『封刃師』第1話・第2話

劇団☆新感線の座付き作家である中島かずきさんが『早乙女太一のアクションを世界に届けたい』という思いから書き下ろした作品とのことで、その新感線の舞台で早乙女太一を知って文字通り一目惚れをしたわたしとしては、興奮と期待が天元突破で始まる前に死ぬんじゃないかな?と思うほどの状態でしたが、変則放送となった1.2話を続けて見終えた今はとにかく


最高


もういちどいうけど


最高!!!



それしか言えん。


刀を振らせたら宇宙一の早乙女太一に剣ではなく鞘で戦わせるという設定というか“縛り”をどう感じるか(わたしが)、爆発しそうなほどの期待のなかにも普通に剣で戦わせてくれよー!と思うのではないかというほんのわずかな不安があったりしたわけですが、まったくもって問題なし。むしろ最後は「相手の刃を鞘に納める」という行為でキメるところに(厨二的)トキメキしか感じません!!。
刀だと柄を握って長さのある得物を振るうという動きになるけど鞘だとどこを握ってもいいわけで、そのぶん太一の「体術」が活かせるわけか。

ていうかなにあの鞘をくるくる回すヤツ!!問答無用のカッコよさ!!!。

そして激しいアクション(動)とキメポーズ(静)の間ではためく黒いトップスの裾!かんっっっっっっぺき!!!!!。

これを実写でキメられるのは早乙女太一以外にいません!!!。


恐らく見た人の大半は「牙狼」と似てるなと思ったことでしょうが、鎧と刃の違いというだけで現時点では「確かに」とわたしもそう答えますが、でも鎧と刃の違いってのは大きいいよね。それはつまり変身するか生身で戦うかってことだから。
もっと特撮っぽい映像になるのかなと予想してたんだけど予想に反して「実写」で、穢刃という“バケモノ”相手ではあるものの肉体と肉体の戦いがそこにあって、まさにアクション活劇。
そして藤井道人監督の特徴である“画面の暗み”が物語の土台である「人間の心の闇」にバシーッと嵌ってる。
藤井監督のざらりとしている冷静な画面が世界観・設定の特殊性をいい意味で目立たなくしていて、それこそ牙狼と比べてリアリティがある(どっちが上という話ではないです。牙狼も好き)。

こんなカッコいい画作りでガチな人たちを相手にして早乙女太一の殺陣を見ることができるだなんて、生きててよかったと心底から思わずにはいられません。


そしてやっぱり設定がな、中島かずき好き+早乙女太一ファンとしてはたまらんもんがありますよねこれね。
1話で封刃師・御沙神駆の役目とその相棒・五百津翔それぞれの役割、キャラクター性を見せたところで2話のラストに二人の「関係性」をぶっ刺してくるとかほんとタマラン。
駆には穢刃を封じることに専念させるべく警察や世間との折衝、情報収集等戦い以外の全般を「サポート」するために隣にいるのが翔(戦闘力はない)なのかと思いきや、2話で鎮冥鞘を試すべく練習相手を務められる技量があるところを見せて(「じゃ、お相手しますか」ってこの台詞めちゃめちゃカッコイイ!)(その前の鎮冥鞘を受け取って「ありがと」と言う駆のナチュラルな声音がまた最高でだな!!)、

「お前の仕事は封刃じゃない、俺を殺すことだ」

ってそういうこと!?翔の『役目』はそういうことなのおおおおおおおおおおおおおおおおお!???

と驚きつつもトキメキと興奮で身震いしちゃう・・・。

穢刃を鞘で受け止めるとなぜその者が穢刃となったのか、駆にはそれがどんな形で「見える」「伝わる」のかはわからないけどその怒り哀しみ憎しみ嘆きが「解る」わけで、ぜんぶ「受け止めた」上で「穢刃、封刃仕る」となるんだけど、受けとめ続ける駆は大丈夫なのかと思ったら1話で早くも腕に異変が生じてて、2話ではさらに激しく腕の痛みに耐える様子を見せ、「お、俺の腕が・・・っ!」とかド厨二じゃねーかと思いつつも(いや俺の腕がとは言ってないw)2話でこの状態ってヤバくない?それどころか駆は穢刃に斬られた過去がある?つまり体内に「穢れ」を宿してるってことなのか??と思った瞬間に「お前の仕事は俺を殺すことだ」が投下されるんですもの。
いつか己が穢刃になるからなのか、はたまた最後の穢刃を封印したその時なのか、封刃師として生きる自分の最期は決まってる、わかってるだなんて、こんなの身悶えせずにはいられませんって。

さすが早乙女太一に対して『何かを背負わせたら日本一。悲劇を背負わせたくなる』と言う中島かずき


物語の中心となる駆と翔の関係性を支える設定も、結構な勢いで説明された。

穢刃なる存在は古くから存在していて、昔から歴史の闇に隠されてきたこと。
穢刃となった者はその時点で死んでいて、穢刃を振るうための道具と化しているので(ゆえに映像に映ることはない)、鎮冥鞘に納められた時点で穢れとともに吸い込まれて消滅すること。
現在は公権力によりその秘密が保たれていて、詳細はわからずとも(知ることを許されずとも)現場の刑事レベルにおいても「これは俺たちの受け持ちではない」と周知されてること。
でも2話で穢刃となった研究者のようにその秘密に触れ「穢刃」を知ってしまう者もいること。
また穢刃の残滓である「黒い灰のようなもの」が見える者がいること。
鎮冥鞘は仏像を使って作られるらしいこと、そのための仏像を探してくるのも翔の仕事であること。
駆と翔は普段は翔の父親が営む五百津堂に居て、その地下は修練場であること。
穢刃の情報は巳前と名乗る男によって齎され、駆が封印した穢刃の回収も巳前が行うこと。

