう!ってほんと途中でムカムカしたんだけど、でも乃南さんが仙台に行った理由はこの作品のため、「綾さんの本当の心」を描くためだったんですって。そして「三月十一日」しか行ける日がなかったんですって。
・・・もうさぁ、これぞ運命だよね。芭子ちゃんと綾さんの物語はこういう展開、こういう結末になるべくしてなった、ということなんだよ。
なのであとがきまで全て読み終わった今は途中のあの怒りは何だったんだと思うほど、満たされた気持ちでいっぱいです。芭子ちゃんだけでなく綾さんも過去を受け入れてくれる(受け入れようとしてくれている)人たちとともに本当の意味での「新たな人生」を歩み始めてる。結果的には願っていた通りのラストだしね!。


・・・・・・とまぁ芭子ちゃん&綾さんシリーズとしてはまさに大団円を迎えたわけですが、サラっと別シリーズの主人公が復興支援で被災地に派遣されるってな展開になってて、そっちはどうなるの!???と。あいつバカだけど馬鹿じゃないからちょっと心配・・・。