『仮面ライダーセイバー』第6章「疾風の如く、見参。」

寄ると触るとライダーバトルよりはマシなのかもだけど、「アヴァロンに行く方法を模索する飛羽真」「ズオスちゃんVS倫太郎」「ピラニアVS賢人」「デザストさんVS初登場の忍者小僧」「カリバーとストリウスがなんかコソコソしている」と30分で5つの要素を並行して描かれるとさすがにごちゃごちゃになっちゃうよなあ。
通常戦闘の賢人はいいとして、カリバーの企みもいいとして、どんな力が働いたのかしらんけどあっさり変身能力を封印されてしまった飛羽真の話と師匠に関したズオスとの因縁が明らかになった倫太郎の話と、大泰寺さんにスポット当てるのと忍者小僧の初登場は分けてもらいたい。

飛羽真の話のなかで大泰寺さんの掘り下げがなされたのはいいし、忍者小僧も「飛羽真との勝負」という飛羽真の話の線上での展開ではあったけど、でも忍者小僧の性格の悪さってか性根のヤバさは子育て王とはまた違うよく言えばインパクト悪く言えば不快感で、そんなやつにデザストさんやられちゃった(1回目)よ!?で情報量満タンなのに「一方その頃」で倫太郎の話まで進める必要あります?と思うんだけど。

てか倫太郎ってスフィアの指示でズオスの行方(動向)を追ってたみたいだけど(前回ってなぜかびしょ濡れの倫太郎のところにデザストさんが突如現れて、そこへズオスも現れたところで終わったんじゃなかったっけ?そこから今回の倫太郎パートって繋がってなくない?)、そこに芽依が同行してるのはなんでなのよ。倫太郎は同行を許したわけじゃないのに芽依が勝手についてってんだろうけど、やってることは子供を連れて歩いてる子育て王と一緒だし(それはどうかと思うといったのは倫太郎なのに)、芽依は一応社会人なわけでしょ?。編集者として飛羽真から離れないってんならともかく倫太郎と行動を共にするのは仕事とは全く関係ないじゃん。倫太郎にロゴスに推薦してもらいたいと思ってるみたいだけど、ロゴスに所属したいってことなの?。小説家・神山飛羽真の担当編集は芽依でなくてはならないわけでなし、本気でそう思ってんなら仕事辞めて飛羽真の店で店番しつつどこへでも誰にでもついていけばいいと思うんだけど。

倫太郎がズオスに完敗したこと、倫太郎が見せた激情を“目撃”する存在が必要なのはわかるし、倫太郎が「自分一人で倒さなければならない」とするにはその役目は剣士ではない芽依しかいないのもわかるんだけど、芽依は“編集者として働く社会人”という設定なんだから仕事そっちのけで倫太郎にくっついて行動させるならばそれを可とする説明をするべきじゃない?。

あとね、このごちゃごちゃ回のなかでこれが一番引っかかったんだけど、飛羽真の書物の扱い方が雑すぎるんだよ。手あたり次第読むのはいい。でも借り物だし、そうでなくとも古書なんだろうに乱雑に積み上げてて倒れて破損したらどうすんだと思うし、開いたまま放置するのは本を傷めることに繋がるし、いくら書いてるのはトレペにだとはいえあんなに強い力で線を引きまくったら絶対下の紙に跡が残るし下手したらトレペ突き破って下の本が傷ついちゃうじゃん。わたしは読書という行為が好きだけど本という存在そのものも大切だと思うタイプの人間なので(読んでる途中の本を開いた状態で伏せておくのとか許せない)不愉快になるんだよね。蓮に自分の小説?をパラパラめくったあとポイっと投げ置かれてムッとしてたけど、お前も同じことやってんじゃんってな話。

飛羽真がこんなに鬼気迫る勢いでアヴァロンに行く方法を探してるのってドライバー(火炎剣烈火)が封印されてしまって変身ができない、つまり戦えないからなんだけど、そもそものはなし蓮じゃないけど飛羽真は一番の新入りなわけで、戦力はそりゃ多いほうがいいだろうけど飛羽真が戦えないからといって今すぐ状況に影響が及ぶというわけではないだろうとわたしには思えるので、飛羽真の焦りだったり必死さだったりに共感できないから余計に本の扱いが許せないのよね。

こういうところがイマイチ嵌れない理由(のひとつ)なんだろうなぁ・・・。