月村 了衛『白日』

白日

白日

老舗出版社の教育出版部門が有名予備校と組んで“引きこもり・不登校対策”を掲げ新しい高校を作るプロジェクトで実務の中心を担う課長が主人公で、夢の実現に向けて邁進している最中にプロジェクトのリーダーである局長の息子が亡くなったという知らせが入る。事件か自殺かと社内がざわつくなか、詳しい説明もないままプロジェクトの一時中断が命じられ、自らの娘もイジメが理由で不登校になったときに亡くなった局長の息子に救われたことがあり、余計なことをするなと再三忠告を受けながらも主人公は息子の死について調べようとする。

カリスマ局長の息子の死について当の局長による直接の説明がないなか「疑惑」「隠蔽」と言った単語が飛び交い、社内の派閥争いに振り回され職場中が疑心暗鬼になり苦しい立場の中間管理職が必死でなんとかしようとする物語なんだけど、真のテーマとしては引きこもりに対する「偏見」ってことになるのかなぁ?。

『息子の死の事情』がなぜ隠蔽されているのか?自殺であることはおそらく間違いないとして、でもその動機がわからない・・・という「謎」を個人的な思い入れがある主人公が探るんだけど、明らかになった「真相」に対し私が思ったことは「え?そんなこと?」というものだったんですよね。



以下、その「真相」に触れています↓↓↓






主人公以下社員たちは局長が掲げる「新しい学校」の理念を信じて実現すべく働いてきたし、局長の息子も主人公の娘もその理念を聞いて心から素晴らしい学校だと思い入学を希望するも当の局長がその新しい学校を「落ちこぼれ用の学校だ」と言ったってのが「真相」なんだけど、それはまあ主人公にとっちゃ衝撃の事実なのでしょうが私にしてみりゃ人の本心なんてそんなもんじゃないの?ってな話で、ていうか「そんなこと」のために会社の命運を左右する一大プロジェクトが危機に追い込まれたわけ?と拍子抜け。

でも「そんなこと」を知ってる者も、それを知らずともなにかあることを「隠蔽」しようと考えた者も、そんな人間が教育(事業)というものに関わっていいものか?そんな人間の敷いたレールに子供を乗せていいものか?という問いに対し「出発点のレールは汚れていてもそこから如何様にもそのレールを伸ばしていくことはできるし、レールの上を走る列車にのるのは子供たちで、乗客にとっちゃレールの汚れなど関係ない」という落としどころというか、主人公の自分に対する“言い訳”にはまあ納得できたんで、後味は悪くなかった。