『千と千尋の神隠し』@帝国劇場

いきなりですが、わたしはジブリに興味がありません。確認したら6作品しか観たことがなく、そのなかに千と千尋の神隠しは入っていません。つまり映画を観ていない。
そんなわたしがなぜチケットを取ろうと思ったかといえばそれは観劇を趣味とする人間としての「興味」ただそれだけ。話のタネに観てみるか!なんて軽い気持ちでチケットを取ってしまって申し訳ないと思いつつ(ここまで売れるとは思ってなかったんで・・・←この時点でジブリを知らない、ジブリ人気を舐めてることがわかりますよね・・・)タイミングよく放送された金曜ロードショーでちゃんと映画を観てから客席につきました。ええ、わたしは勤勉なオタクですから。

興味9割なんで何度も観たことがある上白石萌音ちゃんでなくせっかくだから橋本環奈ちゃんで、さらにせっかくだから田口トモロヲさんで、そして三浦宏規くんと菅原小春さんは絶対外せん!という組み合わせで探した結果「本物」である夏木マリさんの湯婆婆/銭婆は観ることが叶いませんでしたが、キャスト的には概ね希望通りです。


というわけで舞台の感想ですけども、まんま映画じゃん!!!。
観劇日の数日前に映画を観たんで記憶的にはかなり鮮明だったけど、映画がまんま「舞台化」されててびっくりしたわ。
歌舞伎としてつくられた風の谷のナウシカほどではないにせよ、舞台化するにあたり“舞台ならでは”のアプローチをするんだと思っていたもんで、忠実といっていいレベルで映画を再現してることにとても驚きました。

いかにも「お金が掛かってる」大がかりなセット(これほどまでに舞台上に、視界に入るところに「隙間」がない舞台セットは観たことがないかもしれない)を盆の上に立てて縦横無尽に動かしつつ、時に映像と併せることで舞台上に“異世界”をつくりだし、特にオクサレ様が油屋にやってきたけど実は河の神様でした!の場面なんかは舞台ならではのスケール感(での再現)で、それを可能としたセット+アンサンブルの人数に(「お金掛かってる!!」と)感動したし、一方で湯婆婆の形態変化や釜爺の手足や白龍状態のハクは人力というアナログな手法で映画を「再現」していることは凄いんだけど、でも『映画を再現する』ことに意味あるのかな・・・?と思ってしまったんだよな。
湯婆婆と契約するにあたり千尋が「名前を奪われる」演出とか、カエルとかまっくろくろすけみたいな煤?炭?はともかく坊が変えられたネズミと湯婆婆の顔した鳥が変えられたハエドリの演出は果たしてこれ帝劇でやることか?と思ってしまった。ラジコン?の電車とかこんな演出で「見せて」まで映画通りにやらなきゃいけないもんですかね?と。

千尋とハクが出会って橋に向かうシーンとか、豚になった両親に会いにいく咲き誇る花のトンネルのシーンとか、板を持った黒衣(この舞台ではベージュのツナギみたいなスタイル)や身体の花を付けた黒衣を相手に舞台上を行ったり来たりしてるだけで冗長だし、そうまでしてもその場面がある理由が「映画にそのシーンがあるから」しか見つからないんですよね。
そういう意味では千尋が銭婆のところに向かう電車のシーンは映像とアナログの合わせ技で台詞がなくても「魅せる」シーンになっていて、この場面をこれだけの尺を使って描けるのは「映画の通り」だからなんだよね。だからまあ痛し痒し。


ここまで舞台版・千と千尋の神隠しはほぼほぼ映画の通りでしたと書いてきましたが、ところでこの作品ってなにがそんなに人気なのだろうか。
舞台対策としてテレビ放送された映画を観たと冒頭で書きましたが、無人の屋台に料理があるからって勝手にムシャムシャ喰い始める千尋の両親にドン引きし、それがそのまま最後まで続いた感じだったんですが。 “金は持ってるからあとで払えばいい”じゃねーだろよと。
それまでは誰も見向きもしなかったカオナシが金をバラまいたとたんお大尽様扱いでチヤホヤもてなされるのと合わせて「拝金主義」であり「人間の(醜い)欲望」を描いているのだと解釈したけど、それにオチがついてなくない?と思うんだけど。
それが千尋が千として油屋で働き様々な存在と出会い経験することで得たもの、それにより「ほんとうに欲しいものはお金じゃ買えない」ことを知ったこと、湯婆婆が用意した「このなかで両親はどれだ?」クイズに「このなかに(両親)はいない」と見切ったこととに繫がることはわかるんだけど、その物語を面白いとは思えなくて、千尋が落ちたハクの川はマンション建築を理由に埋め立てられちゃったらしいけど名前を取り戻したとしてもどうやって「戻る」の?と思ってしまうし、元の世界に戻れたけど車がそんな状態ってことはそれ相応の時間が経過してるってことだろうけど引っ越してくるはずだったこの一家の扱いどうなってんの?とか、曖昧な終わり方は映画なら余韻とか余白となって“観た人の数だけ答えがある”でいいけど舞台となると尻つぼみ感になってしまうわけで、なので映画の通りである舞台も「面白い」とは思わなかったです。興味本位が観ようと思った理由なのでそれについてはこれ以上なにも言いませんが。


予算あるなーという意味で印象に残るのはおしらさまの着ぐるみのハイクオリティさ。
アナログ演出としてはオイオイ言ってる3人セットの頭。どこであんなアニメ映画から抜け出てきた「顔」の人見つけてきたのよw。


橋本環奈はかわいかった。さすがにドスッピンというわけではないでしょうがほぼほぼスッピン(に見えた)でもあれだけ可愛いのは「本物」だわ。千尋に見た目の可愛さは必要ないでしょうが。
橋本環奈とは違う「かわいさ」ですが田口トモロヲもかわいかった。ともすれば気持ちの悪いビジュアルになりそうな釜爺の実体化なのに田口トモロヲだと違和感皆無どころか可愛さが勝つ。
そして身体中布に覆われてる状態なんで云わば手足を自由に動かせないなかでのパフォーマンスという宝の持ち腐れのような役どころにもかかわらず、それでもカオナシの「異物感」として圧倒的な存在感を放っていた菅原小春はすごかった。カテコで面を取った瞬間のオーラがパなかった。