『大奥』「三代将軍家光・万里小路有功編(3)」

ああそうか。家光の時代は“逆転大奥”の始まりなわけで、家光も有功も自分の置かれた状況、与えられた役割が「当たり前」ではないんだよな。
こんなにも理不尽で一方的な始まりであったというのに(「男色の将軍が趣味の辻斬りキメて昂った勢いでそこらの女をレイプしたら子を孕んだ」というそもそもの発端からしてエグすぎるってか先代家光ヤバすぎやん・・・)、それが「当たり前」になってしまえば聡明な吉宗をもってしても「私は別に男女の色恋が読みたいわけではない」で流されてしまうんだな・・・と胸の痛みを覚えるけど(まあ吉宗の発言は村瀬が書いてる没日録がお役所の記録的読み物ではなく恋愛小説調であることへのツッコミでしょうがw)、でも男女逆転大奥などというデカすぎる・・・決まり事?に限らず誰かの“思惑”から始まったおかしな“しきたり”であっても、それがどれほどおかしかろうとも、時が経てばいつしかそれに慣れてしまい当たり前として受け入れてしまっていることってたくさんあるんだろうね。そしてそれは現実にだっていくらでもあるのだと。

などと思いつつ、ああ・・・やっぱ若紫にゃんこ可哀想なことになっちゃったよね・・・このエピソード記憶にあったわ・・・とどんより。
どれだけ必要な展開であっても動物が犠牲になるのは辛い。

でもそこからの上様と有功のあえてこの言葉を使うけど「傷のなめ合い」は気持ちとして理解ができる。始まりが『この二人』であったから、春日局発案の逆転大奥システムが軌道に乗ってしまったんだなと納得できるし、乗ってしまったがために「子をなす」という目的が果たされずに有功がクビになる(ってことだよね?)とか上様が哀れすぎるわ。

有功の女装が「女の格好をした男」でしかなくて、劇中視点では顔で選ばれた(とわたしのなかでは結論がでてる)くせに、メタ視点では女装させるから福士蒼汰を選んだんだろうに、これはいくらなんでもクオリティが低すぎだろうと思ったら、「上様のほうが(女の着物が)似合う」とするためにあえての手抜き女装だったと解り、上様におくった歌のなかに「千の恵み」として「千恵」の名を入れ込み「功あらん」で自分の「有功」をその隣に並べるのとコンボで有功さん・・・そんな顔してジゴロかよ・・・・・・。