『どうする家康』第9話「守るべきもの」

居直り家康がイッセー尾形になんか言われて「俺はお前たちを信じる!」と言ったら戦うモチベーションが見つからずに士気落ちまくりの家臣たちが奮い立ち、具体的な作戦などなく(その説明はなく)数カ月続く押され気味の膠着状態だったものをあっという間に形勢逆転するのをぼんやり眺めてたらぬるっと「和睦」が成立して(他人に言われるがまま寺再建は口から出まかせ)三河一揆が終わってた。

家康の人生における最初の山場という認識で見てたけど、家康自身が特になにかをやったわけではないのになんとなく状況が好転し(家康にとって)いい結果になってるってのは、これを「原点」とするんでも「転機」とするんでも『この作品の徳川家康』としては納得できるような気はする。

そのうえで。うん、まあ間違ってるのは殿のほうだよな。正信の言ってることが正しい。
乱取りで奪われた幼馴染が遊び女にさせられ苦しみしかない現世から解放され来世に願いを託すべく南無阿弥陀仏を唱えて死ぬいう過去持ちの正信に、人質にされた妻子を助けるために戦争をするような人間には信仰を必要とする庶民のことなどわかるわけがないというド正論を家康にぶつけさせること。
それを受ける家康が自分が間違っていたと素直に認め、反省し、それでも前へ進むしかないと宣言すること。
3話かけて三河一向一揆を描いた意図はこの正信と家康の対話をやるためであったと、殿である家康に対し正信は云わば「庶民の代表」としての立ち位置になるんだということは理解できました。
最後に寺を潰す「言い訳」をアドバイスすることで家康にとって正信が「必要な存在である」ことを刻むのも戻ってくるための土台として充分だし。


で、正信いつ帰ってくるん?。
もはや海老すくい踊ってるだけの南朋さん忠次だけじゃ(わたしの視聴モチベ的にも)心もとないからはよ戻ってきて。
もしくは毎回「一方その頃正信は・・・」で始まる本多正信放浪記を挿入して。