『女神の教室~リーガル青春白書~』第4話

真中に二面性があることは初回から描かれていたので、演者が高橋文哉くんであることだしそこからもう一歩踏み込んだ掘り下げがなされるのだろうと高橋君の演技含め楽しみにしてたんだけど、二面性自体は外面がいいというか、周囲の評価がなまじ高いがために(その高評価はそれまでの言動によるところもあるのでしょうが)流されるまま自分を“盛って”みせてるだけでしたってところはまあリアルかな。

そういう人間って集団のなかに一人ぐらいはいるだろうって意味ではリアルだし、ここまでの積み重ねがある上でそういう人間が自分の利益だけでなく相手の事情も踏まえて歩み寄る=和解という「答え」に自力で辿りつく流れはドラマ的で、このロースクールでは「エリート」と目されてる真中に対し「落ちこぼれ」を自認してる桐矢・水沢・向日葵は雫の授業(というか影響かな?)によって考え方だけでなく学力そのものも成長してることも含めて模擬裁判回は今のところハズレがないなーと楽しめたんだけど、えーっと水沢の苦学生設定どこいった?。

水沢の事情をみんなが知ったからといって水沢の経済事情が改善するわけでなし、相変わらずバイトはしなきゃならないだろうに、藍井ゼミに入るための試験勉強もやって講義の対策もガッツリやって(それでいっぱいいっぱいになってる風もなく)、おまけに「打ち上げ」にまで参加するとかどうなってんだよと。

別に“そういう描写”を入れろっていってるわけじゃなく、今回で言えば打ち上げに行かないか?と照井を誘う真中が「今日は珍しく水沢も行けるって言うし」とひとこと言うだけでいいのよ。
当番回が終わった途端それぞれの問題がなかったかのように描かれなくなるのは群像劇としてダメだとわたしは思う。