『エルピス―希望、あるいは災い―』第3話

いやー、思うこと思わされることはもりもりあるんだけど、いざ言葉にしようと思うとなにから書けばいいのかどうやって書けばいいのかわからんなこれ。

3話の「語り部」は眞栄田郷敦演じる岸本でしたが、まずは岸本が「いじめの中心人物」ではなくてホッとしたわ。
それどころか学生時代の岸本の立ち位置は意外なものだった。1話のモノローグで両親が弁護士という裕福な家に生まれ人生イージーモードで生きてきた的なことを言ってたし、顔も顔だし、あたりまえにスクールカースト上位に属する人生を送って来たんだとばかり思っていたので。
でもそうか。今現在はテレビ局勤務とはいえディレクターとしてこき使われてるぐらいだし、披露宴でウェーイ!ってやってる新郎新婦やその友人たち、曰く「墓参りに行かない派」にはなれない人間なんだな。なりたくてもなれないし、なれれば楽なのかもしれないけどなれないと、どちらの意味でも「なれない」のだろう。

で、繰り返すけど岸本が「墓参りに行く派」でよかった。かつて同級生をいじめで死に追いやったことを悔やみ苦しんでいて、いわばその贖罪として冤罪事件に取り組んでるんだとしたらなんていうか、ムシが良くないか?的な気持ちがあったんで、率先していじめに加担したわけではないけど“そういう立ち位置”だという自覚はあって、それを今も引きずってる岸本の「正しいことがしたい」という気持ちは理解できる。その気持ちを信じることができる。
(でもかつて友人を見殺しにした僕はいいとして「ママも」正しいことをしたいんだってのはどういうことなんだろう。筒井真理子さん演じる岸本ママのターンが待ち遠しい)

2話で浅川恵那が「固まった」のに続き、今回で岸本拓朗もまた「固まった」。混沌とする物語のど真ん中にいる二人を序盤でしっかり固めてくるあたり、抜かりがないな感をビンビン感じる。
恵那が出会った瑛太演じる謎の男は恵那の「正しさへの暴走」を具現化した存在だと今のところは思ってるんだけど、どうだろう。
そして岸本の“空気読めなさ”がこの先どこでどう発揮されるのか楽しみ!。

一方、長澤まさみと眞栄田郷敦とともにキービジュアルに存在している鈴木亮平の斎藤は逆にわからなくなった。
浅川恵那が世間的に“落ちぶれる”キッカケとなった路チューの相手だというのにおとがめなしどころか報道のエース記者として異例の出世をし、副大臣と“近しい”間柄となっている現在の立場の背景にはなんらかの『理由』があることは確実だろうとして、遺族からコメントを取るという自分のアドバイスを実行し見事に“素材”を入手した恵那の家を訪ねてきた理由は松本死刑囚の冤罪事件を追うことを諦めろ、もしくはVTRを放送することはやめた方がいいと言うためであり、局長に「上げられてしまった」ために放送はできないと「決まってしまった」ことで、飲めない酒を呑み吐き自分を求める恵那を見て「目的は達した」と判断したと解釈していいのか?。
だとしたら斎藤と過ごした時間のあとで恵那は「正しさに突っ走ってしまった」わけで、それは「斎藤の目的を察した」からなのではないかと思うわけで、つまり斎藤の判断ミス、ということになるけど、わたしが思ってるほど“デキる男”ではないのか?。
それとも副大臣に見せたニヤリ顔の裏で別のことを企んでいたりするのだろうか(わたしのイメージ&希望はこっちなんだけど)。

それで言うと、恵那がわざわざ玄関の外で斎藤の胸にもたれかかるという迂闊な行動に出たのは「撮られる」ためなのではないかと予想してたんだけど、3話内ではそういう展開にはならなかったし(これはまだ保留だけど)、これまで距離を置いていたはずの恵那と斎藤が再びセックスしてしまうことになる心理的布石だったのか?。
現時点で恵那に斎藤の背後に副総理がいることを知る由はないだろうし(官邸担当としての繋がり以上のことは知らないだろう)、ここで斎藤が『止めにくる』とは思ってなかったと思うんだよな。でも斎藤が何を言うために訪ねてきたのかは察することができただろう。だから自らセックスに持ち込んだのは意図的だったとわたしは見るけど、繰り返すけど前回の時点ではまさかこうなるとは考えてなかったと思うんで、そこには恵那の斎藤に対する女としての感情がある、と解釈していいのかな。
記者としては有能でも男としては苦しんでるのにタバコ吸うクズだけど、でもそんなクズだからこそ忘れられない面がある(し、利用もできる)ということならば、理解できてしまうわたしがいる。


と、登場人物にガシガシ肉付けをしていく一方で、『マスコミ』の描き方というか手の突っ込み方というか、そっちもすごいな。
被害者遺族から蛇蝎のごとく扱われるのはマスコミだからで、それだけのことをしているからで、でもマスコミの行動によって「救われた」と言う遺族もいて、そしてその「救われたと言ってもらえた」ことを免罪符を得たというと言いすぎかもしれないけど、それを自らの行動の原動力とし、そこに「マスコミ」としての歪みがあることを理解(台詞として明確に)しつつ、『正しさに突っ走る』というこの流れ、そこある種の身勝手さであり傲慢さのようなものを感じつつ、見応えがまあすごい。

ってところでこの「予期せぬVTR」が流れてしまった明けの生放送のスタジオはものすごい空気だろうと想像するけど、それを海老田天丼がどう捌いたのかは非常に興味がありますw。