主人公の検事・大神は、厳格な法の運用ゆえに完璧な証拠や供述でなければ「疑わしきは罰せず」として無罪を連発する「無罪病判事」と揶揄される裁判官・嘉瀬に4回目の逆転無罪を食らうが、結審した直後に法廷で嘉瀬が倒れてしまう。この事件は看護師が入院している暴力団の組長を殺したというもので、無罪放免となった看護師はその後射殺される。
という始まりで、倒れたあと認知症を発症し現在は施設に入院している嘉瀬を訪ねた大神は、無罪判決は正しかったのではないか、であれば看護師を殺させてしまった責任は起訴した検察、ひいては自分にあるのではないかと考えるようになり、罪滅ぼしとして看護師射殺の実行犯にそれを命じた暴力団の若頭を逮捕すべく執念を燃やすという話になるのですが、「判事が下した判決が裁判官、検察官、弁護士、被害者、加害者、それぞれの正義を狂わせていく」「“法”は救いか 縛りか」という帯文から受けるイメージとはだいぶ違う内容でした。
主人公の縦軸に対し嘉瀬の孫の医学部入学費用問題という横軸があるのですが、そこで「成年後見人制度」なる問題がかなり密接に関わってくるもんで、終盤で主人公の話と重なりはするもののテーマがぼやけているように感じたし、他人から見えるものと当人の本心というか真実というか、それが違ってたというだけで、別に「それぞれの正義」は「狂って」なくない?。というか被害者にも加害者にも別に「正義」とかなくない?。
無罪病判事によって出世の目を絶たれ職場での立場も崖っぷちに追いやられた検事と警察という組織に熱意を奪われたマル暴のデカが鉄砲玉を走らせた親玉の首を上げたるぜー!と突っ走ったら思ってたのと違う真実にぶち当たりましたってな感じでよかったのに。テーマと内容が合ってないように私は感じた。