これだけのことがアクションを前面に出しながらもしっかり理解できるのって結構すごいことなのではなかろうか。

封刃師・駆の仕事を追いかける、云わば視聴者目線としての存在である週刊誌記者・三條は「見える者」という設定で、ただそれだけで毎回首を突っ込んでくるのはうっとおしいなと、初回の時点ではそうとしか思えなかったんだけど、2話で「見える者は穢刃に引き寄せられる」ことと、穢刃になった者は人を「殺したくなる」と説明されたことで、毎回三條が封印の場に立ち会うことになっても「仕方ない」かとはなるし。まあ翔じゃないけど「面倒くせえなあ」とは思うけど。

ていうか、三條に「説明」するのって普通は翔だと思うのよ。駆の仕事を見守りながら翔が語るってのがセオリーだと思うのだけど、翔ではなく駆が語る、それも戦いながらってところがイイよね。
翔は三條なんぞに関わり合いたくないし、口に出した通り「駆の邪魔しないでよね」ってなスタンスなわけで、警察相手には飄々とした口調で軽口叩くけど不要な相手には余計な口を利かない人間なんだなってことが解るし、でも駆が話すことを止めもしない。駆のことをそういう意味でコントロールしてるわけではないんだよね。
そういうことが“伝わってくる”作りがとても好み。

でもわからないこともある。
穢刃についての研究を上司?である教授が認めてくれなかったことが研究者が穢刃になった理由ってなことだったけど(女子大生に小馬鹿にされたことがトドメになったっぽいけど)、認められなかったのは教授個人の判断によるものだったのだろうか。
警察や出版社の対応からして「穢刃の研究」なるものが認められる、いや許されるとは思えないんだけど、教授もまたどこからかの“指示”もしくは“圧力”があってあの対応ってことだとしたら、それで殺される羽目になった教授が気の毒すぎるし、繰り返すけどどのみち穢刃の研究が世に出ることはなかろうわけで、「上司のパワハラに耐えかねて」という分かりやすい事情・理由だった1話と比べて2話はモヤモヤしたものが残るかな。研究者がなぜ「穢刃」の存在を知ることになったのかもわからないし。

というのも研究者と三條って立場的には同じじゃん?と思うからなのよね。
三條はまだ穢刃と封刃師のことを知ったばかりではあるけど、三條が書いた記事が世にでることはないだろう。とすると三條はこの先なんのために駆と関わろうとするのか。
「私はなぜ黒い灰=穢刃を見ることができるのか」という疑問に対する答えを得るためってのはその理由として充分だとは思うので、そういうことならいいんだけど、あくまでも「記者」として追い続けるというならば研究者と同じ道を辿ることになるかもしれないじゃん?。
ってところで三條は『ポジティブシンキング』だからという編集長のアドリブのような一言が活きてくるのだろうか。記事を世にだすことを許されないことが負の感情には向かわないと。
そして「逃げろ」と言われても「逃げない」と言い切った三條が“そういう人間”であると感じたから、駆は封刃師と穢刃について教えたのだと。


2話の予告で「こんにちは、穢刃です」と言うもんだから、そのまんま『穢刃』なのかーと思った手塚とおるは完全なる“釣り予告”でしたがw、謎のフード男が穢刃にした人間に渡してる柄の部分、これって限りがあるのかな。つまり穢刃の「数」は有限なのかってことなんだけど。
穢刃の「本体」は人間の負の感情であり、例えば柄はホームセンターで売ってる汎用品でいいってことだとしたら、負の感情が尽きることはない以上(人間が絶滅しない限りそれがなくなることはないだろう)穢刃がこの世からなくなることはないってことになるわけで、封刃師たちは終わりなき戦いをし続けているってことになるよねえ。

それから、翔は駆の相棒、カレンは鎮冥鞘師という役目があるのに対し翔の父親である肇は所謂“おやっさん”ポジションのようですが、公式によると駆が封刃師になった理由に深く関わっているとあって、演じるのが橋本じゅんなので確実にあるであろう「過去回」が今から楽しみなんだけど、まあ駆が「俺の腕がー!」ってなる時に思い出してた穢刃に斬られそうになってるやつ、あれが「理由」だろうな。

子供駆を殺そうとした穢刃を封印したのが肇の相棒の封刃師で、その影響で肇は相棒を「殺す」ことになってしまい、駆はその跡を継ぐかたちで封刃師となり、五百津家は代々封刃師の相棒を務めることを役目としているので翔がその相棒になり、以来ずっと二人で鍛錬を重ねて今に至る・・・とかね。子供のころから共に鍛えてきたけれど、それはいつか殺し殺されるためである・・・とか燃えるし!。



・・・って長っ!!実質初回感想だというのにわたしどんだけ書いてんの!引くわw。