『仮面ライダーセイバー』

途中で感想を書くことはやめてしまったけど、それでも全話欠かさずちゃんとその週のうちに見てたし、全話見終わればそれなりの「感想」がわたしのなかから出てくるだろうと、そう思っていたのですが、なにもない。
最終話(最終章「終わる世界、生まれる物語。」)なんてただただ「なんだこれ気持ち悪い」しかなくて、仮面ライダーを物語として真正面から見るようになって20年近くたつけど、これほどなにも残らない1年間は初めてだもんで今かなりショックを受けています。

別に「成長」を描くことが仮面ライダーではないとは思うものの、神山飛羽真という主人公がこの1年間なにひとつ「変わらなかった」という事実が受け止められないというか、この1年わたしが見ていたものはなんだったのだろうか、という思いしかない。
成長を描くことが必要ではないとは書きましたが、戦って、倒して、戦って、救って、戦って、ぶつかって、戦って、苦しんで、戦って、守って・・・を1年もの間繰り返す中ではどうしたって成長しちゃうもんでしょうよ。性根とか、根幹にあるものは変わらずとも戦いのなかで変わっていく部分はあるはず。
現にソードオブロゴスの剣士たちは成長したし変わった。
でも主人公は最初からなにも変わらなかった。剣士たちは主人公と関わることによって変わったけれど、なにひとつ変わらない主人公をどう受け止めればいいのかわたしにはわからない。

挙句、飛羽真と賢人が「正体不明の二人組」と「見たことがない怪物」を相手にしてそれでも戦っているというのに「芽依さん」のことしか見ていない(変身しない)倫太郎とか見せられた日にはですね、ほんっとなにも残らない。「僕と家族になってください」「うちらとっくに家族でしょ?」ってなにすっとぼけてんだこの女。
永徳さんがバイスを演るからという裏事情?そんなもん知るか。
お兄様に「倫太郎(のような人間)こそ組織を率いるのにふさわしい」ってなことを言わせておいて「戦わない」理由を劇中でちゃんと示せよと。

こういうところにキャラクターに対する愛情のなさが現れてる。それが一番腹立たしい。デザストを忍者小僧に執着するだけの紅しょうがキャラにしたことを許さないから。


で、ようやっと終わったかと思ったら、次のライダーもすこぶる微妙という・・・・・・。
「悪魔と契約」とか「悪魔崇拝組織」とか、それに対する「政府直属の特務機関」とか、「平成仮面ライダーオタク」とか、あと「戸次」とか、設定・要素だけ見てるぶんには楽しみだったけど(それを言うなら「剣士」も「本」もわたしの好きな要素なんですけどね)、このノリこのテンションはキツイわ・・・・・・・・・。
元号が変わったあたりからハマれない作品続きなんだけど、認めたくないけどわたしはもうお払い箱なのかな・・・。